小林秀雄の語り口
小林秀雄の名声は昔から聞き知っていたし、彼の書いたものは目に触れる限り読んでいたが、彼について詳しく知ろうと思ったことはない。私は人並みに小説などを読んでいたけれども、文学青年というには何処か足りないところがあり、志賀直哉が文学の神様で、小林秀雄が文学の教祖だと聞かされてもピンと来なかったのだ。
それでも、彼が若手作家らの敬意を一身に集めていることは、知っていた。雑誌で三島由紀夫が小林秀雄と対談している記事を読んだら、誰と対談しても高姿勢で相手に臨み独善的な放言を重ねている三島が、小林の前では借りてきた猫みたいにおとなしくしていて、まるで試験官の前に出た受験生のようだった。私の知る限り、小林の前に出てびくびくしなかったのは、大岡昇平くらいのものだった。もっともこれには訳があって、大岡は学生時代に小林を家庭教師に雇い、フランス語の勉強をしていたらしいのだ。
こんな風だったから、私が持っている小林秀雄の本といえば、「本居宣長」だけだった。昭和50年代の初め頃に、この本が売り出されたとき、あまり評判が高かったので、4000円もした高価なこの本を新本で購入したのである。だが、読んでみると、冒頭に宣長が生前から自分の墓について遺言を残していたというような話が延々と書いてあるので、馬鹿らしくなって読むのを止めてしまった。
今度、「本居宣長」を取り出して調べてみたら、18ページ目にマッチ棒を挟んで栞(しおり)の代わりにしてあった。これで見ると、私はこの本を18ページまでは読んでいるのである。
ところで私は最近、インターネット古書店から小林秀雄全集を購入し、それだけでなく録音版の小林秀雄講演集まで買い込んでいる。理由は、死ぬ前に小林が文学の教祖扱いされているのは何故か、一体小林のどこにそんな魅力があるのか、確かめたくなったし、日本人の心性について知るのに、彼の本が有効ではないかと思うようになったからだった。テレビのアニメで、「アルプスの少女ハイジ」や、「赤毛のアン」を見るようになったのも、生存中に、たとえそれが子供向けの本であっても、世界の人々から愛されている名作がどんなものか知っておきたかったからだった。80代の半ばを過ぎた老人にとっては、小林秀雄も「赤毛のアン」も、価値においては等価なのである。
録音版「小林秀雄講演集」の第一巻を聞いてみる。
演題は「文学の雑感」となっている。講演をはじめるにあたって小林秀雄は、もう理屈っぽい話は嫌になっているから、雑談で勘弁してもらいたいと断っておいて、まず、タバコを止めた話から始めた。小林が、タバコを止めた話は、以前に何かで読んだことがあった。彼は、決断すれば、どんなに愛着のあるものでも捨てられるという彼自身の意志の強さを示す事例として、禁煙の話をしていたのだった。
(そら、また始まったぞ)と思った。
彼は胃病が持病で、しょっちゅう医者にかかっていた。原因は酒が好きだからで、かかりつけの医者からも禁酒を勧められていたが、どうしても酒を止めることが出来ない。医者に、それならタバコを止めたらどうか、と忠告されたので、彼は「じゃ、やめます」と約束したというのだ。
小林秀雄が自分の意志の強さを誇るとしたら、酒を断つことを求められた時、即座に禁酒をしたと書かなければならなかったはずなのだ。ところが、そこを飛ばして、禁煙に成功した話だけを持ち出すとしたら、それは一種のペテンになる。文筆業者というのは、こうしたペテンで客寄せをしているのである。
彼は医者から、目の前にタバコがあっても、平気でいられるようでなければ、本当の禁煙とは言えないと、さとされて帰宅し、夫人に向かって、自分はこれから禁煙するが、お前は遠慮しないで自分の前でいくらでもタバコを吸っていいから、と宣告する。
ここまで聞いて来てびっくりしたのは、彼が夫人のことを「カカア」と呼んでいることだった。
「僕のカカアもタバコを吸うので」と彼がいうのを聞いて、私は(ああ、やっぱり古今亭志ん生だ)と思ったのだ。
私は病気が治ってから、今日まで落語を聞くことはほとんどないが、病気療養中はちょいちょいラジオで志ん生の落語を聞いていた。その志ん生の語り口と、小林秀雄の話し方がよく似ているのである。そう思って彼の話を聞いているうちに、小林は夫人のことを「カカア」と呼んだのだ。それで小林秀雄=志ん生になってしまったのである。
ちなみに、古今亭志ん生の自伝「なめくじ艦隊」から、一節を引用すると、
<嬶ア(カカア)が坐って内職をしているてえと、どうも足のカガトが痛がゆいんでね、ハッとみると、大なめくじが、カガトに吸いついている、じやがいもとまちがえやがってネ。世間ひろしといえども、ナメ君にカガトヘなんぞ吸いつかれたなんていう経験の持主は、あんまりききませんナ>
志ん生は、古典落語を話す場合にも、アドリブを加えたりして、楷書体を崩して草書体の語り方をする。小林も草書体の語り方で、講演をするのだが、私は前々から語り口と性格の間には密接な関係があるのではないかという気がしている。そういえば志ん生も酒が好きで、太平洋戦争が始まってから彼が満州に渡って苦労をするのも、満州には酒の配給制がないと聞いたからだった。その頃、国内では酒が配給制になっていて、思うように飲めなかったのである。
小林秀雄の講演は、タバコの話から薬の話になり、それからやっと本居宣長の話になったが、その話題も山桜に関する四方山話に脱線するという具合だった。それでも最後には、持論の歴史談義に移った。彼は、歴史を知るとは昔の文書を読んで、その手振り口ぶりから古人の心をわが内面によみがえらせ、彼らと精神的に一体になることだというのである。
小林は、何時でもこんな調子でドグマを披瀝する。が、それは彼のいつわりない率直な感想だから読者の方も受け入れざるを得なくなる。彼は中村光夫との対談で、自分の書くものはすべて告白だと語っている。
───小林秀雄の講演を録音版で聞いたことで、今度こそ志ん生落語の録音版を取り寄せて聞いてみようと思った。これが小林講演集から得た最大の収穫かもしれなかった。