佐野洋子の「役にたたない日々」(その2)
*韓流映画のトリコになる*
佐野洋子が、韓流映画のトリコになったのは、息子の友人が彼女を見舞いに来て、DVDの「冬のソナタ」全巻を貸してくれたからだった。そのいきさつを、彼女はこんな風に書きはじめる。
<三十六の男がリュックサックをしょって見舞いに来た。中からビデオの「冬のソナタ」 全巻を出して「持って来てやった」といった>
佐野は、そのDVDを見始めたら、止まらなくなったのだ。
佐野は、何回もボーボー泣いた。彼女は寅さんを見ている時にも泣いたが、こんな風ではなかった。佐野は生まれて初めて、この様な泣き方をしたのである。彼女の魂は、全く別次元の、この世でもあの世でもない世界に迷い込み、心臓をよじるように泣いたのあった。
これが、はじまりだった。韓流ビデオを賛美する佐野の言葉は、尽きることなく続くのである。
彼女はDVDを見て大泣きをしたが、ストーリーの筋立てがめちゃくちゃであることを見逃していたわけではない。物語は、まさにヨン様受難の歴史であった。交通事故に二度も遭っている。二回とも、恋人チェ・ジウに会いに行くところだった。あと三メートルで抱き合えるところで、大きな自動車にはねとばされるのだ。
続いて彼の記憶喪失があり、チェ・ジウに思いを寄せる幼なじみの男も出てくる。佐野はテレビでも映画でも、この男のようなストーカーを見たことがなかった。執念深いのである。執念深いと云えばヨン様も女も執念深い。そのくせチェ・ジウは、ヨン様とストーカーの間を行ったり来たりして、その時々に手を強くひっぱる男の方に気持ちが傾いてしまうのだ。佐野としても気をもまざるを得なくなる。
佐野洋子は、麻薬患者が麻薬に溺れるように、韓流ドラマを追い求めるようになった。韓流ドラマを見ていると、不思議な恍惚感に包まれるのである。佐野は、考え込む、六十六歳になる自分をこれほどまでに幸せにしてくれる韓流ドラマとは、そもそも何なのだろうか。これを知らずに、この幸せを知らずに死んだら、自分の一生は、「あー損したなあ」ということになったろう。
佐野は、自分の生涯を顧みて、こんな幸せな瞬間がいくつあったろうかと、指を折って考えてみた。
振り返ってみると、この幸福感は今までに感じてきた幸福感とは、確かに違うのである。彼女は、これまでに良質の映画を沢山見てきた。泣いた映画も数知れなかった。心あたたまる映画も、悲しみを癒してくれる映画も見た。だが、やはり、韓流ドラマが与えてくれるような至福感はなかった。
韓流ドラマのストーリーなど、ほとんどがご都合主義のでっち上げばかりだった。辻褄の合わない、ケッと云いたくなるようなもののオンパレードなのだ。でも、見ていると幸せになるのである。えらい人は韓流ドラマの魅力を分析するが、佐野洋子は肩をそびやかせて、こう宣言するのだ。
「好きなものに理由などないではないのよ。ただ、好きなのよ」と。
佐野は、韓国に出かけて、「冬のソナタ」の撮影現場を見に行った。そしたら、そこは、日本からやってきたオバサンたちでいっぱいだった。
佐野もこれらオバサンたちと同じように、韓流ドラマ依存症になり、身をもちくずしてしまった。だが、おかげで、今までオドオドしていた気持がカラッと明るくなった。彼女は、自分がドラマのおかげで解放されたと感じる。だから、同じドラマを何度でも見るのである。大事な時間がつぶれる。お金も馬鹿にはならない。それでも韓流ドラマを見ずにいられないのだ。
佐野洋子は、オバサン達は淋しいのだと考える。
彼女らは、やる事がないのだ。そして人生はもう終わりかけているのである。家にはうすら汚い小父さんがころがっている。半端な恋ごころで、あるいは親の云うとおりに見合いなんかして結婚し、見はてぬ夢をいまだに抱え込んでいるのだ。熱烈な恋も長続きしなかった。もう亭主とセックスなんかしたくない。いや、誰ともセックスなんかしたくないのである。
