(ミレー「窓辺の家族」)
孤立から低所志向へ(その2)
*最初の啓示*
戦争中の「日本国民」と私の関係は、よその家族の中に紛れ込んだ下宿人といった風のものだった。私は一応、毎日学校に通っていたけれども、寮や教室の仲間と私が共有している感情は一つもなかった。友人らは私をウサン臭い目つきで眺め、私に寄せられる最大限に好意的な批評も、「君は超然としていられて結構だな」というものだった。これには問責に近い調子がこめられていた。
上京して程なく、私は上野図書館に通うようになった。
学校の講義が済んでも寮には帰らず、そのまま都電に乗って上野へ廻るのである。学童疎開以後の上野公園はすっかりさびれて、昼間、園内の主要路を歩いていても行き合う人は稀になっていた。樹々の茂みを貫いて、時折、動物園に飼われている水鳥の鋭い鳴き声が響いてくるだけで、公園全体が田舎の森のようにしーんと静まり返っているのだ。
図書館の閲覧室に入ると、河合栄次郎選集を借り出して一冊ずつ読んだ。河合栄次郎はマルクス主義を批判するという名目の下に、かなり同情的な態度でマルクスの理論を紹介していた。私はノートにその要旨をメモした。マルクス主義を頭において眺めると、戦争の本質が手に取るようにはっきり解った。私は、この時知った「自由とは洞察された必然である」というへーゲルの言葉を長く心の中にとどめた。
上野図書館に通うようになって二カ月ほどした頃、本を読んでいて、次の一節にぶつかった。
「力をもって真理を強制する必要はない。真理は自らを実現するために、力を必要としない唯一のものだから・・・・」
瞬間に頭の中を何かが走り抜けた。啓示といっていいような解放感におそわれたのである。私は机上に本をひろげたまま、津波のように胸にこみ上げてくる解放感を味っていた。「自己実現する真理」という観念が、ポーリングの錐のように意識の底に穴をあけ、そこから私がこれまでに意識せずに育てて来た「真実なるもの」が採掘中の原油のように自噴して来たのだ。私はこの時、自分の裏側にあるもう一人の自己と対面したのだった。
私は閲覧室のガラス窓を通して、隣接する音楽学校を眺めた。さっきから、ピアノを練習する音が単調に聞えている。それを聞くともなく聞きながら、私は、そうだ、今、目前で行なわれている大東亜戦争と称するこのバカげたドタバタ劇も、長くは続かないのだと悟った──戦争はいずれ終る、日本の敗北をもって終わるのだ。
私は、自分の下した断定的な結論を前にして茫然としていた。「真理が戦争を終結させる」──自分に向かって、改めて呟いた時に、もう一度痛烈なよろこびが全身を走り抜けた。
私は、自分を包みこんでいる状況を、局地的・過度的なものに過ぎないと大観することで、それを乗り超えて、世界を一望の下におさめる高みに立ったのだった。世界の内部には、暗流や逆流があり、蒙昧や愚劣がはびこっているが、それは局地的な現象なのである。邪悪な権力が出現し、国内のあらゆる真実の声を封殺してしまうこともあり得る。だが、その国家は、そうすることで世界全体を敵にすることになり自滅して行くのだ。
世界は真理実現の舞台なのである。諸民族、諸国家の多様な力が錯綜するこの世界にあっては、真理以外の何物も実現しない。瞼の裏に、広大な世界の隅々まで真理の光が行き及んでゆく光景が浮かんできた。
私が帰途についたのは、夕暮れまでに未だ少し間のある時刻だった。先程のよろこびは未だ余熱のように身内に残っていた。公園の坂をおりて街路を見通すあたりまで来ると、ずっと前方の上野広小路交差点を通行人がかたまって横断する光景が見えてきた。交差点のへんに斜陽が当っているが、その向うの道路は日蔭の中にある。坂の中途から、広小路を横切る豆粒のような通行人を眺める感じと、人間の歴史を悟性の高みから観望する感じが入りまじり、私は瞬間的に不思議な超越感覚にとらわれた。それは上京してから、私が知った最も幸福な瞬間であった。
戦争に負ければ、その国の君主制は崩れて共和国になるという定則のようなものがあった。普仏戦争に敗れたフランスも、第一次世界大戦に敗れたドイツも、そして第一次世界大戦で崩壊寸前に陥ったロシアも、それを機に国民は君主制を廃棄して国を共和制にしている。戦争に負けたら、日本の天皇制も崩壊し、天皇大権を利用して不当な権力を行使してきた支配層──軍部を始め、財閥・地主・官僚らは一掃されるのである。
敗戦後の日本は、どうなるだろうか。
第一次世界大戦後のドイツのようなコースをたどるかもしれないと、私は想像した。ドイツでは敗戦によって帝政が崩れたあと、自由主義政党が政権を握り、民主的な「ワイマール憲法」を制定している。だが、このワイマール憲法下でヒトラーの独裁が出現したことを考えると、戦後の日本国民もその点を十分警戒しなければならないだろう。
その頃、私は自分が間もなく戦争に駆り出されて、みじめな死に方をすることになるだろうと覚悟していた。これまでは、軍部の始めた無謀な戦争に巻き込まれて、犬死にをすることになる自分の運命を完全には納得していなかったが、敗北後の日本に新しい政府が誕生するなら、それが自由主義的な政府であろうが、共産主義政権であろうが、甘んじて死ぬことが出来る。私が薄笑いを浮かべて戦争を眺めることができたのは、敗北によって当時の支配層が一掃されると思ったからだった。
だが、戦争は終わったけれども、私はまだ生きていた。そして、敗戦によって消えるはずの君主制も支配層も、そっくり残っていた。敗戦後に共和制に移行するという世界史の定則は、日本にあっては実現しなかったのだ。国土のあちこちは廃墟になったが、古い日本はそのまま残ったのである。
(つづく)