甘口辛口

オオカミ少女はいなかった

2008/12/7(日) 午後 2:58

  (晩秋の天竜川)

<オオカミ少女はいなかった>


週刊誌の読書欄を読んでいたら、アマラ、カマラの名前で知られているインド人姉妹が、実はオオカミに育てられたのではなかったという記事が出ていた。ちょっとした衝撃を受けたので、早速このことについて書いた本(「オオカミ少女はいなかった」鈴木光太郎)を読んでみた。

なぜこの記事から衝撃を受けたかといえば、アマラ、カマラの話は高校の教科書にも実話として記載されているし、幼児教育の専門家は出産前後の母親を集めてこの話をするのを常としていたからだ(家内は二度聞いたことがあるという)。

今更紹介するまでもないと思うけれども、通説によるとオオカミ少女アマラ、カマラは次のようにして発見されたのだった(「オオカミ少女はいなかった」鈴木光太郎著から引用)。

<1920年10月、インド東部のカルカッタに近いミドナプールという町で牧師をしていたジョゼフ・シングは、伝道旅行中にゴダムリという村に立ち寄る。彼はそこで、森に化け物がいるという噂を聞き、好奇心から村人たちと化け物狩りに出かける。

何度かオオカミと一緒にいる化け物に遭遇するうち、シングは、その化け物が姿形から人間の子どもだと直感する。オオカミたちを追い払ったり殺したりしたあと、彼らは、オオカミの穴のなかにいた2人の子どもを発見し、捕獲する。

 2人の子どもは、裸で、四つんばいで歩き、オオカミのようなうなり声をあげた。ことばらしきものは話さなかったし、その行動も、人間らしいところは片鱗もなかった。年齢は小さいほうがl歳半、大きいほうが8歳と推定された。シングは、教会に付属した孤児院も経営しており、ミドナプールに彼らを連れ帰って、夫人とともに養育にとりかかる>

考えてみれば、まず、生まれたばかりの幼児がオオカミに食べられることなく穴の中で生きていたという事実が腑に落ちない。肉食の獣は、生まれたばかりの他の獣の子供を好んで食べる習性がある。それに、二人の少女はどうしてオオカミと同居するようになったろうか。両親が畑の脇に少女を寝かせて働いている間に、オオカミがやってきて自分の穴にくわえて運んだのか。まさか。

< 最初、アマラとカマラは、オオカミのように振舞い、四つ足で歩き、生肉を好んで食べた。食べる時は、手を使わず、口をそのまま食物にもっていった。夜中に活動的になり、オオカミのような吠え声やうなり声をあげた。夜のほうが、ものもよく見えた。嗅覚も鋭かった。

 小さいほうのアマラは、発見の1年後に病死する。その死に際して、カマラは2粒の涙を流した。

 シング牧師は、カマラに何度か歩行訓練を試み、その結果なんとか立って歩けるようになった。言語的なコミュニケーションは、訓練しても、進歩は遅々としていた。使えるようになった語彙は、1926年までに30語。最終的に習得できたのは、45語にしかならなかった。アマラの死んだ直後から、シング夫人がカマラの体を撫でさすってやるようになると、夫人との間に愛着関係が生じ始めた。スキンシップは愛着の形成を促した。カマラは1929年まで生きた>

孤児院に引き取られてからの少女の行動も、冷静に考えれば、おかしな事ばかりだが、にもかかわらず、この話があっという間に世界中の人々から信じられるようになったのは、知名の心理学者や人類学者がこのオオカミ少女に関する研究書を出版したからだった。学者らがこの話に飛びついたのは、「人間は、人間に育てられて人間になる」という幼児教育理論を証明するために、これ以上はない具体例だったからだ。

馬や牛は産み落とされると、直ぐに自力で立ち上がり、親の後を追って歩き始める。動物の子供は皆、出生後、間をおかずに親と同じ運動能力を身につける。これに反して人間の子供だけが生まれた後も無力な状態をつづけ、親の手厚い保護を1、2年受け手から、やっと立って歩けるようになるのだ。

