<ゴミ屋敷の主は、なぜゴミを溜めるのか>
ゴミ屋敷の話が、ちょくちょくテレビのワイドショウで取り上げられている。けれども、よく分からないのが屋敷の主の心情で、彼らはなぜ自宅の内外をゴミで埋め尽くすのだろうか。
新聞の広告によれば、「巡礼」(橋本治)は、その疑問に応えた衝撃の文学作品だという。それで早速購入したら、本の「腰巻き広告」には、こんな文字が並んでいた。
<男はなぜ、ゴミ屋敷の主になったのか? 戦後日本を、生真面目に、ただ黙々と生きてきた男が最後にすがったのは、「ごみ」という名のなにものかだった。その孤独な魂を抱きとめる、恐るべき傑作長編!>
この広告を読んで、主人公の内面を知ることが出来るかもしれないぞと、期待をもって本を読み進めたのだが、問題の箇所がなかなか出てこないのである。全体の三分の一のページを読み終えたのに、作品の主人公である下山忠市という荒物屋の長男は、まだ登場してこない。では、冒頭の三分の一のページに何が書かれているかと言えば、ゴミ屋敷周辺に住む主婦たちの動きや、忠市の母親のことだけなのだ。
ようやく主人公の下山忠市が登場したと思ったら、今度は彼の子供の頃からの生育歴が延々と語られはじめる。残りの三分の二のスペースのあらかたが、ゴミとは関係のない忠市の人生行路を描くことに費やされている。だから、この小説は、下山忠市なる男の生涯を描いた伝記的作品のような外見を呈しているのだった。
叙述の何処からも、後年の忠市がゴミ屋敷の主人になりそうな気配は感じられないし、そのための伏線らしいものも発見されない。だから、気の早い読者は、広告の文章にだまされたような気分になってしまう。
しかし、その関門を通りすぎると、読者は作者の意図に気づいて、(成るほど、そういうことだったのか)と目が覚めたような気になる。そして、改めて、末尾の15行をもう一回読み返すのだ。この中に、作者の意図したことのすべてが書き込んであるからだ。
主人公の下山忠市も、弟の修次も、東京郊外にある荒物屋の子供だった。二人とも、高校卒業後に中小企業に就職し、そこで青春を過ごしている。現代人の過半数は、男も女もこうした経歴をたどって生きているから、忠市・修次は、平均的日本人といってもいい。実際、彼らは典型的な日本人であって、作品を読んでいると自身の肖像を見るような気がしてくるのである。
忠市は就職後、酔いつぶれた女を助けて相手のアパートまで送って行き、そこで童貞を失っている。やがて勤め先の社長の勧めで、彼は安サラリーマンの娘と見合をする。娘は、容姿もぱっとしないし、世間知らずで、相手に丁寧にするしか人との対応法を知らないような女性だった。忠市の父親は、「どんな娘も、嫁に行けばコンセントから電気を注入されたように、自動的に<女>として動き出すものだ」という女性観の持ち主だったから、彼は嫁になる娘に何の条件もつけていなかった。忠市の母親も、内心、娘の気が利かないことに呆れていたが、この段階では、まだ娘に不満を抱いていなかった。
忠市と娘は、こうして結婚した。すべてが中途半端でハッキリしないままに、二人は何となく結婚してしまったのである。
<すべては具体性を欠いて曖昧で、しかし、その曖昧な「全体」は、別に歪んでもおかしくもなかった。男は二十七歳の適齢期で、女も二十二歳の適齢期で、男は働き者であったし、女は女らしかった。それ相応の年になれば、「現実」というものがやって来る。やって来たら、その「現実」の中で生きて行く──それですべてが了解されて、これを了解しないのはただの怠け者であるという、いたってシンプルな常識で出来上がっている世界だった(「巡礼」)>。
忠市は、結婚と前後して会社を辞め、家業を引き継いでいる。とりとめのない形で出発した結婚生活は、二人の間に生まれた幼児が小児ガンのため亡くなると、簡単に崩壊した。姑との関係を悪化させていた妻は、死んだ幼児の遺骨を下山家の墓に入れたくないと言い張り、骨壺を持って実家に戻ってしまったのだ。彼女は、忠市がいくら懇願しても二度と下山の家に帰ってこなかった。
やがて忠市の両親は死に、弟も家を出てしまって、忠市はただ一人家に取り残された。彼は孤独のうちに年老いていった。稼業は荒物屋から瓦屋に変わっていたが、商売を続けるのも億劫になってきたので、店を閉めてしまった。幸い、手元には亡き母が忠市名義で積み立てていてくれた2000万円余の預金があり、年金も支給されていたから、忠市が食うに困ることはなかった。
──作者は、こんなふうに下山忠市の人生を描いて行って、いきなり彼がゴミ集めを始めたことに話を転じるのだ、伏線も何も全く省いたままで。
しかし、物語が終わってみれば、読者は下山忠市のとりとめのない人生の総体が、ゴミ集めのための伏線になっていることに気づくのである。
