甘口辛口

「橋の上の『殺意』」(その2)

2009/9/4(金) 午後 4:29

<「橋の上の『殺意』」(その2)>


結婚相手のKは、畠山鈴香が男の子のたまり場に行ってハントしてきた若者だった。二人が結婚したとき、鈴香は21才、Kは20才という若さだったから、二人の将来を危ぶんだ鈴香の父親は、自分が費用を出してKに二種免許を取らせ、所有していたダンプカー4台のうちの一台を運転させることにした。鈴香の父は、バブル景気の余慶を受けてダンプカー4台を持つ運送業者になっていたのである。

若夫婦の生活は、乱雑を極めていた。

家事に関する限り、鈴香はまったくの無能力者だった。どこに、なにを、どう片付ければいいのかわからなかったから、家の中は、足の踏み場もないほど散らかっていた。それでも、洗濯だけは自分でやっていた。

KはKで、経済観念がゼロに近く、スポーツ車の「スープラ」を購入して月賦を払いきっていないのに、RV車ミューを新たに買い込むというふうだった。やりくりに困った鈴香は、サラ金から30万円借り、これが後の自己破産の原因になるのだ。

藤里町の町営団地に引っ越した若夫婦は、転居二ヶ月後に長女彩香をもうけたけれども、間もなく離婚している。Kの言い分は、鈴香が家事をやらない上に気性が激しく、とても一緒に生活できないというものだった。彼は妻に蹴飛ばされることもあったらしい。鈴香の方は、Kの浪費と浮気を離婚理由にあげている。

離婚成立後、Kは団地を出て行ったから、鈴香は幼い娘を抱えて町営団地で一人で生計を立てなければならなかった。

鈴香は、この自活期間中に、転々と仕事を変えている。鈴香がいちばん長く勤めたのは、隣町の奥羽本線・鷹巣駅ちかくにあるパチンコ店だった。店は国道七号線に面していて、パチンコ台を141台、スロットマシンを75台備えていた。店員は男女五人ずつだった。給料は手取り17、8万円で、家賃が最低基準の1万6000円だったから、母娘二人で何とか暮らして行けた。

鈴香はパチンコ店で、また年下の恋人を見つけている。著者の鎌田慧は、年少の男をナンパする鈴香の心理を次のように推測している。

<パチンコ店では、七歳下の同僚Tと知り合っていた。Tは夫とちがって背が高く、男前で見栄えがよかった。

Tが鈴香に惹かれたのは、物事をズバズバいう鈴香の「正しさ」だった。「自分を引っ張っていってくれる」という幻想のようなものがあった。鈴香にもようやく、自分をまっとうに評価してくれる人間があらわれたのだ。

二六歳の鈴香が、七歳下、二〇歳前の男にのめり込んでいったのには、子どもの頃からがんじがらめにして絶対服従、家父長的な父親からの脱却願望があった。結婚した相手が優柔不断、頼りない男だったことにも、鈴香の束縛する父親から解放されようとしてきた心情がよくあらわれている>

だが、鈴香はパチンコ店を退職してから、精神科に通院するようになった。生活保護を担当している民生委員から、ちゃんとした病院で診て貰うように助言されたからだった。また、その翌年には、彼女は卵巣膿腫の手術を受けている。

少女期から、立ちくらみ、嘔吐、難聴、円形脱毛症などの病歴があり、精神安定剤を常用していた鈴香は、この頃から、何度となく自殺を企てているのである。

鈴香の精神鑑定を行った秋田大学の西脇教授は、「被告は、自殺願望者である」として、次のような鑑定書を提出している。

<被告人は平成一七年五月三日に大量服薬自殺を図り、常識的にはその時落命するところであった。しかし日常的に薬物、特にかなりの量の睡眠薬を常用していたために被告人の身体にはかなりの耐性が出来ており未遂に終わっている。

そしてその後もインターネットの自殺サイトにアクセスして自殺の方法を研究し、特に練炭による一酸化炭素中毒による自殺を思い立ち、排気を防ぐための目張り用のガムテープまで購入したが、練炭の使用方法がわからなかったために練炭購入に至らなかったものの、常に自殺願望が持続していたものである。

さらに事件発生後にも、能代警察署留置場に拘留中に、タバコを食べることによる自殺企図、ボディーソープを半瓶くらい一気に飲む自殺企図、さらには秋田刑務所に移転してからも平成十九年八月二十五日に自らの手で頸部を締めようとする自殺企図があった>

娘の葬儀の後、実家に身を寄せた鈴香は頭痛、不眠、めまい、食欲低下などに襲われ、ヨーグルトしか食べられなくなっていた。彼女は、一人になって落ち着きたいと願ったが、実家の肉親は自殺されることを恐れて、鈴香が団地に戻ることを許さなかった。

