甘口辛口

三人の女優

2011/2/22(火) 午後 4:16

三人の女優


本を読んでいても、テレビを見ていても、何か腑に落ちない話にぶつかることがある。その話は、宿題のような形で脳のなかに留まり続けるが、結局、解決を見ることなく終わってしまう。そういう未解決の問題に、日本を代表する三人の女優に関する話があったのである。

日本を代表する女優と言えば、次の三人になる(世論調査による)。

  1位 原節子 
  2位 吉永小百合
  3位 高峰秀子

まず、私が腑に落ちなかったのは、70歳を過ぎた高峰秀子が自らのボケについて語った言葉だった。彼女はもう長い間、朝起きると台所に行って夫のためにコーヒーを作ってやることを日課にしていた。ところが、最近コーヒーを作るために台所に行って、そこで立ちすくんでしまったというのである。自分が何のために台所に来たのか分からなくなったからだった。

高峰秀子は映画人生50年の間に、169本の映画に出演している。そのうちの半分以上は主役としてだったろうから、その出演料は膨大な額になっていたはずだ。彼女の夫の松山善三も映画監督として相応の収入があったろうけれども、高峰秀子の収入に比べたら月とすっぽんだったに違いない。にもかかわらず、怜悧で勝ち気だったという秀子が、高齢になって惚けてくるまで、夫のために毎朝コーヒーを作ってやっていたというのである。

普通なら、映画人としての閲歴や収入の差からいって、夫が妻のためにコーヒーを作ってやるところではないか。いや、それ以前に、この夫婦には有り余るほど金があったのだから、引退後は家政婦かお手伝いさんを雇って、家事一切を任せておけばいいではないか。

それにしても、日本を代表する名女優には、腑に落ちない話が多すぎるのだ。男優の場合には、宇野重吉・仲代達也などのケースで明らかなように、体力の限界が来てもなお後進の指導に当たり、自らも舞台に立って演技している。だが、日本の三大女優のうち、原節子と高峰秀子は早々に引退し、吉永小百合もたまにしかスクリーンに姿を見せないのだ。

女優の場合は、容色の衰えを見せたくないという気持ちが強いのかもしれない。しかし、40代50代の若さで引退した原節子と高峰秀子には、まだ、その心配はなかったはずだ。そして、さらに不思議なのは、彼女らが子供産んでいないらしいことだ。原節子は、「永遠の処女」と呼ばれて結婚すらしていないし、去年亡くなった高峰秀子も子供がいなかった。そのため彼女は、生前から死後のことを考えて資産を各方面に寄贈している。吉永小百合に子供がいるという話も聞いたことがない。

今月の「新潮45」は、原節子のデビュー75年目を記念して、「原節子特集」を組んでいる。彼女の「謎」を解きたかったから、この雑誌を買って読んでみた。それによると、彼女と小津安二郎監督の仲が喧伝されているけれども、映画関係者の多くは二人の関係を否定しているという。生涯独身だった小津には、別に好きな女性がいたからだ。

とすれば、節子が愛していた男性は、彼女を映画の世界に誘い込んだ義兄の映画監督熊谷久虎しかいないことになりはしないか。

彼女は映画界を引退したとき、それまで住んでいた東京狛江の土地を約13億円で売り払って、その金を持って鎌倉に住む義兄の家に移っている。そして、その隣に木造二階の家を建て、以後ずっと現在90歳になるまで、そこで暮らしているのである。

彼女は、戦争中、義兄の勧めで右翼団体「スメラ学塾」に加入し、その思想的な影響を受けたらしい。そして、また、この義兄は原節子に近づいてくる男たちを阻止する「障壁」の役割を果たしていたというから、彼女は思想的に、そして愛情関係で、義兄に縛られていたことになる。

原節子が義兄を愛して、義兄のすぐそばで暮らすことを選んだとしても、その横には常に実姉がいたから、その恋は何時までもプラトニックラブに留まるしかない。これが彼女をして「永遠の処女」たらしめた理由なのだろうか。彼女は悲恋の人だったのだろうか。

彼女の謎はついに解けなかったが、同誌に載っている原節子に対するオマージュはなかなか面白かった。

「彼女の顔から匂ってくるあの天上の芳香はただものではありません」(横尾忠則)

「原さんは、花にたとえるならば白百合のよう。気高く、気品があり、周囲に決して媚びない。それでいて、女性ならではの淑やかさがある方だと感じました。日本人離れした美貌−−」(高橋恵子)

「原さんは、ただお顔が椅麗なだけではなくて、背が高くて堂々としていらっしやいますし、全体がすばらしい彫刻みたい。ちまちました美しさじゃないんです。もっと朗々と、堂々とされている」(草笛光子)

数ある賛辞の中で、原節子に熱愛に近い愛情を示しているのが茂木健一郎で、彼は「東京物語」の節子に惹かれるあまり、映画の舞台になった尾道まで出かけている。

「・・・・人生の真実を描いた類い希なる芸術。その<要>の部分に、原節子がいる。モナリザのように、にっこりと微笑んでいる」(茂木健一郎)

「・・・・(「東京物語」の)ヒロイン紀子の希有の美しさ・・・・それは「奇跡」「完璧」「不滅」の三語だ」(長谷日出雄)

だが、原節子を論じるこれらの記事のうちで、最も異彩を放っているのは写真家の荒木経惟の談話で、彼は「東京物語」に登場する節子のアップになった顔について、こんなことを言っている。

「あれはもう、般若顔だよ。目だって、獣のような目。あんなでっかい目で、どアップでこられたら、男はみんなタジタジだろう。秘密めいたでっかい鼻に、でか三白眼でジッと見られたら、到底かなわない」

「ほんとに骨太で、あの骨太はソフィア・ローレンに匹敵する。むしろ勝ってるよ。ちらっと見える手首が太いしさ・・・・でか目、でか鼻、でか口・・・体つきがどっしりしてて、流されていく感じじゃない」

原節子出演の映画で、一番印象に残っているのは、黒沢明の「白痴」だが、これについては複数の論者が論及している。荒木もその一人である。

「それから、一番、原節子のワイセツ感が出てるのが、黒澤明監督の『白痴』。
彼女は顔に一番ワイセツを感じる。脱いだらダメ、顔だけがいい。黒澤はあからさまに原節子の獰猛な「獣性」を引き出して、女性性を出した。女の業というか、女の卑しいところが、『白痴』にはよく出てる」

もう一つ、原節子の「獰猛な獣性」を感じさせる場面が映画「晩春」の中にある。これはなかなか結婚に踏み切らない娘をその気にさせるために、父親が再婚するというポーズを取る状況下で、娘に扮した節子が父の再婚相手とおぼしき女性を睨む場面だ。その目つきが、やはり嫉妬と憎しみでらんらんと輝いているのだ。

この「獰猛な獣性」を感じさせる表情が、彼女の内面を探る手がかりになるのだ。

(つづく)