木嶋佳苗被告の魔性
木嶋佳苗被告に関する報道に触れているうちに、不思議に思ったのは彼女と同年配の女たちが、木嶋佳苗に嫉妬と賛美、羨望と侮蔑など、相反する感情を抱いているらしいことだった。
たとえば、4月19日号の「週刊文春」はこういう題名の特集を組んでいる。
「オンナはなぜ木嶋佳苗に惹かれるのか」
そして、この特集の冒頭に、<この裁判で異彩を放ったのが、「カナエギャル」なる木嶋の追っかけの存在だった。30代〜40代を中心に、遠方から駆けつける彼女たちは、なぜ木嶋に惹かれるのか>と疑問を投げかけている。
木嶋佳苗を賛美する女たちには、男どもへの潜在的な怒りがあるらしいのである。「カナエギャル」の一人、30代女性は、「木嶋みたいな女に詐欺に遭うなんて、溜飲が下がるというか、ちょっとザマーミロかな(笑)」と語っている。この言葉の裏には、男に裏切られたり、男に無視されてきた彼女の苦い思い出があるように思われる。
レポーターの東海林のり子は、こんな風に注釈を加えている。
「『一億円も貢がせてセレブ生活が出来たのね』と賞賛するような目で見て、『むしろよくやったんじゃない』と希望を見いだしたのではないか」
漫画家の柴門ふみは言う。
「男主導型のセックス幻想を壊してくれた気持ちよさがあるのではないか。・・・・女性を代表して男性に仕返しをしてくれたという面もある」
ところが、同じ号の週刊文春には、中村うさぎのエッセー欄があって、ここでは木嶋佳苗は冷評の対象になっている。中村は、「木嶋がデブでブスだったのに男にモテたとされているが、本当にそうだったのか」と疑問を投げかける。
世の中には、好みではない男たちにもてるのに、好みの男にはもてないという「無駄モテ」の女がいる。木嶋佳苗もこのタイプの女だったのだ。そこで中村うさぎは冷然と言い放つのだ、雑魚にモテたって仕方がないではないか、と。
まあこんな具合で、女たちの間では木嶋に対する評価が割れているらしいので、翌週号の「週刊朝日」が、やはり木嶋佳苗について特集を組んでいると知って早速読んでみた。こちらの標題は、こうなっている。
「裁かれた佳苗の魔性」
この特集を担当したコラムニストの北原みのりは、木嶋の裁判を100日間も傍聴しつづけているうちに彼女にある種のシンパシーを感じ始めたらしく、佳苗の魔性とされているものは、実は彼女特有の母性だったのではないかと言っている。北原は、こう書いているのだ。
<佳苗は男性たちに、優しかった。それは事実だ。まるで母のように食べ物から嫌いなものを取り除き、母のように優しく叱ってくれたのだ>
北原は、判決の日に一人だけ目を真っ赤にして泣いていた女性と親しくなって、彼女から佳苗の話を聞いている。その女性は犬をドックショウに出場させる仕事をしていて、その件で佳苗から手紙を貰ったのが親しくなるきっかけだった。その手紙は、綺麗な文字で書かれており、会ってみると上品な話しぶりが印象的だった。
やがて、佳苗は、当時つきあっていた年上の男性を連れて、その女性を訪ねてくるようになった。その時の印象では、男性に対しては優しい声で叱るなど、「尻に敷いている感じだった」という。
佳苗が逮捕される直前まで、彼女と同居していた40代の男性も、佳苗に母性的なものを感じていた。男がテレビとビデオを接続しただけで、「すごい、すごい」と褒めてくれたし、男性宅のローンについては、「いっしょに、返していきましょうね」と励ましてくれた。佳苗は、まるで母親か姉のような態度で、同棲している男に接していたのである。
こういう週刊朝日の記事を頭に置いた上で、朝日新聞のデジタル版に掲載されていた木嶋佳苗の手記を読んでみると、彼女が自分より遙かに年上の男に対しても優位に立ち、母性的に振る舞うことが出来た理由が分かるような気がする。木嶋佳苗は父親との交渉を通じて周囲に対する優越感を育て、それが彼女の母性的な態度の芯になっていたのだ。
団塊世代に属する父親は、朝日新聞の愛読者だった。知的でリベラルだった彼は、朝日新聞を一年分、きちんと整理して書斎に積み重ねていた。その隣には「朝日ジャーナル」の一年分が積み重ねられていた。そういう父だったから、彼は子供たちにテレビ番組を見せなかった。佳苗は、誇らしげに手記に書いている。
<父からは読書の楽しみを教わり、新しく購入した本を読み終えたら、父の書斎に持って行き蔵書印を押して貰(もら)い、父と討論した時間は心の糧となっています。・・・・中学校を卒業する頃には、一通りの古典文学を読了していました。国内外の様々なジャンルの本を選び、取り憑(つ)かれたように本の世界に浸っていましたが、田舎には、私と同じレベルで会話ができる同級生はいなかったのです。父の影響で、小学生の頃から愛読していた朝日ジャーナルで知った立花隆さんや小倉千加子さんについて論議するような友人は、いませんでした>
彼女は、何時しか大衆を軽蔑することを覚えるようになっていた。
<読書感想文や作文を書くと、周囲の人たちはとても褒めてくれたし、賞を受けたりしたけど、自分が書く文章を上手だとは思えなくて、作文は苦手でした。私の作文が目立ったのは、教師や他の生徒の水準が低かったということであって、的確な批評をしてくれたのは父だけでした>
木嶋佳苗が、多くの男性から金をだまし取っていたのも、相手の男たちを軽蔑していたからだった。彼女は男たちから金を貢がせた。そうしながら、彼女は、親身になって彼らを叱ったりたしなめたりした。長女として、そして父の代役として弟妹をリードしてきた習慣が、男との関係でも顔をだしたのである。習い性となった説教癖は、デジタル版の手記にもあらわれている。彼女は訴追されている犯罪について一言も触れないで、新聞の読者に向かってこんな説教をするのだ。
<健康第一です。体が健康でなくては、自分の罪や悪と深く正しく、目を逸(そら)らさずに向かい合うことはできないのではないかしら。ゆっくりと深呼吸すること、ストレッチングとマッサージで、頭皮から爪先まで肉体を柔軟にして、気、血、水の流れを整えること、清潔に留意すること、よく噛(か)んでしっかり食べて、夜にきちんと眠ること、瞑想(めいそう)すること。これらを修行と考えて、毎日継続することで、私は心身共に健康を保っています>
男たちが、彼女のために数百万、数千万の金を貢ぐ気になるのも、この説教癖のためだったと思われる。女性と深いつきあいをすることなく、孤独のうちに中老年になってしまった男たちにとって、女性から親身になって助言や忠告をされることなど、一度もなかったことなのだ。この場合、叱ってくれる相手が美しい女である必要はない。むしろ、デブやブスだった方が安心出来るのである。
もし木嶋佳苗に魔性があったとすれば、それは性的な魅力というようなものではなく、彼女の肉親を思わせるような親身な忠告であり、男の健康その他に対する日常的な配慮や気配りだったと思われるのだ。