鈴香は幼い頃から父親の暴力にさらされ、学校ではクラスメートによるいじめの標的になった。こうしたことから、さまざまの心因性の持病に苦しむようになったところへ、シングルマザーになってからは、自殺を繰り返しては失敗するという行為が加わるのだ。彼女の記憶のいくつかが、自我保全のために選択的に意識内から抹消されるという現象が起きても不思議ではない。

鈴香が慎重に行動するかと思えば、自滅的な行動に走り、行動に一貫性が見られないのは、こうしたごたごたが連続していたからだと思われる。彼女は母と弟、それに恋人のTを愛していた。特にTに対する愛情は深く、獄中で書かれた彼女の手記を読むと、彼女にとってTが最愛の存在だったことが分かる。

にもかかわらず、鈴香は豪憲少年が行方不明になったったとき、「Tが怪しい」と口走ってしまう。これが原因で、対抗上Tは法廷で鈴香に不利な証言をすることになる。この裏切りとも取れるTの証言を聞いて、彼女は真っ暗な気持ちになるのだが、そもそもこれは鈴香自らが播いた種だったのである。

鈴香は手記にこう書いている。

<よかれと思って何かしても裏目裏目に出てしまった。・・・・辛いことも苦しいことも何もいらない。ただ静かにひっそりと生きたかった。それすらもかなわなかった。十分がんばって生きた。もういいだろう>

この数行の文章を私は、今回、鎌田慧の本で初めて目にしたのだが、これには畠山鈴香という女のすべてが現されているように思われる。私が彼女に関心を払うようになったのも、鈴香がこういう文章を書くような女だと感じたからだった。女性の犯罪者には愚かなものが多く、逮捕されても、その理由を筋道立てて考える能力のないのが普通だが、鈴香は違っていた。事件が起きた頃(06/6/10)、私は自分のHPにこんなふうに書いている。

<畠山鈴香という女が、ほかの女性犯罪者と違う点に気づいたのは、時折、彼女の口にする漢語混じりの言葉を聞いたときだった。彼女は実家のまわりにたむろするTV関係者に向かって、「早く、そこから撤収してください」と叫んでいた。「撤収」という新聞用語風の言葉を、男は時々使う。けれども、日常用語として女が使うことはほとんどないのである。ほかにも、彼女は何気なく、「得策ではない」と言ったりするが、これも、あまり女性が口にしない言葉だ。

畠山鈴香は、小中高を通して友達を持たず、一人でいることが多かったといわれる。
友人のいない孤独を埋めるために、女の子は過食して肥ってしまったり、少しも似合わないお洒落に身をやつしたりする。ところが、畠山鈴香は、読書に親しんでいたのである。彼女がほかの女性が使わないような漢語を口にしてしまうのは、活字の世界に深く馴染んでいるからなのだ。習い性となって、彼女は「渦中の人」になっても、事件を伝える週刊誌を山のように買い集めて赤線を引きながら読みふけるようになった。彼女の脇には、読み終えた週刊誌や新聞が山積みになっていたという。

彼女は、あらかじめ考えておいた通りのことを語り、既定路線を一歩も踏み外さない。
記者たちの質問が想定範囲内のことなら、彼女は理路整然と語ることが出来る。だが、任意出頭して取り調べを受け、取調官から想定外の質問を浴びせられたり、発言の矛盾を突かれると、途端にもう対応できなくなってしまう。黙り込んで、体の不調を訴えるのだ。これが演技性人格の女なら、どんな訊問をされようと、変幻自在の返答を駆使して相手を煙に巻くのである>

<秋田小一殺人事件を取り上げたワイドショウを見ていて、(ああ、これが畠山鈴香の原点だな)と思わせるようなエピソードにぶつかった。

そのエピソードとは、畠山鈴香が小学校の低学年だった頃、食の細かった彼女が食べ残した給食を机の中に隠しておいたというものだ。彼女の行為は、隠しておいた給食が腐敗して教室中に悪臭を発散させたことで露見したが、この話から二つのことが分かるのである。

その第一は、彼女がイヤなものを拒否する好悪のハッキリした少女だったということだ。第二は給食を処分するやり方が投げやりで、慎重な配慮を欠いていたということなのである。以上のことを頭に置いた上で今回の事件について考えてみよう。「イヤなものを拒否する」という点では殺人という行為はその最たるものであるし、殺人を犯す前後の畠山鈴香の行動は、小学生の頃の給食事件を連想させるほどに投げやりで杜撰なのである。

彼女は真っ昼間に児童の遺体をクルマに積み込み、白昼堂々とそれを河畔に捨てている。その犯行が人目に触れる危険性は、フィフティー・フィフティーだったのである。普通の人間ならもう少し頭を働かせるところを、彼女はばれたらばれたときというような居直りに近い気持ちであえてああした行動に出たのだ>

畠山鈴香の居直ったような、投げやりな行動は、「健忘」という症状を持ってくると説明できるような気がするのである。