(小倉での鴎外の住居)
<仮面の人・鴎外(その2)>
鴎外が左遷人事によって九州小倉に飛ばされ、観潮楼を留守にするようになってからも、児玉せきは森家との関係を続けている。観潮楼を守る峰子へのご機嫌伺いを続け、家事を手伝ったり、於菟の遊び相手になったりしたのである。於莵は母が離別されて森家を去り、父が小倉で暮らすようになったために、祖母の峰子を頼りに生きていた。この子には、誰か母親代りになってやる女性が必要だったのだ。
児玉せきは、鴎外の正妻に迎えられるチャンスがあると期待していたのかも知れなかった。そして、事実そのチャンスらしきものが現れたのである。
小倉に転勤した鴎外は、新たに一家を構えるに当たって女中や飯炊き婆さん、そして乗馬の世話をする馬丁を雇い入れなければならなかった。飯炊きの婆さんは夕方になれば自宅に帰り、馬丁は厩で寝るから、夜になると家の中には鴎外と女中だけになる。鴎外は世間の目を気にして、女中と二人だけになる事態を避けるために、夜間は家主宅の女中を自宅に寝に来させていた。その家主宅の女中が別の家に移ってしまうと、彼は二人の女中を同時に雇わなければならなくなった。
この「女中二人制」が問題だったのである。女中が次々に止めていって、容易に家に居着かないのだ。私は鴎外の「小倉日記」や松本清張の「鴎外の婢」を読み、女中が居着かなかったのは、木村元という女中のためではないかと思った。
元はまだ20歳だったが、以前に小学校で礼儀作法を教えたこともあるという女で、女中にしては珍しく教養があった。そんな女性が、なぜ女中奉公に出たかといえば、世話になっている親戚に押しつけられて意に染まぬ結婚をし、結局、直ぐにその婚家から逃げ出して来たからだった。
鴎外がこの元に目をかけ、大事な仕事を任せるようになると、収まらないのがもう一人の女中だった。ふて腐れて仕事をさぼったり、元に敵意を示して逆らったりする。それで、元も相手のことを鴎外に訴えると、鴎外はその女中を、お払い箱にしてしまうのだ。
この時期、鴎外の耳には、あちこちから告げ口がいくつも届いている。飯炊き婆さんは、馬丁が鴎外の飼っている鶏の件で不正をはたらいていると告げ口するし、その飯炊き婆さんも鴎外宅の米櫃から米を盗んで自宅に運んでいるという情報も入ってくる。隣家の内儀は、鴎外が使っている女中が行水しているのを盗み見て、あの腹の膨らみ方から見て彼女は妊娠していると教えてくれる。そうした錯綜する情報や告げ口に振り回されて判断を誤ると、使用人たちは主人を見限ってしまうのだ。
鴎外が女中の問題で手こずっていることを知った峰子は、児玉せきをそちらに派遣したいがどうかと提案している。児玉せきが小倉の鴎外宅に乗り込んで、女中・飯炊き婆さん・馬丁らを差配すれば、彼女は内縁の妻という立場になり、結局そのまま正妻に直ることにもなりかねない。だが、峰子は高官の令嬢赤松登志子を嫁に迎えて失敗したことを忘れていなかった。どんな縁談を持って行っても耳を傾けない息子に困り果てていた峰子は、仮に、鴎外が児玉せきを妻にするようなことになったとしても、息子に一生独身でいられるよりはいいと思ったのではなかろうか。
しかし、その頃には鴎外と元の関係がかなり進行していたのである。「女中二人制」で世間の憶測を防いでいた鴎外が、木村元の相方の女中を追い出した後、別の女中を補充することもなく、元と二人だけで数ヶ月間を過ごしていた時期があり、この期間に彼らは深い関係になったと考えられるのだ。
こうした状況にあった鴎外は、児玉せきを派遣しようとした母の提案を断っている。だが、ほどへて峰子が大審院判事(今で言えば、最高裁判事)の娘荒木志げとの縁談を持ち出したときには、鴎外はこれまでのように頭から拒否しないで、母が荒木志げと接触することを黙認している。これには、推測に過ぎないけれども鴎外が木村元との関係を清算したいと考え始めたことが影響しているように思われる。
鴎外と元が深い関係になったと思われる頃から、木村元の肉親(元の姉、その夫、元の異母妹)が頻々と土産物持参で鴎外宅を訪れ、時には泊まって行くようになった。彼らは、最初の結婚に破れた元の将来を真剣に心配している者たちだった。彼らがまるで元の婚家先を訪問するような気安い気持ちで鴎外に会いに来たのは、鴎外と元が深い関係になったことを知ったからに違いなかった。
これは鴎外にとっては、迷惑なことだった筈である。それで鴎外は積極的に元の再婚先を探し、縁談がまとまると嫁入りの仕度までしてやったのだ。そして、自らの縁談を進める気にもなったのである。
鴎外は元を結婚させてから、次のような句を日記に書き付けている。
まめなりし下女よめらせて冬ごもり
ここに注目すべき事実がある。元は鴎外のもとを去ってから10年後に亡くなっているが、これを知った鴎外はわざわざ九州まで香典を届けているのだ。女中の訃音を聞いて鴎外が香典を送るようなことは、これ以前にもこれ以後もないことだった。元は鴎外にとって特別な女性だったのである。鴎外が、荒木志げと結婚する気になったのも、赤松登志子との苦い思い出を打ち消すほどに木村元との生活が好ましいものだったからだろう。
鴎外が再婚を避けてきたのは、結婚すればまた嫁姑問題が起きるだろうと考えたからだった。それ以外にも、結婚すれば、「従来熟し来たりし書生風の生活」を変更しなければならないのではないかという恐れもあった。だが、元と夫婦同様の暮らしをした結果は、自身の生活スタイルを変える必要がないばかりか、性生活を含めて、すべてが快適だったのである。
かくて鴎外は、荒木志げと結婚することになった。バツイチ同士の結婚だった。東京で式を挙げ、妻を伴って小倉に帰任すると、家の女中も馬丁も一家の主婦を迎えてウソのように静かになった。これまで家政が治まらなかったのは、主婦が不在だったからだったのだ。
(つづく)