女が生き直す時(1)
男が常識的な生き方を振り捨てて生き直そうとするとき、どのような形を取るだろうか。近代の日本人作家の場合は、「破滅型」が主流だった。津軽の名家に生まれた太宰治が貧乏文士になり、戦後華々しい成功を納めたにもかかわらず、結局玉川上水で女と入水心中してしまうというような生き方が、破滅型の人間の典型的な生き方だったのである。これを図式化すればこうなる。
立身出世 → 破滅型人生
では、戦前の女が常識的な生き方を捨てて生き直そうとするとき、どんなスタイルをとるだろうか。誰でも思い浮かべるのは、次のようなものではなかろうか。
良妻賢母 → 不倫型人生
明治以後の日本では、成功した男の生き方は、広い社会に出て行ってめざましい立身出世をすることであり、望ましい女の生き方は、家にとどまって良妻賢母になることだった。だから、そうした生き方に反発して、その逆の生き方をしようとすれば、男は破滅型、女は不倫型になったのである。
これに対して鶴見俊輔は、女が生き直す型には、次のようなタイプもあるというのだ。
良妻賢母 → アメノウズメ型人生
アメノウズメは古事記に出てくる女で、天照大神が弟の乱暴な行動に立腹し、岩穴のなかにこもってしまったときに、その外で滑稽な踊りを演じて天照大神を洞窟から誘い出した女神だ。
この時、彼女は八百万の神々の前で、乳房と女性器をあらわにして踊り狂ったから男神たちは拍手喝采、大笑いをしたのである。
アメノウズメは天照大神の孫が、高天原から日本に降臨するするときにも功績をたてている。一行が天下りしようとしたら、鼻の長さが7寸、背丈は7尺あまりという異形の大男があらわれて、皆を通すまいと立ちふさがったのである。この時、アメノウズメは、サルタヒコと名乗る巨人の前に進み出て、彼に道案内をすることを承知させたのだった。
この時も、彼女は満面に笑いを浮かべ、乳房と性器をむき出しにして男に近づいている。鶴見俊輔によると、アメノウズメは天照大神に対しても、サルタヒコの前でも、すこしも悪びれなかった。彼女は、いささかも権威に萎縮することなく、自らの秘所をあらわし、笑いによって相手をなごませたのである。
自分の家の中にこもって、夫と子供たちだけに接していた閉鎖的な良妻賢母が、男と同様に世間に出て行って、女らしい慎みとは反対のあられもない姿態をさらして相手を自家薬籠中のものにするのがアメノウズメ型の女であり、こうした生き方も女がこの世を生きて行く方法の一つなのだ。
鶴見はアメノウズメ型生き直しの事例として、有名なストリッパーだった一条さゆりや女流作家の瀬戸内晴海と田辺聖子の名前をあげている。だが、彼が最も力を込めて紹介するのが、「踊る宗教」の教祖として戦後に名をはせた北村サヨなのである。
北村サヨは、1900年1月1日に山口県の農家に生まれた。四女だった。20歳になって37歳になる北村清之進のもとに、6番目の嫁としてとついだ。姑が猛々しい性格で5人の嫁を次々に追い出してしまったので、彼女は6人目の嫁として嫁いできたのである。
夫の清之進は、おとなしい男だった。彼は16,7歳のころにハワイにいる叔父を頼って海を渡り、7,8年間働いて金を貯め、帰国して家を建て、田畑を買い足して家を大百姓にしている。彼は一家にとって最大の功労者だったのに、母親の前では頭が上がらなかった。嫁を5人も追い出されても文句ひとつ言えず、ただ母の命じるままにおとなしく働いていたのだ。
婚家に入ってからの北村サヨは、姑が90歳で亡くなるまで、姑には一言も口答えしないで、せっせと働き続けた。近所の者が目を見張るほどの働き方だった。彼女はまるで修身の教科書のお手本になるような女だったのである。家のために身を粉にして働き、天皇陛下を生き神さまと信じ、日本のためには一人息子が戦死することもいとはない愛国者だった。
彼女は太平洋戦争たけなわの頃、小学校の教師に次のような手紙を書いている。
<・・・また私共も覚悟を決めて御国に差し上げたあの子です。この大戦争の中に生きて帰れるなど夢にも思っていません。一人の子供を御国に差し上げ、私らはもう家も財産もなにも惜しいとは思いません。ただ欲しいものは、三千年の歴史を踏んだこの尊い皇国日本を、永久に世に輝かして残したいと、それのみ神にお祈り致しています。今こそ我を捨て、一人残らず大君のおん為に尽す時が参りました>
その北村サヨが敗戦の前年、急に人柄が変わるのである。きっかけは、北村家所有の納屋が、何者かに放火されて焼失し、サヨがその犯人を突き止めようと祈り始めたことだった。祈祷しているうちに、彼女は自分の腹の中に神が宿ったように感じ始めたのだ。
1944年5月4日、朝早く起きて神棚に祈りを捧げた北村サヨは、つかつかと眠っている夫のところに行って、その枕をけとばした。
「おい、清之進、おサヨが極寒のさ中も朝水かぶり、昼水かぶり、真心こめてあげた祈りは、確かに天に届いたぞ。それなのに、同じわが子でありながら、お前だけが祈りもしないで、枕を高うして寝ているとは、なにごとだ。さあ、起きて祈れ、祈れ」
以来、おとなしい夫を押さえ込んだサヨは、腹の中の神の言葉を声高に他人に語るようになった。はじめは、「真人間になりなさい」「国民は忠君愛国の誠を尽くせ」というような常識的な話だったが、次第に国策に反するようなことを語り始めた。周囲の人間をハラハラさせたのは、天皇を批判する言辞が増えてきたことだった。
「天降って根の国を治めよ、といった天皇の子孫がのう、二重橋、四重橋、六重橋までかけて、箱入りになり、釘どめにされて、目張りされて、天井に放りあげられ、置物になったのが今の蛆(ウジ)の天皇じゃあないか。天皇は生神でも現人神でもなんでもないぞ」
サヨは尊敬している知人から、「皇室の悪口だけは、言わないようになさい、危ないですから」と忠告されると、まるで人が変わったように怒鳴り返した。
「やかましい。おサヨは女でさえ、腹をくくって神行をやっているのだ。ぐずぐずぬかすな」
(つづく)