下山忠市は稼業を止めるまで、勤勉に働き続け、老後を遊んで暮らして行けるだけの金を持っていた。彼は別に自分の仕事に情熱を持っていた訳ではなかったから、あっさり瓦屋を廃業したのだが、彼の体は、無為徒食の生活に慣れていなかった。それで彼は何かをすることを──それも生き甲斐を約束してくれるような意味ある何かをすることを漠然と求め始めた。忠市は彼なりに自分がこれまで意味のない仕事を習慣的に続けて来たと反省していたから、何か生き甲斐を感じさせてくれるような仕事を探し始めたのだ。
が、彼は何をしたらいいのか思い当たらなかった。彼の周囲にはボランティアに誘ってくれるような知人もいなかった。
忠市は、ある日、外出先で、まだ仕えそうな用具の入っているゴミ袋を見つけて家に持ち帰った。捨てずに取っておけば、役に立つこともあろうかと考えたのだ。そして、これが日課になったのである。彼が毎日持ち帰ってくるゴミ袋で家の内外は埋まり、近所からの苦情が絶えないようになった。
実のところ以上述べてきたのは作品からヒントを得た私の推測であって、著者が忠市の心情について記しているのは、次の文章だけである。
<自分が積み集めた物が「ゴミ」であるのは、忠市にも分かっている。「片付けろ」と言われれば片付けなければいけないことも、分かってはいる。しかし、それを片付けてしまったら、どうなるのだろう? 自分には、もうなにもすることがない。片付けられて、すべてがなくなって、元に戻った時、生きて来た時間もなくなってしまう。生きて来た時間が、「無意味」というものに変質して、消滅してしまう。
「無意味」は薄々分かっている。しかし、そのことに直面したくはなかった。「自分のして来たことには、なにかの意味がある」──そう思う忠市は、人から自分のすることの「無意味」を指摘されたくはなかった。「それは分かっているから、言わないでくれ」──そればかりを思って、忠市は一切を撥ねつけていた(「巡礼」)>。
忠市のゴミ屋敷がテレビで取り上げられ、一種の名所になると、長い間音信不通だった弟の修次が訪ねて来る。七十二才になって少しばかり頭がぼけ始めていた忠市は、弟の説得を受け容れて、ゴミの山を処分して、弟と共に四国八十八カ所の巡礼に出かけるのだ。弟も妻を亡くし、二人の子供は独立して孤独になっていた。
遍路の旅を続けているうちに、虚脱したようになっていた忠市の顔に、人間らしい表情が戻って来る。
<「兄貴はついに、生きる気になったか」と、修次は思った。老いた兄の笑顔は、どこかで鄙びた仏像の顔を思わせて、兄の笑顔を見たのは、何年ぶりだろう」と修次は思った。何年、いや何十年ぶりなのか──(「巡礼」)>
そして、この翌日に下山忠市の上に、最終的な救いが訪れるのだ。読み終わってみると、「巡礼」は、極めて宗教色の濃い作品なのであった。著者は、生きるということを最終的な救いを求めて旅する巡礼だと考えているのである。
私は「巡礼」を読んでいて、忠市の家の中がゴミ袋で埋まり、寝所にたどり着くまでの通路が「立山連峰雪壁の道」のようになり、体を横にして蟹歩きしなければ進めないという描写にさしかかったとき、「地蔵になった労務者=宮沢芳重」のことを思い出した。
宮沢芳重はボロ家に住む労務者だったが、生前に得た収入のほとんどすべてを学校や図書館、あるいは民間の学者に寄付していた。傾きかけた彼の家は、十数本の柱や丸太を支柱にして辛くも支えられ、屋根は赤錆びたトタンで覆われ、これ以上はないという陋屋だったのである。
宮沢芳重の家の中にはいると、壁にはミカン箱が積み上げられていて、体を横にしなければ先に進んで行けない。奥には寝起きするための2メートル四方の空間がある。雨が降ると、しきりに雨漏りがする。そこで、彼は頭上に拡げた傘を取り付けて、体が濡れるのを防いでいたのだ。
彼は小学校を卒業したとき、「高等科」に進みたかった。昭和初期の学制では、中学校に進学できない生徒のために、小学校の延長部分として二年間の高等科が用意されていたのである。この高等科に進めなかった宮沢芳重は、生涯、学問への夢を抱き続け、自分が果たせなかった夢を実現するために、身を粉にして研究機関への寄付を続けたのだった。それが宮沢芳重の生き甲斐だったのだ(宮沢芳重の生涯については、・https://amidado.jpn.org/kaze/exp/diary6.html を参照されたい)
生き甲斐を持てなかった下山忠市は、その代償行為としてゴミ集めに精出したと見ることが出来る。もしかすると、「巡礼」という作品はゴミのようなものを集めることで生涯を終える現代人を皮肉る寓意小説かもしれない──(2010年,元旦早々、妙なブログを書いてしまった)。