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その居に安んじ、俗を楽しむ(1)

2012/2/5(日) 午後 10:51
その居に安んじて、俗を楽しむ(1)

独居燕処を勧める老子の言葉にはいろいろなものがある。そのなかで、私の気に入っていたのは次の言葉だった。

「戸を出でずして天下を知り、窓を窺わずして天道を見る」

反対に、私があまり同調できなかったのは、以下のような言葉だった。

「その居に安んじ、俗を楽しむ」

私が引っかかったのは、「俗を楽しむ」という部分だった。私が「俗」なるものを避けたり、嫌ったりするのは、自分が低俗な人間であることを知っているからだった。だからこそ、私は俗情に訴えてくるようなTV番組や出版物には眼をふさぎ、それらと接触することを避けたのだ。私はこれまで、年末の「紅白歌合戦」を見たことは一度もないし、NHKの大河ドラマで視聴したのは、山田太一が原作を書いた「獅子の時代」一本だけである。私がこうした偏狭な態度をとり続けたのは、歌謡曲も、大河ドラマも、日本的順応主義を鼓吹し、俗情に訴える番組だと思われたからだ。

出版物でも、ベストセラーになったような本を読むことは、ほとんどなかった。本が爆発的に売れたりするのは、普段、本を読まない人々がその本を買うからだ。では、なぜ彼らが本を買うかといえば、日本人の内面を構成する順応主義にマッチする内容をその本が含んでいるからであり、つまりは日本人の俗情を満足させてくれるものだからだ。

私がこうした反俗主義を卒業したのは、50代の後半頃からだったように思う。

「その居に安んじ」というときの「居」を、各人の私宅と解しないで、地球とか宇宙と考えるようになり、「俗を楽しむ」というときの「俗」を、世俗と解しないで人間の全営為と考えるようになったのだ。

「居」が各人の住居ではなく、宇宙そのものだとしたら、ボロ家に住んでいても満ち足りた気持ちで暮らすことが出来る。人は俗塵を避けるために、田舎に隠棲する必要はない。「大陰は、市に隠る」という言葉があるように、喧噪な市街地に住んでいた方が、かえって平静な心境で生きることができるのだ。

「俗」が人間の営為のすべてを意味するとしたら、高尚な学術書も、スキャンダル記事を満載した週刊誌も等しく俗なるものである。高尚な本でも低俗な本でも、面白いと思ったら、何でも読めばいいのだ。古代ギリシャのエピクロス学派は、恋愛よりも友情の生活を選び、気のあったものが集まって楽園を作った(「エピクロスの園」)。

人が本来的充足を求めるなら、宇宙を家とし、自他の人間的営為のすべてを理解し鑑賞しつつ生きることである。そうすれば、これに続く次の段階が見えてくる。

(つづく)