アメリカのTVドラマ
以前に、アメリカのホームドラマについて書いたことがある。「デスパレートな妻たち」という米国のTVシリーズを見ていて、日本のホームドラマとの違いが目についたからだった。
それ以後、何本もの米国製TVドラマを見るようになった。「ひかりTV」というものに加入したお陰で、アメリカで評判になったTVドラマを、好きなだけ見ることが出来るようになったのだ。
最近では、「デクスター・シーズン」を見た後で、「マッドメン・シーズン」というのを見ている。そして、これらのドラマを見るたびに、「デスパレートな妻たち」や「グレイズ・アナトミー」を見た時と同じ驚きを感じている。
「デクスター・シーズン」は、全編血が飛び散るすさまじい内容のドラマだ。主人公デクスターは不幸な生い立ちから、殺人に喜びを感じる病的な性癖を身につけてしまう。それで、育ての親は彼の将来を心配して、彼に処刑人の役割を与えるのだ。法の目を逃れて平然としている悪人を探し出して、神に代わって処刑するという役割である。かくて、デクスターは悪人を捜し出しては殺し、その殺人の記念として相手の血を瓶に入れて保存するようになる。
デクスターは、悪人を解剖台のようなテーブルに縛り付けて、ナイフを使って殺すのだが、処刑のたびに血しぶきが飛び散り、床を血の川が流れる。毎回、噴出する生血で壁が赤く染まり場面が出てくるので、視聴者は自分がまるで人間屠殺場にいるような気になるのだ。
「グレイズ・アナトミー」でも、外科医が解剖台の上の患者の体をメスで切開する場面が続出する。その度に、気の弱い視聴者は目を背けたくなるのだが、ドラマの制作者はそんなことはお構いなしに臨場感を出すために生々しい手術場面を出し続けるのである。
「グレイズ・アナトミー」や「デクスター・シーズン」を見ていて感じるのは、欧米の人間にとって生肉を切り裂いたり、人が血まみれになったりする情景は、ある意味で日常的な光景かも知れないということだ。彼らは子供の頃から、父親が自宅の裏庭で家畜を殺し、体内から腸を取り出して、自家製のソーセージをこしらえるところを見ているのだから。
しかし、「マッドメン・シーズン」になると話は違ってくる。
このドラマは広告業界を取り上げた群像劇で、社主、社長以下秘書に至るまで、いろいろな人物が登場する。そして主要人物の妻たちも現れるのだが、そのすべてが重症のニコチン中毒者であるかのように、やたらにタバコを喫い続けるのである。同一人物が、場面が変われば、そこでまた、改めて新しいタバコを取り出して喫いはじめる。社員が家に帰れば、その妻がやはりタバコをぷかぷかと喫っている。タバコ、タバコ、タバコ。タバコのオンパレード・・・・・。
一体、これは何事だろうか。これが、喫煙の害を説き続けているアメリカで製作されたTVドラマなのだろうか。
昔、プロ野球のロッテ球団の選手が、ダッグアウトで一斉にチューインガムをくちゃくちゃ噛んでいる場面を見たことがある。「マッドメン・シーズン」のスポンサーがタバコ会社だとしても、こんなTVドラマを制作するのは世論への挑戦としか思えない。
「デクスター・シーズン」や「マッドメン・シーズン」を見ていると、アメリカという国の性格がよく分かってくる。米国人は、キリスト教を信じ、健全な市民道徳に基づいて行動していると信じられている。だが、他方では画面から血しぶきがが飛び出してくるような残酷なTVドラマが毎回放映され、タバコは有害という社会的なキャンペーンに逆らうようなドラマが、視聴率の首位を争うほどの人気を博している。
アメリカ人は、正論に基づいて行動する。しかし、正論に反するような異端の主張にも市民権を与え、言いたいことをなんでも言わせているのである。だから、「デクスター・シーズン」は、これでもか、これでもかとばかり流血の惨事を放映し続け、「マッドメン・シーズン」は、画面がタバコの煙でかすんでくるほど喫煙場面を反復放映する。
だが、米国人は反社会的な行動をすべて許しているわけではない。
例えば、アメリカでは夫が妻に暴力を振るう事件がいたるところで起きているといわれるが、TV会社がこれを是認するような番組を作ったという話を聞いたことがない。「マッドメン・シーズン」の主人公は、妻に、「もう、家に帰ってこないで」と電話で通告されて自宅に帰ることが出来なくなり、よそで泊まっている。妻は夫が以前に浮気していたことを知って、夫を家から閉め出してしまったのだ。
日本人は、男女平等、基本的人権の尊重を肯定している。今のところ、これはスローガンだけに終わっているが、やがて、これが地についたものになれば、男性や小権力者は笑ってはいられないことになるのを覚悟しておかねばならない。