孤立から低所志向へ(その3)
*第二の啓示*
私が結婚したばかりの妻を伴って木曽の高校に赴任した時には、もう三十四歳になっていた。私は病気療養十年の後に、ようやく正規の教員に復帰することが出来たのである。翌年に長女が生まれる。長女が生まれた年の夏休みに、私は権兵衛峠を越えて、一人で伊那に帰ろうと思い立ったのだった。
妻は長女に定期の乳幼児検診を受けさせるために、夏休みに入ってもすぐに帰省できなかったのだ。私も長女の検診が済むまで待って、一家そろって伊那に帰るべきだったが、先乗りという形で自分だけ一足早く伊那に帰ることにしたのである。だが、先乗りというのは口実で、本当は一人になって考えたい問題があったからだった。長い病気で、すっかり脚力が弱っているのに、歩いて山を越え伊那の自宅に帰ろうと思い立ったのも、この問題に関連していた。
私は結婚する前に、「神秘体験」「宗教的体験」と呼ぶしかないような奇妙な現象を体験している。宇宙の始原に連なるような光に突如包まれて、数十分を異様な状況下で過ごしたのだ。その数十分間、私はこれまで感じたことのないような喜びの中にあった。自分がこの日まで生きてきたのは、この瞬間に巡りあうためだったと信じ込んだほどの歓喜だった。が、次の日になると私は元の木阿弥、以前のままの欠点だらけの情けない人間に戻っていた。
あんな妙な体験を味わうことは二度とないだろうと思っていたら、木曽に赴任して間もない頃、場所もあろうに薄汚れた映画館のなかで再び同じ体験に遭遇したのだ。
(あれは、一体、何だったのだろう)
一種霊的な体験と思われるものに遭遇しながら、次の日には以前のダメ人間に戻っていたところは、前回と同じだった。あの現象には、人を変える力がないのかもしれない。としたら、あの体験は狐にだまされたのと何ら変わりがないではないか。
私はこんなふうにも考えてもみた──あの圧倒的な光の奔流と見えたものは、自我の背後に隠れていた本当の自己、「真我」と呼ぶべきものが表層の自我を押し流したところだったのだ。だが、その解釈には、どうも無理があった。キリスト教徒は、人間の内面には魂の層があり、神はこの層を媒介にして信者の前に来臨すると考えているようだった。これは、なかなか魅力的な考え方だったが、無神論者の私には到底受け入れることが出来ないような飛躍があった。
私は、あの体験は鬼面人を驚かす式のもので、さっさと忘れてしまうべきだと思ったが、そうはいかないのである。折あるごとに私は、(あれは一体何だったのか)と考えているのだ。私が自分を罪ある人間と感じるようになったのも、あの光のせいかもしれなかった。あの光は、私のダメさ加減をたえず照らし出し、私に苦しむことを要求しているようだった。
──勤務校の夏休みは七月二十日からだったが、私は月末に近くなって帰省の途についた。朝方、借家を出て中央西線の列車に乗り、正午少し前に奈良井駅で下車して、木曽と伊那の境にある権兵衛峠目指して歩き出した。
濃緑の山中を割り開いて、街道が強い日差しの中にしらじらと浮び上っている。時折、自動車が通り過ぎるほかに、行き会う人影はなかった。私は、全く罪人のようにトポトボ歩いていた。私は自分を流刑に処するかのように、あてども知らぬ山中の街道へわが身を投げ出しているのだ。あたりに、真昼の光が張り詰めているので、自分の内面の暗さが余計に目立つように感じられた。
途中で営林署のジープに拾われて、峠の麓まで運ばれなければ、私は道半ばでダウンしてしまったかもしれなかった。ジープのお陰で私は峠を越えて、その日の夕方、ようやく無人にしてある伊那市の自宅にたどり着くことが出来た。
翌朝、サンダルを突っかけて戸外に出てみると、塀に囲まれた、かなりの広さの庭の全面に雑草が丈高く茂っている。どこもかしこも、一分の隙もなく草で覆われていた。空き家にしておいた自宅の空虚な感じと相まって、あたり一面、荒廃の空気が色濃く漂っている。
一人になって考えるための帰省のはずだった。だが、私はその日から麦ワラ帽子をかぶって草むしりに取りかかったのだ。朝から夕方まで、カソカソ照りの中で、唯ひたすら草を抜き続けた。毎日が抜けあがるような晴天だった。
二日に一度ほど、食糧を買いに外出するほかは、一歩も外へ出ない。毎朝、物置から持ち出した石油コンロで飯を炊き、昼食は冷飯に水をかけて佃煮と味噌漬けで済ませ、夕食だけはカソ詰めか何かで残った飯を食べるのである。
夜になると、裸電球をともして、鈴木大拙選集を読む。だが、睡魔が襲ってくるので、本を読むのも、考えるのも長く続かない。早々に寝て、朝は早く起きるのである。こうして妻子がやってくるまでの十日間ほどを、精進潔斎、修行僧のような日々を送った。
地面にかがんで作業を続けていると、内面がやはり、低くうずくまって静止する。真昼の陽の下で、暗い内面を保ったまま仕事をするのは、陽の下に固く鎖された暗室があるようなものであった。
一日に何度か水を飲むために家の中に入る。すると、ひんやりした台所の内部が、一瞬、真っ暗に見える。コップの冷水を飲みながら戸外を眺める。庭のあちこちに、引き抜いた草が小さな山になっていくつも並んでいる。水を飲み終ってからも、強烈な日光が殺到する庭を眺めている。そうやって庭を見ていると、もう一人の自分が、背後からこの場面の全体を眺めているような気がしてくるのだ。
来る日も、来る日も、地面にかがんで、自分の内部の暗さを眺めていた。我と我が身を苦しめるほかに、何も考えなかった十日間だった。
その十日間が、私に思いがけない啓示をもたらしたようだった。
私には生命の本体も、宇宙の起源も、解脱にいたる道筋も、すべて分からなかった。しかし、何も解らないままに、地面にかがんでいるうちに、おのずと普遍的なものと重なっているような平安を感じ始めたのだ。
大地という「底辺」に膝まづいている時に、私達の姿勢は最も低くなる。そして、その時、空は最もひろがりを増し、普遍者と個別者の関係が明らかになるように思われる。可能と不可能、明と暗のはぎまで、膝をついて待つのが人間に与えられた運命かもしれない。
私は「四時行なわれ、百物生ず、天何をか言わんや」という論語の一節を呟きながら、草をむしり続ければいいのである。営々と働きながら、身を低くして解が得られるのを待つのだ。その姿勢が一番楽なのだから、待つ時間がいくら長くても苦にならないのである。
(つづく)