甘口辛口

ポリシーのある生活(1)

2012/4/16(月) 午前 11:25
ポリシーのある生活

30代の終わり頃、行きつけの古本屋から何気なしに、「ソラリスの陽のもとに」という本を買ってきた。その頃は、SFにも翻訳ミステリーにもあまり興味がなかったから、ハヤカワ文庫を購入したことなど一度もなかったのだ。それがふらふらとハヤカワ文庫版の「ソラリスの陽のもとに」を買って来たのだから、変な話だった。

読んでみて、強い衝撃を受けた。すごい本だったのである。

それからSFを読むようになり、退職してからは翻訳物のミステリーを読むようにもなった。ハヤカワ文庫の常連になったのだ。つまり、面白いと思うものは、洋の東西を問わず、何でも読むようになったのである。幸い、暇な時間はたっぷりあったし、古本を買う程度の金なら、何時でも手元にあった。

好きな本を好きなだけ読むということを10年15年と続けているうちに、気がついたらいつの間にか読書傾向が変わってきていた。本の好みが、年齢相応に爺臭くなって、SFや翻訳ミステリーをあまり読まないようになり、ノンフィクションや私小説の類を好んで読むようになったのである。ハヤカワ文庫は、たまにしか読まないようになった。

こんな流れがあるから、新聞の読書欄を読んでいて、一家の生活をノンフィクション風に綴ったらしい「相田家のグットバイ」という本の紹介記事を目にすると、この本は加藤周一の「羊の歌」と同種類の内容らしいと直感し、躊躇することなく同書を注文したのだった。「羊の歌」は、わが最愛の書なのである。

そして、「相田家のグットバイ」を読み終わって感じたのは、森博嗣という作家は、私にとって第二の奥泉光だなということだった。私は長い間、奥泉光の存在を知らないでいたが、ある日偶然に彼の本を読んで、ああ、こんなに好ましい作家がいたのか、彼のことをオレはどうして知らないでいたのだろうと、思ったのだ。奥泉光と同様に、私は森博嗣の存在を全く知らずにいたのである。

インターネットで調べてみると、森博嗣にはすでに一ダースを超える著書があり、それらは皆よく売れていて、彼はベストセラー作家の一人なのであった。さらに驚くことは、彼のブログは1027万人もの来訪者を集めており、その人気たるや正にアイドル歌手並なのであった。こういう有名人のことを何も知らないでいたとは、オレも焼きが回ったな。

通例、こういう超人気者のブログや著書は、内容空疎で、つまらないと相場が決まっているのだが、彼の書いた本もブログも面白かった。面白いだけでなくて、読者を啓発してくれる知恵が詰まっていた。

著者によって、「家庭小説」と命名された「相田家のグットバイ」は、主人公が家から解放されて自由になるまでを描いたノンフィクションであり、というよりノンフィクションの形を借りた私小説だった。主人公である森博嗣は、この作品のなかでは私ではなく、「相田紀彦」とか「彼」と表記され、父親は「相田秋雄」、母親は「相田紗江子」と表記されている。著者が、登場する人物の名前を故意に変更したのは、叙述に客観性を持たせるためだった。主要人物は、この両親と森博嗣本人の三人であり、ほかに副登場人物として「彼」の妻と「彼」の妹が顔を出している。

大学で工学部に学び、工学博士号を持つ著者は、実験結果を報告するレポートを作成するようにして、この本を書いている。著者が感傷を排して、冒頭にこの本の作意を下記のように明らかにするのも、学会に提出するレポートに倣ったものだろう。

<この物語は、彼が両親を失う過程を綴ったものである(「相田家のグットバイ」)>

そして、著者は不謹慎といわれるかもしれないが、と断りながら、ズバリと断言するのだ、彼は両親の死によって、ようやく自然な状態に戻ることが出来た、と。自然状態への復帰は、彼が結婚して実家を離れたことによっても部分的に実現されたがまだ不十分だったのであり、相田家の消滅によって、それは完全なものとなったというのである。

事実、著者は、父親が設計図を引いて建築し、彼と彼の妹がそこで育った実家を自身の手で解体している。彼は、文字通り実家を完全に消滅させたことで、自分が身も心も自由になったと感じた。両親との死別と実家の解体消滅が、彼に悲しみよりも解放をもたらしたのだ。

<自然な状態、それは別の言葉でいえば自由だ。もっと簡単な表現でいえば、すっきりした。こんな物言いは、きっと誰かの怒りを買うだろう、と彼には重々わかっている。しかし、それが本当のところなのだ(「相田家のグットバイ」)>

彼はその解放され自由になった気持ちで、両親と彼自身の三人を描いていくので、そのポートレートを見て行こう。

母・「相田紗江子」

母の第一の特徴は、ものを整理して収納することだった。それくらいのこと、綺麓好き整頓好きなら誰でもする。が、彼女の場合、完全に度を越していた。母は、父と結婚して以来、燃えるゴミ以外のゴミを一度も出したことがない。たとえば瓶.プラスティックの容器、ビニルの袋、空き箱、缶、紐に至るまでけっして捨てない。きちんと分別して収納する。

だから、母の溜め込む収納品で家の中の空き部屋は溢れんばかりだった。問題なのは、そのがらくたの中に、へそくりを隠していることだった。母は自分の方が夫より長生きすると考えていたので、建築設計を行う工務店主である夫の稼ぎの一部を流用して、8千万円近い金を密かに溜め込んでいた。それらは八つの銀行に分けて預けられていたからいいのだが、それ以外にもリスが木の隙間にドングリを蓄えておくように母は家の中の至る所に現金を隠していたのだ。

母があちことに現金を隠していることが分かったのは、母の没後だった。

一番劇的だったのは、著者の妻が見つけた百八十万円の札束だった。それは、畳んだ布団の間に挟まれていた。これを筆頭に、五十万円や二十万円があちこちから見つかり、五万円程度の金は計二十箇所くらいから発見された。封筒に入って、普通なら現金など入れない場所に隠されているかと思えば、百科事典に挟まれていたり、著者の小学校のときのテストと同じ箱に入っていたりした。そういうことがあるので、むやみにものを捨てることができない。よく調べずにゴミに出してしまったら、大金を捨てたことになるかもしれないのだ。

あまり多くの場所に現金を隠しているので、母自身が隠し場所を忘れてしまい、全国紙に載るような珍事を引き起こしたことがある。

<紀彦(著者)が中学生のときに、全国的にニュースになった事件があった。オーブンに入れたままの札束を燃やしてしまった主婦がいた。札束というのは百万円だった。百万円といえば、一財産である。今の百万円よりは数倍価値があった時代のことだ。自分でそこに隠したのに、うっかりビスケットを焼くために火をつけてしまった。変な匂いがするので気がついたときには遅かった、というわけである。

そのうっかり者の主婦というのが、紗江子(母)だった。

ニュースになったのは、もちろん泣き寝入りをせず、銀行へ電話をし、灰になった札束をそっとそのまま持っていって新しいお札に替えてもらったからだ。完全に燃えて跡形もなくなった場合は交換できないが、原形が確認できる程度の損傷のものは交換してもらえるらしい。新札のまま束になっていたので、隙間がなく空気も入りにくい。このおかげで燃えにくかったのだ。幸い、九十数万円は戻ってきた。(「相田家のグットバイ」)>

(つづく)