甘口辛口

女の心に鬼が住む(1)

2012/1/15(日) 午後 4:29
女の心に鬼が棲む(1)

坂口安吾の作品に、「桜の森の満開の下」というのがある。これは、安吾作品の中でも名作の一つに数えられているけれども、実はこの作品は某雑誌社から掲載を拒否され、安吾の手元に送り返されたものだったのである。その雑誌社は、当時人気絶頂だった安吾に原稿を依頼したものの、届けられた作品があまりにもひどい出来だったので、作者に突き返したのだった。

今となれば、こんな優れた作品に落第点をつけた編集者の批評眼は物笑いの種になっている。だが、読み方によっては確かにこれは箸にも棒にもかからない愚作・悪作なのである。

作品の主人公は、鈴鹿峠に住んでいる山賊で、街道に現れては情容赦なく旅人の着物をはぎ、その命を奪っている。そんな男が桜の森の花の下へくると、何やら気が変になってくるのだ。風がちっともなく、一つも物音がないのに、花の下ではゴウゴウと風が鳴っているような気がするからだった。

男は、めぼしい女をさらってきて女房にしているうちに、女房の数が7人にもなっていた。そして、女房を8人目に増やすときに妙なことが起きた。何時もだったら、女の亭主の身ぐるみをはいで、「とっとと失せろ」と蹴飛ばして逃がしてやるのだったが、8人目の女の容姿があまりに美しすぎたので、つい亭主を斬り殺してしまったのだ。

山賊が女を背負って栖(すみか)に戻ると、7人の女房がぞろぞろ迎えに出てくる。女は女房たちのうちで一番整った顔をした相手を指さしていう。

「あの女を斬り殺しておくれ」

男が命じられたとおりのことをすると、「今度は、この女よ」と次に美しい女房を指さす。そして、最後に残った、一番醜くてビッコの女だけを女中にするからと生かしておくように命じた。

栖での生活がはじまると、女は大変なワガママ者であることが明らかになった。男が山野を走り回って鳥や鹿を捕殺して来て、ビッコ女にご馳走を作らせても、女は不満たらたら文句ばかりいうのだ。

「毎日こんなものを私に食えというのかえ」

男は結局女の希望を容れて都に住むことになる。男は夜毎に女の命じる邸宅へ忍び入り、着物や宝石や装身具も持ちだして来るのだが、女が何より欲しがるものは、その家に住む人間の首だった。
                                      
<女は毎日首遊びをしました。首は家来をつれて散歩にでます。首の家族へ別の首の家族が遊びに来ます。首が恋をします。女の首が男の首をふり、又、男の首が女の首をすてて女の首を泣かせることもありました(「桜の森の満開の下」)>

女は首遊びをするときに、さまざまな設定を試みた。

美しい姫君には、恋人がいたが、狡猾な大納言は月のない夜に、その恋人のふりをして忍んで行き、姫君と契り(ちぎり)を結ぶ。姫君は大納言にだまされたことに気づくが、相手を憎むことが出来ず、泣き泣き尼になる、というような場面設定をするのである。すると、事件は次に述べるような具合に進行し始めるのだ。

大納言の首は姫を捜し当てて尼寺へ押し入り、出家した姫君の首を犯すのである。姫君の首は絶望して死のうとするけれども、大納言の甘いささやきに負けて尼寺を逃げ出して山科の里へかくれ、大納言の首の「かこい者」になり、髪の毛をのばし始める。

二人が淫楽にふけっているうちに、姫君の首も大納言の首も毛がぬけ肉がくさりウジ虫がわいて頭蓋骨が露出してくる。二人の首は酒もりをしながら絡み合い、歯の骨と歯の骨と噛み合ってカチカチ鳴り、くさった肉がペチャペチャくっつき合い、鼻もつぶれ目の玉も転げ落ちる。ペチャペチャとくツつきあったり離れたり、二人の顔の形がくずれるたびに女は大喜びして、二人をけしかける。

「ほれ、ホッベタを食べてやりなさい。ああ、おいしい。姫君の喉もたべてやりましょう。ハイ、目の玉もかじりましょう」

数ある生首のうちで、女が気に入っているのは五十歳ぐらいの大坊主の首で、プ男で目尻がたれ、頬がたるみ、唇が厚くて、その重さで口があいているようなだらしのない首だった。女はたれた目尻の両端を両手の指の先で押えて、クリクリと吊りあげて廻したり、獅子鼻の孔へ二本の棒をさしこんだり、逆さに立ててころがしたり、だきしめて自分のお乳を厚い唇の間へ押しこんでシャプらせたりして楽しむのだ。けれどもじきにあきてしまう。
  
女に惚れ込んで、彼女の意のままに動いていた男も、次第に女との暮らしに飽きてきた。男にとって不思議でならないのは、女の欲望にキリがないことだった。女はキリもなく生首を求め続け、欲望は直線状に連続するだけで、そこには変化もないし、進歩もないのである。男は山に戻って、桜の森を歩きたくなった。

男は女を説得し、彼女を背負って、山坂を上り始めた。目指す森まで来ると、折しも桜は満開だった。あたりはひっそりと静かで、空気が変に冷たかった。男はふと女の手も冷めたくなっていることに気がついた。

男は、ハッと悟った、女が鬼であることを。

突然どツという冷めたい風が花の下の四方の涯から吹きよせてきた。男の背中にしがみついているのは、全身が紫色をした、顔の大きな鬼の老婆だった。その口は耳までさけ、ちぢれた髪の毛は緑色をしている。

男は走り出した。鬼を振り落そうと試みたのだ。だが、鬼の手に力がこもり彼の喉にくいこんでくる。彼の意識が薄れ始めた。彼は全身の力を振り絞って、鬼を背中から振り落とした。鬼は、どさりと地に落ちる。鬼の上に馬乗りになった彼は、必死になって相手の首を締め上げた。どれくらいたったのか、ふと我に返ると男は既に息絶えた女の首を絞め続けているのだった。

彼は、花びらがひそひそと女の上に降り注ぐのを見ていた。男は花びらの下の女を掘り出そうとした。しかし、その下には女の姿はなかった。そして、彼自身の姿も知らぬ間に消えていた。

後には、花びらと冷たい虚空がはりつめているばかりだった。

(つづく)