甘口辛口

900人のホームレス(その1)

2009/3/9(月) 午後 4:49

<900人のホームレス(その1)>


NHKのETV番組「ひとりと一匹たち(多摩川河川敷の物語)」を見ているうちに、多摩川河川敷で暮らす900人のホームレスに親近感を感じはじめた。私自身も本来彼らの仲間であり、自分が今彼らと共にあそこで暮らしていないのは、ほんの偶然に過ぎないと思ったからだ。

このドキュメンタリーは、猫に興味を持っている写真家が、多摩川河川敷に住むホームレスのところに足繁く通いはじめたことからスタートする。なぜ写真家がホームレスのところに通うかと言えば、彼らが猫や犬を飼い、まるでそれらと共生するようにしてバラックの中で生きているからだった。

番組に主役として登場するるホームレスは、佐藤さん(62歳)と中野さん(65歳)というほぼ同年代の二人の老人で、佐藤さんの方はまだ若々しく精気に富んでいるのに対し、中野さんの方は髪の毛も顎髭もすっかり白くなっている。この違いは、二人の経歴から来ているように思われるのだ。

佐藤さんは福島県の出身で14歳になるまで故郷で過ごしていた。だが、彼の話によれば、両親が離婚したため母と一緒に上京し、定時制高校に進んだ。佐藤さんはここを中退してから、いろいろの仕事をした後に、最後には人を使って建築業をするまでになった。だが、事業に失敗し、妻と一人娘を捨てて、(ここで彼は、「いや、こっちが捨てられたのかもしれない」と言い直している)6年前からホームレス生活に入ったのである。

白髪の中野さんの方は、佐藤さんよりもっと苦労している。
両親に早くに死なれたため、中野さんの兄弟四人は、まだ22〜23歳の長兄に頼って生きなければならなかった。兄には四人を養う力がなかったから、彼らは餓死寸前の「めっちゃくちゃな生活」を強いられた。

中野さんは成人してから、建築業者や土建業者の飯場に住み込んで各地を転々とするようになった。やがて年老いて解雇されてみると、頼りにする者は一人もないことに気づいた。長兄を含めて兄弟は皆、行方不明になっていたのである。

──多摩川のホームレスは、およそこのようにして河川敷に吹き寄せられてきたのである。佐藤さんは、「ここにいる者たちは、一度は自殺しようとした人間ばかりだ」と語っている。ホームレスたちは自力では死にきれなかったから、生きているに過ぎない、というのである。佐藤さん自身も、首に縄を巻いてあわや自殺を決行しようとしたことがあるという。

白髪の中野さんも、死を願ったことがある。5〜6日何も食べないでいれば死ねるのではないかと思い、手持ちの金を飲酒で使い果たした後、息絶えるのを待っていたが、なかなか死ねなかった。人間は、水を飲んでいれば何も食わなくても10日くらいは生きて行けるということを身をもって知ってから、彼はホームレスになったのだった。

二人は、空き缶拾いで「生計」を立てている。

佐藤さんは、才覚に富んでいるから、自転車の後ろにリヤカーを取り付け、二日でリヤカーに満杯の空き缶を集めて業者に売っている。腕のいい彼は、それ故に十数匹の猫と一匹の犬を飼い続けることが出来るのである。白髪の中野さんも自転車で空き缶を探しに出かけるが、こっちは一日にスーパーの買い物袋二、三個分の缶を集めることしかできない。だから、彼は犬を一匹飼っているだけである。

ホームレスとしては、上層の生活をしている佐藤さんは、気力も衰えていない。この番組のなかの最も印象的な場面は、彼が河川敷にやってきた工事人たちを叱るところだった。

佐藤宅の隣に、天幕小屋をつくって暮らしていたホームレスが姿を消したので、役所から指示された業者がやってきて建物を取り壊すことになった。佐藤さんは隣人として、その作業に立ち会うことになった。姿を消した男は、大便を新聞の上に、小便はペットボトルの中にしていた。そんなふうで、小屋の中は乱雑を極めていた。

「こんなとこで暮らすくらいなら、首をくくった方がいいな」

小屋の中を片づけながら、工事人の一人がこう言ったときに佐藤さんの表情が変わった。彼は色をなして男をたしなめたのである。

「人には、それぞれ事情があるんだよ。誰も好きこのんでここに居るんじゃないんだ。あんたらだって、何時ここで暮らすようになるか分からないんだよ」

撤去作業をしていた男たちは、迫力に押されて皆、黙り込んでしまった。佐藤さんの歯切れのいい説教はしばらく続いた。これまでに何人もの人を使い、時に厳しく授業員を注意してきた過去を想像させるような口調だった。こういう佐藤さんだから、同じ空き缶探しに出ても白髪の中野さんより10倍以上の成果を上げることが出来るのである。

(つづく)