日本の女たちは、みんな韓流ドラマに夢中になっている。
BSの番組表を見ると、どの放送局も競争で韓流ドラマを何本も番組の中に組み込み、まるで韓国のテレビを見ているようなのだ。注目すべきは、昔はフランス映画しか見なかったような上流階級の令夫人や政府高官の妻たちが、娘時代に培った教養をかなぐり捨てて恥も外聞もなく、韓流ドラマにうつつを抜かしていることだ。安倍晋三夫人、鳩山由紀夫夫人などは、佐野洋子同様、韓流ドラマ依存症になっているという。鳩山夫人のごときは、首相夫人という特権を生かして、お気に入りの韓流スターを頻繁に首相官邸に招き、周囲の顰蹙を招いていたほどだった。
だが、日本の男性は、女性ほどには韓流ドラマに夢中になっていない。私なども韓流ドラマで見たといえば、「冬のソナタ」と「猟奇的な彼女」の二本だけだ。私は、この二本を見て、(おや、何かに似ているぞ)と思った、(そうだ。松竹大船撮影所の量産した女性映画に似ている)
松竹大船撮影所は、戦前戦後を通じて現代物、それも「女性映画」を数多く制作していた。松竹映画の戦前の代表作は「暖流」であり、戦後の人気作品は「君の名は」だったが、どうして松竹映画が人気を博したかといえば、観客を当時の世相とは裏腹な温かな愛情の世界に連れて行ってくれたからだった。
「暖流」が封切りされたのは、日本が泥沼のような戦争に突入し、男たちが次々に召集されて戦場に赴いた時代だった。食べるものにも着るものにも事欠き、時を得顔の軍人の怒号ばかりが耳に響く「貧寒時代」だったから、現実を忘れさせてくれる「愛情あふれる温かな世界」を求めて女たちは映画館に足を運び、松竹はそれに応える映画を量産したのである。戦争が終わって飢餓から一応解放されたが、日本にはまだ風呂場のない家が多かった。だから、ラジオ放送で「君の名は」が放送される時間になると、銭湯の女風呂はガラガラになったのである。
日本が高度成長期を経て、各家庭に風呂場が備え付けられるようになると松竹大船撮影所の女性映画は退潮期を迎え、代わってテレビの「昼メロ」時代が始まる。
一方、韓国では、日本が「昼メロ」時代に入ってからも、依然として松竹大船調の女性ドラマが作られ続けている。なぜだろうか。
韓国と日本は、ほぼ同型の社会を形成しているが、生活面をとってみると、あらゆる点で韓国の方が日本より半歩ずつシビアなのだ。第一に、韓国には徴兵制があり、儒教道徳が市民生活の末端まで浸透している。今でも、若い男女は、親の許可がなければ結婚できない。受験戦争は日本より激しく、少子化の速度も日本を上回っている。こういう厳しい社会に生きているから、韓国人は今もなお現実とは異なる世界を求めて、松竹大船調のドラマを作り続けるのである。
佐野洋子は、韓流ドラマを総括して、こういっている。
「ストーリー展開は問題ではない、もう情のみなのだ。恋人同士の恋情の強さ、家族愛の強烈さ、友人同士の自己犠牲、もう情をとことん使い抜くのだ。・・・・韓国人から見たら無表情とあいそ笑いの日本人は気味悪かろう」
佐野をはじめ日本のオバサン族が韓流ドラマに熱中するのは、若かった頃に松竹の女性映画を通して夢見た愛の世界を再体験するためなのだ。オバサンたちが夢想した世界は、文字通り夢に終わったから、赤玉ポートワインをウイスキーに変えるように、松竹大船作品をもっと濃厚にした韓流ドラマに走るのである。
佐野を始め、安倍晋三夫人も鳩山由紀夫夫人も、そして世の韓流ドラマ依存症のオバサンたちも、子供の頃から精神面で、あるいは物質面で、シビアな生活を強いられていたと思われる。彼女らを眺めていると、過去の侘びしかった少女時代が透けて見えるような気がするのだ。
佐野洋子は、確かに、厳しい少女時代を過してきたのである。
(つづく)