週刊誌によると、「幸福の科学」総裁大川髢@の身辺にただならぬトラブルが起きているらしい。トラブルは、大川総裁が07年6月頃から女性秘書を寵愛するようになったのが発端だったという。これに大川夫人が抗議したら、総裁は、「あの秘書は前世の妻だったのだ」と強弁し、その後に彼はまた別の女性職員に目をかけるようになって、その女性について「彼女は千手観音の生まれ変わりだ」と説明し、彼女をいきなり教団の専務理事に取り立てたという。
総裁は、以前にも東大文学部卒業の妻を、文殊菩薩の生まれ変わりと称して、教団の副総裁にしたり、「幸福実現党」の党首にしていたのである。
週刊誌の記事を読んでいて、すさまじいと思ったのは、こうした家庭内の私事が総裁自身の手によって「信者」の前に明らかにされ、その結果として全国のセミナーで「悪妻封印祈願」が行われるようになったということだ。
ところで、江原啓之といい、大川髢@といい、何かと言えば「守護霊」という怪しげなものを持ち出すのは何故だろうか。───これは既成宗教の弱点と思われるものを、埋めるためなのである。
仏教やキリスト教は、それぞれ信者に一定のルールを守って生きることを求める。仏教は我欲を捨てることをもとめ、キリスト教はすべての人を愛することを求める。両者に共通しているのは、人間の迷いや苦しみが自己愛から来ると考えていることで、従って釈迦もイエスも信者を自己愛から解き放つための説法に力を入れている。
自己愛に囚われた人間は、自分とそれに繋がる家族や所属する国家しか目に入ってこない。大川髢@は自己愛が格別に強いらしく、以前に自分の子供が学校で不当な扱いを受けていると声高に抗議したことがあり、今回、妻と衝突すると信者らに悪妻封印祈願をさせている。幸福実現党は、その綱領にタカ派的スローガンを並べている。これも、自国のみを愛することを強調している点で、自己愛の現れと見ることが出来る。
だが、小さな自己愛から解放されれば、目は生きとし生けるものすべてに向けられ、世界は一挙に拡大するのである。個人の悩みも、この拡大した世界に置き直すことによって相対化され、解決の糸口が自然に見いだされる。
自己愛を超えよという教理は、すべての人のためのものだ。仏教もキリスト教も、普遍的な宗教であり、救うべき人間をえり好みすることはない。だが、人は利己心から自分だけを見守り、自分だけに特別な福を与えてくれる神仏の存在を願う。しかし、そう願いながらも神や仏にそれを求めるのは、少し虫が良すぎるとも感じている。だから、少々弱気になっている善男善女をターゲットにして、宗教家やスピリチュアル・カウンセラーは、神仏より格下の守護霊なるものを持ち出すのである。
守護霊は個人専用の霊だから、自分だけを守ってくれる。しかも、ありがたいことにこの霊は、仏教やキリスト教のように、我欲を捨てよとか、敵をも愛せとか、難しいことを一切要求してこない。母親がわが子を無条件に愛するように、あるがままの自分を無条件に守ってくれるのだ。
守護霊は大変ありがたい存在だが、果たしてそんな都合のいいものがあるかどうか分からない点が困るのだ。あるか、ないか、分からないものを、あると信じるためには、その道の知名人から「ある」と言ってもらう必要がある。そこで、江原啓之や大川髢@の出番が回ってくるのだ。江原のごときは、相談に来たクライアントに守護霊が付いていることを保証してやるだけでなく、オマケとして副守護霊がついていることまで保証しやって、守護霊の大安売りをしている。
大川髢@夫人は、教団にはお布施だけで年に300億円集まると語っている。これは信者が教団総裁から守護霊の存在を保証してもらった謝礼ではないかと思われる。だが、あまり簡単に総裁の言葉を信じないことである。先般の衆議院選挙に際して、大川総裁は150議席は取れると豪語していたのに、一議席も取れなかったのだから。
現状では、守護霊なるものは自己愛から抜け出そうとしている個人を呪縛して、人の心をを低レベルのままに留めておく役割を果たしている。その点で、守護霊は自己を劣化させる麻薬と考えるべきなのだ。
<お詫び>
またまた、小生のブログにストーカーが現れ、相も変わらぬ難癖をつけています。
偏執狂というのは、何処にもいるものなので、この人物が何を言おうと気にしないようになっていますが、許し難いと思うのは、コメント欄に「かがみ」とか、「sonet」とか、自身の名前を記入する代わりに、小生の名前を使っていることです。これでは、小生が自分のアップしたブログに、自分で難癖をつけているという奇妙なことになります。
こちらの実名を知っているということになれば、この人物は昔の同僚か教え子か、とにかく小生の身辺にいた女性(多分、女性でしょう)にちがいありません。
小生は、自分のホームページも匿名にしているし、ブログにも名前を出していませんが、これは売名と取られることを恐れてのことで、名前を知られたら困るからではありません。このストーカー氏は、小生が名前を知られることを恐れて匿名にしているのだと考えて、自身の名前を記入する代わりに小生の名前を詐称したのでしょう。他人の氏名を詐称すると、名誉毀損で訴えられる危険がありますよ。
とにかく、小生の名前を詐称したコメントだけは削除すべきだと考えて、いろいろやってみましたが、うまく行きません。それで、いったんブログ本文とコメント欄を合わせて削除し、その後で本文だけを再アップするしか方法がないことが判明しました。以前にアップしたブログをもう一度、載せることになったのは、こうした理由からです。
ただ、申し訳ないと思うのは、折角、コメントを寄せていただいた方の文章も、ストーカー氏のコメントもろとも削除しなければならなかったことです。この点を深くお詫びします。
こうしたことが続くなら、当ブログを閉鎖すべきかもしれませんね。
風のジジ