人類学者によると、人間が他の動物並みの能力を持って生まれてくるためには、もう一年間母体内に留まっていなければならないという。つまり、人間の赤ん坊はみんな、未成熟児として早産状態で生まれてくるのだ。では、何のために「生理的早産」によって一年早く生まれてくるかといえば、人間の子供が生まれ落ちる環境には、場所により、国によって大きな差異があるからなのだ。赤ん坊は未熟な状態で生まれてきて、親の世話を受けているうちに、当該地区で使われている言葉や生活システムをマスターするのである。

人間の子供は、他の動物と違って可塑性に富んだ白紙状態で生まれてきて、親に育てられているうちにアメリカ人になったり、日本人になったりする。そして、オオカミに育てられれば、オオカミになり、天使に育てられれば天使になるというのが学者らの信奉する教育理論なのである。

だから、オオカミ少女の物語は、親の育て方がいかに大事かを示す又とない教訓になり、世界中の心理学者・人類学者・教育学者が好んで引用するところとなったのだ。

しかし、動物学者から見れば、動物が人間の子供の養い親になることなどありえないのである。オオカミの乳の成分は人間の赤ん坊が消化できるようなものではないし、人間が直立歩行するようになるのは、学習や経験によるのではなく、成熟によるのだ。カマラは直立二足で走るより、四つんばいで走る方が早かったとされるけれども、人間の骨格は四足歩行をするようには出来ていない。だから、このエピソードも甚だ疑わしいといわなければならない。

鳥類には「託卵」という現象があり、動物にも他種の動物に乳を与えることはある。が、動物が人間の赤ん坊の養い親になることは、ありえないと考えられている。

アマラとカマラは明るいところを嫌がり、真夜中に行動したという。その際、彼女らの目は動物のように青白く発光したとされているが、夜行性の動物の目には、眼底に特殊な反射膜があるけれども、人間にはこの膜がないから発光するわけはないのである。

落ち着いて考えれば、二人の少女がオオカミに育てられたなどという話は、あり得ないことだと分かる。では、どうして知名の心理学者や人類学者が騙されてしまったかといえば、少女を発見したとされるシング牧師の「育児日記」を読み、同牧師の撮影したアマラ・カマラの記録写真を見たためだった。

これらの学者らは、オオカミの穴から発見された少女がいるという記事を新聞で読み、シング牧師に問い合わせの手紙を出したのだ。牧師は、サービス精神を発揮して育児日記や二人の少女が四足歩行する写真を学者らに送ったが、これらは牧師が問い合わせを受けてから急遽作製したものだったのである。

シング牧師が村民らと協力してオオカミの穴の中から二人の少女を救出したというのは、単なるうわさ話だったのだ。村民たちの目には、森で発見された少女が話しかけても反応せず、まるで動物のように見えたから、牧師に預ける際、オオカミに育てられたらしいとでも話したのだろう。やがてオオカミ少女伝説が生まれ、牧師が少女らの発見者ということになったのである。

現在では、カマラは自閉症児だったのではないかと考えられている。彼女を育てられなくなった親が、新たに生まれてきた妹と一緒に森にすてたというのが本当のところだはなかろうか。妹は程なく死に、カマラは孤児院でその後数年生きていたが、言語をほとんど覚えなかった。そして彼女はしゃべるかわりに吠えたり、うなったりした。これなども、自閉症児の特徴とよく似ている。

オオカミ少女の話は、人の性格を決定するのは環境だとする説を補強するように思われた。だが、オオカミ少女はいなかったとすれば、安易な環境説は修正されなければならない。この本には、人語を解すると思われていた賢い動物が、厳密に調べたら人の言葉を全く理解していなかったという事例も紹介されている。

人間と動物の間には、想像以上に大きな違いがあるのだ。

実は、私は授業でオオカミ少女の話を取り上げながら、ひそかにアマラ、カマラは、彼女らの親に恨みを持つ者の手で、オオカミの穴に投げ込まれたのではないかと思っていた。だが、自閉症児だったために森に捨てられたという推測のほうが遙かに筋が通っている。