甘口辛口

その居に安んじ、俗を楽しむ(2)

2012/2/10(金) 午後 4:18
その居に安んじて、俗を楽しむ(2)

宇宙を家とし、人間営為のすべてを俗事と考えるようになる──すると、どうなるかといえば、人は自然に控え目に生きるようになるのだ。野心に燃えたり、夢を追い求めたりすることはなくなり、日常性の中で安息する控え目な人間になる。

先日、「ひかりTV」で「愛を読む人」という独・米共同制作のドラマを見ていたら、原作を読んだときの感動が再び甦ってきた。このドラマの原作は、ドイツの大学で法律学を講じる教授によって書かれ、発表後5年の間に20の言語に翻訳されて、アメリカ一国だけで200万部を売り上げたという。日本でも、「朗読者」というタイトルで翻訳されている。これを読んで感動した私は、すぐに読後の感想をホームページに書いたものだった。私が感動したのは、登場人物が控え目に生き、情熱を静かに燃やしているところだった。

日本映画の「何時か読書する日」も、印象に残る映画だった。そして、この映画の主人公も、平凡な人間として生きることを選択した控え目な男で、テレビでこの映画を見たときの感触も「愛を読む人」を見終わった後のそれと似ていた。

「愛を読む人」は、15歳の少年が年上の女と結ばれる物語だ。

少年は路上で嘔吐の発作に襲われて苦しんでいるところを、通りかかった30代半ばのハンナという女に助けられ、これがきっかけになって少年と女は体の関係を持つようになる。ハンナは事が済んでから、少年に本を読んでくれるようにせがんだ。二人は、性関係だけで繋がっていたら早晩別れることになったかもしれなかった。だが、少年が朗読者になり、ハンナがその聞き手になるという関係を持続したために、愛情も長く続いたのだった。

市内電車の車掌をしているハンナは、自分が文盲であることを、少年に対してだけでなく周囲のすべての人々に、ひた隠しに隠していた。ハンナの働きぶりを感心して見ていた上司が、彼女を事務職に昇格させてやろうとするが、ハンナは文盲であることが知られることを恐れて姿を消してしまう。少年は何故ハンナが居なくなったのか分からなかった。

ハンナに再開するのは、10年後の法廷だった。少年は大学の法学部に入学し、その日はゼミの実地研修のために裁判所に出向いていたのだ。そしたら、そこでハンナが被告として裁かれていたのである。

ハンナは電車の車掌を辞めてからナチスの親衛隊に雇われ、ユダヤ人収容所の看守になっていた。法廷では戦時中にユダヤ人を虐待した女性看守たちが裁かれており、ハンナもその中の一人だったのだ。裁判ではハンナは窮地に立たされていた。他の看守たちはハンナに罪をかぶせるために、有罪の証拠になる報告書を書いたのはハンナだと証言したからだった。最初のうちは、そのことを否定していたハンナも、筆跡鑑定をされることになったとき、自分が問題の報告書を書いたと認めてしまう。筆跡鑑定をされれば、彼女が文盲であることがばれてしまうからだった。

ここまで来て、少年はようやくハンナが文盲であったことに気づくのだ。

判決が下りてみると、ハンナ以外の看守が懲役4年で済んだのに、ハンナは無期懲役に処されてしまう。今は25歳になる少年は、ハンナが文盲で報告書など書けるはずがないことを彼女自身で明らかにすべきだと思った。それで、ハンナに面会して、そのことを説得するため、刑務所に出かける。が、彼はハンナとの面会時間が迫ってくると気後れして彼女に会わずに帰ってしまうのだ(原作では、少年は事情を知らせるために裁判長に会いに行きながら、話を切り出すことができず、むなしく帰ってくることなっている)。

気がとがめた少年は、獄中のハンナに録音機と朗読テープを送り続ける。ハンナは刑務所の図書室から、少年が送ってくれたテープの原本を借り出して、本の活字に目をやりながら、テープを繰り返し聞いて文字を覚えて行く。テープを巻き戻しては、本と照合するので、カセットレコーダーが何度も故障し、彼女はその度に機械を修理に出さなければならなかった。そして、4年後に、とうとう少年に宛てて手紙を書くことが出来るまでになる。

その手紙は、彼女が、昔、彼のことを「坊や」と呼んでいたように、こんなふうに書き始められていた。

「坊や、この前のお話は特によかった。ありがとう。ハンナ」

20年後にハンナは、釈放され刑務所を出ることになる。その知らせを受けて、少年はハンナのためにアパートを用意し、仕事口も探して、出所の数日前に面会に出かける。二人は久しぶりに向き合って座った。

主人公の元少年は、このときまで獄中のハンナに手紙も書かず、面会にも行かなかった理由を次のように述べている。

「ハンナとはまさに自由な関係で、お互いに近くて遠い存在だったからこそ、ぼくは彼女を訪問したくなかった。実際に距離を置いた状態でのみ、彼女と通じていられるのだという気がしていた」

ハンナは再会した彼に、15の少年の面影を見ていた。

ハンナは21歳も年下の恋人に、終始、弱みを見せないで来た。相手を子供扱いすることで自分を抑制し、二人が暴走することを回避して来たのだ。原作によれば、その彼女も少年の前から姿を消す直前には、セックスの上で特別のサービスをしてやっている。

ハンナは、少年と再会した次の日、夜が明ける前に首を吊って自殺した。彼女の残した遺書には、彼への愛の言葉はなかった。ただ、自分の所持金を生き残りのユダヤ娘にやってほしいと書いてあるだけだった。

ハンナは、何故、自殺したのだろうか。

一別以後、入獄中のハンナと少年は一度たりとも会うことはなく、ただ、カセットテープと手紙のやりとりだけで繋がっていた。二人は自制して、静かな関係を続けたのである。そして20年ぶりに再会したとき、ハンナは40代になった相手の中に少年の面影を見ていたのに、男の方は彼女を即物的に60過ぎの老女としてしか見ていなかった。ハンナは相手の表情から、そのことをハッキリと感じ取ったのだ。

彼女は獄中にあった20年間を、テープから聞こえてくる少年の声と、その声がもたらしてくれる本の世界にひたることで生きていた。彼女には、それ以外のものは必要ではなかった。世間と交渉するのは、煩わしいだけだった。

刑務所を出たら、もうあの静かで安らぎに満ちた時間は戻ってこない。「坊や」も、年老いて醜くなった自分の面倒を見ることに、ウンザリするだろう・・・・・

「その居に安んじ」というときの「居」は、ハンナにとっては刑務所の中の独房だった。「俗を楽しむ」というときの「俗」とは、本が見せてくれる広大な世界だった。ハンナはそれらを失い、「坊や」を失望させることを恐れて死を選んだのだった。