父親の女児虐待
栃木県さくら市で起きた「女児虐待」事件は、31歳の父親が12歳になる娘を虐待し、午前四時頃に寝ている娘を起こして髪の毛をつかんで顔面を殴りつけ、2週間の打撲傷を負わせたというものだった。しかし、これは警察が訴因の一つにあげているものに過ぎず、これ以前に女児は自宅前の路上で倒れているところを発見され、施設に運ばれて保護されていたのである。
この事件に関心を抱くようになったのは、問題の父親が娘に日記を書かせていたという新聞記事を読んだ時からだった。娘はその日記に、「父さん、、大好きです」と書いていたというのだが、私はすでにイギリスで起きた同じような事件を、翻訳物のノンフィクションで読んでいたのだ。
私は以前に、「BOOK OFF」の百円コーナーに並んでいた、「復讐の家」(阿尾正子訳:原書房発行)という単行本を買って来たことがある。著者がアレグサンドラ・アートリーとなっていたので、どうやら翻訳物のミステリーらしいなと判断して、何となく買ってきたのだ。家に帰って、読んでみると、それはミステリーではなく、家庭内暴力をテーマにしたノンフィクションだった。奥書には、訳者の言葉としてこんなことが書いてあった。
<・・・・ともすると興味本位にあつかわれがちな性的虐待の被害者の人生を、抑制のきいた文体でみごとに描きあげている。本書がCWAのノンフィクション部門でゴールド・ダガー賞を受賞したのもうなずける>
欧米で出版されて、現地でバストセラーになっているノンフィクションを何冊か読んだことがある。いずれも日本人には想像もできないような凄まじい内容のものばかりだった。これもその手のものだろうと読んで行くと、やはり凄まじい内容で、一見ハンサムに見える男が、妻に対して言語に絶するような暴行を働き、二人の娘にも暴力をふるった末に、娘たちを相継いで犯かすという話だった。
この男は、最後に姉妹によって散弾銃で射殺されてしまうのだが、あまりひどい話なので、途中で読むのをやめてしまったのだ。ところが、この射殺された父親が、長女に日記を書かせているのである。娘は命じられるままに父の喜ぶような日記を書き続け、書いた中身について父の検閲を受けていた。
イギリスのランカシャー州に住むこの男も、日本の栃木県に住む男も、家庭内暴力で妻子を苦しめながら、娘に日記を書かせていた点で共通している。いったい、この二人の暴力男は何を考えていたのだろうか。
栃木県の男に関する情報は、僅かしかない。彼の職業も不明だし、その妻のことも皆目わからない。彼が虐待した娘は、妻の連れ子だというから、彼はバツイチの女性と一緒になったのかもしれない。その妻は、男の暴力に耐えきれなくなったらしく、娘を残して家出しているのである。
ランカシャー州の男は、妻と次女の外出中を狙って、12歳になった長女を犯している。栃木県の男が、12歳の義理の娘と二人だけで暮らしていたこと、そして娘が施設に引き取られると、彼女を奪い返そうとして施設に侵入したことなどを考えあわせると、部外者としてもいろいろ心配になってくることがあるのだ。
栃木県の男の情報が得られないとしたら、ランカシャーの男について考えてみるしかない。そこで、改めて「復讐の家」を最後まで読み通してみた。そして気がついたのは、その記述に矛盾した箇所や不正確な部分があることだった。例えば、著者は長女が父に犯された時の年齢を12歳と書いたかと思うと、別のところでは14歳だったと書いている。そして、男が初めて妻を殴ったのは、ハネムーンの寝室だったと言ったり、ハネムーンから帰って数日後のことだったと言ったりする。ハネムーンから帰宅後とした記述には、それに続けて殴り倒された妻が失神したという記述がある。
もっと不審なのは、年齢に関する表記で、父親が二人の娘から射殺された時の年齢を57歳、この時長女は36歳だったとしている。すると、父が結婚したのは20歳前後ということになる。母が長女を妊娠したのは正式に結婚したのちのことであり、娘はちゃんと月満ちて生まれてきているからだ。ところが、著者はランカシャー男が結婚したのは、24歳の時だったと書いているのである。
著者は、このノンフィクションを書くに当たって、母親・長女・次女を始め多くの関係者から取材している。その過程で、著者は互いに矛盾し、真偽入り交じった話を聞き込み、それらを十分整理しないまま原稿にしたのだろう。
<父親トミー・トンプソン>
父親は、なかなかハンサムな男で、成長した娘と歩いていると、恋人同士と間違えられるほどだったという(栃木県の男も、テレビにちらっと映ったところをみると、身綺麗な、様子のいい男だった)。召集されて第二次世界大戦に参加した後に、除隊して紡績工場で働き、人員整理で失職してからは建築現場の日雇い労働などに従事していた。
彼は4人兄弟の末子に生まれ、兄弟の中では母親から一番愛されていたが、母はこの末子のなかに危険なものを感じ取っていて、息子の婚約者が訪ねてくると、「これだけは言っておくよ。あの子はきっと、あんたをひどい目にあわせるから」と予言している。結婚式の準備がすべて整ったときにも、「あの子と結婚することを決めたのは、あんただからね、その責任は自分で取ってもらうよ」と釘を刺している。
彼は結婚後、新妻の母の家に同居することになった。戦争直後のことだったから、住宅が極端に不足していたのである。妻は新婚の夫について、こう語っている。
「結婚して何日もしないうちに、トミーがひどい癇癪持ちだということがわかりました。あの人は怒りを抑えませんでした……あまり大きな声を張りあげるので、母がご近所の迷惑になるからすこし声を落としてくれと頼んだこともあります。母はまた、あの人がカツとなってわたしを殴る音も聞いています……お義母さんに話しても無駄でした。義母はトミーの性格もやり方も知っていました。義母はよくわたしにこういったものです。あんたが決めたことだから、自分で責任を取れ、と」
彼は妻に対して暴力を振るうだけではなかった。年若い妻は、石鹸工場に勤めていたが、彼は妻の職場を、「あのくだらない石鹸工場」と呼んで、小馬鹿にしていたのである。
新妻は顔を殴られて鼻の骨を折るような目にあってからは、夫の帰宅を戦々恐々と待つようになる。彼が仕事から帰ってきて鍵穴に鍵を差し込む音がすると、それが合図のようになって手のひらは汗ばみ、心臓の鼓動が早くなるのだ。
凶暴な夫が妻を殴るきっかけは山はどあった。自分の嫌いな料理を出されたというものから、セックスを拒絶した、子供の行儀が悪い、妻が挑戦的な態度や口のきき方をしたというものまで数限りなくある。だが、彼の場合は、次のようなケースも加わっていた。
彼が家にいるとき、妻は赤ん坊を抱くこともあやすことも許されなかった。さっさと乳を与えたら、赤ん坊をすぐにベッドに戻せといわれた。子供を抱きたい、あやして安心させてやりたいと思う母親の気持ちに呼応するように、子供の方も小さな手を挙げて、母とのあたたかいふれあいを求めている。赤ん坊の泣き声に刺激されて乳房がおかしなくらいばんばんに張ってきても、妻は赤ん坊を無視しなければならなかった。
彼は義母に対しても嗜虐的だった。義母は初めて生まれた孫娘を抱きたくてうずうずしていたが、抱くことはおろか、孫に指一本触れることも許さなかった。
(つづく)