(斜陽の天竜川)
<マルチ人間の幸福論議>
私を目して「人間嫌いの独身主義者」と酷評していた旧友が、褒めているのか、けなしているのか、私を「マルチ人間」と呼ぶようになってから大分たつ。他人がどう評価しようと、20代の頃の自分と80代になった今の自分の間にさしたる変化があるとは思えない。しかし、若い頃と今とでは、「幸福感」の質が変わってきていることだけは認めざるを得ないのだ。
幸福というものを、「完全に充たされた状態」「これ以上何も望むものがないという状態」と定義するとしたら、東京の私立高校教諭になったときに、そんな感じを味わった。ある意味で、あの一年間がこれまでの80余年の人生で一番幸福な時期だったかもしれない。
在学中、学生運動に首を突っ込んでいた私は、就職すると同時に一切の政治運動から手をひき、新聞・雑誌の購読もやめてしまった。ラジオを持たず、学校へ行っても新聞に手を触れないでいたから、私は自分で自分を社会から切り離してしまったも同然だった。政治活動をやった反動で私はすっかり人間嫌いになっていたのである。私は、自分の生活を古本屋から買って来た小説本とベルクソンを読むことだけに限定してしまった。
私は給料を貰うと、袋から出して机の引出しに入れておき、必要に応じて上から金を一枚ずつ出して使っていた。翌月の給与もその上に重ねて使っているうちに、残額に残額が重なって、引出しの中の金額は何時の間にか予想外のものになっていた。こうなったのは、私が金を惜しんだからではない。家賃がタダだった上に、私には格別ほしいと思うものがなかったからだ。
私は学生時代から、腕時計というものを持たなかった。教員になってからも、教室で前の座席の生徒に残り時間をたずねながら授業をしていた。その他、万年筆やライター、櫛やポマード、若い男が持っていそうなものは何も持っていなかった。
土曜日の午后、学生時代から使っている古鞄に古本屋で仕入れた二・三冊の本を納め、二キロの田舎道を冬の日を浴びながら下宿に帰って行くとき、私は幸福感で溢れんばかりだった。後年、私はこの時の自分の後姿を頭の中に思い浮べ、自分には帰るべき場所として何者にも干渉されない静かな屋根裏があったから、あれ程幸福だったのだと考えた。
当時、私は常磐線近郊の農村部にある精米屋の物置を借りて自炊していた。階下は道具類で一杯なので、狭い屋根裏で寝起きしていたのである。
だが、私が帰って行ったのは、物置の屋根裏だったろうか。私はパンを噛りながら読みふける本の中に帰って行ったのだ。本を読んでいる時に、きまって立ちあらわれる光の粒子が霧のようにたちこめた心の玄室に帰って行ったのである。本を読んでいると、私の内面に燈籠のように輝く「壷中の天地」が現成した。内なる「壷中の天地」めざして歩いて行くと、もう何も望むものはないという幸福な瞬間が成立したのである。
その幸福な生活が、脆くも一年で崩壊したのは通勤の車内で、ふと自らの服装を顧みる気持ちになり、(これでは、少々みっともないか)と考えたからだった。本を読む喜びだけで充たされていた内面に、他者の目を意識する「対外念慮」が入ってきて純一な幸福感を突き崩したのだ。
以来、「本を読んでいるだけで満足」という一本道は失われ、モーツアルトに熱中したり、自転車に乗ってバードウォッチングに明け暮れたり、野草図鑑を作ったり、ミステリーを耽読したりというような生活がはじまった。これらに熱中する期間は、それぞれについて大体3年くらいで、その期間が過ぎると憑きものが落ちたように次の段階に移るのである。一つの段階が終了するときには、一種の「卒業」感覚みたいなものが生まれ、前段階の世界に対する執着は失せてしまっていた。
もしこのような人間を「マルチ人間」と呼ぶなら、このタイプの人間は知的な面でも、生活者としての面でも、特定の(狭い)分野に意識を集中し続けることの出来ない閉所恐怖の心理に支配されているのである。彼らは持続力を欠くが故に、成功者になることはほとんどない。何事についても、単なるアマチュアで終わるのである。
だが、マイナスばかりではない。興味の対象を次々に変えることで、それまで熱中していた世界を相対化し、世界を新たな視点から眺めることが出来るようになる。そして新しい視点は、趣味や道楽について生まれるだけでなく、人事百般についても生まれる。人生そのものを相対化して眺めるようになれば、幸・不幸に関する世間的な見方を卒業し、幸・不幸を同一視する境地に到達するのだ。
私は無論そんな境地に達していない。だが、人間の世俗的な幸・不幸が個人の才能や努力とは別のところで決まるとしたら、人の幸・不幸を論議の対象にするのは無意味だとは考えている。
私は幸福な人生を過ごしてきて、今も幸福なのかもしれない。あるいは、私は運悪く生きて来て、今も不幸なのかもしれない──観点の置き方次第で、どんな風にも考えられるのだ。としたら、幸・不幸について考えるのは、そもそも意味のないことなのだ。
持って回った言い方だが、もし私が幸福だとしたら、幸・不幸の問題を意味のないこととして思慮の外に置いて生きるようになったことなのである。