(前島秀章作品)
<この人を裁けるか?>
「ドキュメンタリ宣言」というテレビ番組を見たら、国選専門弁護人の活躍ぶりを紹介していた。彼ら弁護人が担当した事件として画面に紹介されたもののうち、「一家心中事件」がもっとも強く印象に残った。
もし自分が裁判官だったら、この事件の被告に対してどういう判決を下すだろうかと考えてみたが、容易に結論が出なかった。
事件は、山田(仮名)という57歳の男が一家心中をくわだて妻と息子を殺したものの死にきれず、警察に自首してきたというものだった。プライバシーを考慮して、山田がいかなる方法で妻子を殺したのか、また、彼はどんな職業についていたのか明らかにしていないので、事件の内容がもう一つハッキリしない。しかし、ともかく山田は警察に出頭後、一貫して「死刑を望む」という態度を変えなかったというから注目されるのである。
いったい、死刑を望んでいる依頼人を弁護士はどうやって弁護したらいいだろうか。被告は自力では死ねなかったので、国家の手で処刑してほしいと懇願しているのだ。弁護士は、どうか、被告の切なる希望に答えて、彼を死刑にしてやってくださいとでも主張するのだろうか。
まさか、そんな弁護をするわけにはいかないから、弁護士はまず山田に生きる意欲を奮い起こさせ、その上で裁判所に減刑を願い出るしかない。山田に生きる意欲を起こさせた後で、死刑判決が出たら最悪の結果になるが、そうはならない自信が弁護士にはあったのである。
弁護士は、被告が逮捕されてから四ヶ月の間に20回もの接見を重ね、彼が一家心中を決行したのは悩みに悩んだ末のことだと知っていたのだ。弁護士は単に接見するだけでなく、被告が生きてきた痕跡を探るために彼の故郷の静岡まで出かけて、親戚から被告の生い立ちを詳しく聞いて来ていた。
山田の母は、彼が幼い頃に失踪して姿を消していた。その後に父の再婚した女は、継子の山田をひどくいじめた。そして頼りの父も山田が中学生の頃に死んでいる。
そんな不幸な生い立ちだったから、結婚して愛する妻が妊娠したときには大変喜んだ。彼は生まれてくる子供のために家を建て、妻はまだ見ぬ赤ん坊のために編み物を始めた。弁護士がこれまでに一番幸せだったのは何時だったかと質問すると、山田は子供のために編み物をする妻を眺めているときだったと答えている。
生まれてきた息子はダウン病だったが、夫婦はさほど落胆しなかった。子供には罪がないのだから、二人してこの子を育ててゆこうと夜明けまで語り合った日もあった。隣に住む住民は、山田家の三人が一心同体で生きていたことを証言しているし、息子を預けていた「障害者デイケア施設」の所長も、あんなに仲のよい家族はなかったと語っている。施設の子供たちが集団で遠足に出かけたとき、山田の両親だけが一緒についてきて家族三人で遠足を楽しんでいたというのだ。
しかし息子がぐんぐん大きくなって27歳の大人になると、母親の手には負えなくなった。息子は、体重70キロの大男になったのである。もともと、心臓に持病があって肩で息をしているような母親は、息子に入浴させたりトイレの世話をするのに持てる力を使い果たした。
まるで生命を削るようにして53歳まで頑張ってきた母親は、ついに力尽きて夫に自分を殺してくれと頼むようになる。
「私は、もう生きて行けない・・・・私を殺して・・・・あの子のことをよろしく」
山田は、公判の席で弁護士に、「息子さんのことをどう考えていたか」と問われて、
「私の生命よりも大切なもの」
と答えている。弁護士が、そんな大事な息子だったら、母親が亡くなったあと息子と二人で生きて行こうとは思わなかったのかと質問すると、山田はこう答えている。
「三人のうち一人が欠けてもダメなんです。三人で一つなんだから」
家庭の喜びを知らないで、子供の頃から寒々とした日々を送ってきた山田には、一家三人の生活が砂漠の中のオアシスのように感じられたのだ。考えてみれば、分かることである。一人が欠けても耐え難いのに、二人を我が手にかけて殺して、たった一人残された山田の絶望がどれほど深かったか。彼は生きて殺人の罪を償うより、死んで償いをつけ、早く二人のところに行きたかったのだ。
裁判所の判決は、懲役7年だった。
判決の後で、弁護士が山田に面会すると、彼はこれまでに見たことがないほど感情をむき出しにして、「刑が、あまりに軽い」と泣き伏した。彼は死が許されないとしたら、できるだけ長く獄中で苦しむべきだと考えたのだろう。
山田は57歳ということだから刑期を終えて出獄すれば、64歳になっている。こうしたことも考え合わせて、彼の刑期はどのくらいがいいのか。裁判員制度が発足すれば、この事件などはきっとアマチュアの裁判員を悩ますことになるだろうと思う。
誰がこの人を裁けるだろうか。