甘口辛口

二人の政治家

2012/5/16(水) 午前 8:29
二人の政治家

中曽根康弘ほど口の達者な人間を見たことがない。

戦後、テレビが普及するまで、国民はラジオを通して政治家たちの主張を聞くしかなかった。それでラジオの政治番組は人々の関心を集め、与野党の議員が対峙して論争する番組などの人気は異常なほど高かった。そうした政治番組で、一番目立っていた政治家は何と言っても中曽根康弘だった。党を代表して政策討論会に出席するような議員たちは、いづれも弁舌に長じたものばかりだったが、そんな中で中曽根康弘の存在は、ひときわ目立っていたのである。

弁舌で周囲を圧倒するような政治家は、とかく自信過剰になる傾きがある。中曽根康弘は自民党内の派閥では河野派に属していたけれども、親分に忠節を尽くして派閥内の序列を高めようなどとは考えないで、ひとり輝くことを求め、「首相公選制」の運動を展開していた。当時、首相になるためには派閥のボスになり、派閥間の合従連合を通して頂点を目指すしか方法はなかった。だが、中曽根はそうした迂路を経ないで、首相公選制によって一気にトップに立つことを目指していたのだ。

現在、橋下徹が首相公選論を掲げているのも、昔の中曽根康弘と同様に、全国投票で首相が選ばれるようになれば、必ず自分が当選すると信じているからだろう。

とにかく中曽根康弘は、自信家だったのである。彼は第2次岸改造内閣に、科学技術庁長官として初入閣しているが、このときの内輪話を、当時、大映社長だった永田雅一がテレビで語っていた。

中曽根は岸内閣が発足したときに、盟友だった読売新聞社のナベツネなどを介して入閣運動を続けていた。しかし、形勢が好転しないことにいら立ち、妻を組閣本部に送り込んだのである。

このとき、大映の儲けを岸信介に注ぎ込んでスポンサーになっていた永田雅一は、組閣本部に顔を出して次々に閣僚が決まって行くのを岸の横で見守っていた。その岸や永田のところに中曽根の妻が本部に乗り込んできたという知らせが入ったのだ。

永田雅一は、このときの様子をこんな風な口調で語ったのである。

「中曽根のかあちゃんは、凄いよな。主人の入閣が決まるまでは、絶対に帰りませんと言って、頑として組閣本部から動かなかったんだ」

入閣するために、妻を組閣本部に送り込むようなことをする政治家はいなかったから、岸も永田も驚いたのだ。
中曽根は、自分一個の目的を達するためには、妻や配下を容赦なく酷使するタイプの政治家だった。彼は河野派が分裂すると、右派議員をまとめて中曽根派を結成するけれども、その派閥は常に少人数に留まって、田中派や福田派のように大きくならなかった。彼が派閥の議員のために、汗を流すことがなかったからだ。

中曽根派のような小派閥を率いて、首相になろうとしたら、汚い手も使わなければならない。中曽根は、政局の節目節目に提携する相手を変え、何時でも強い方についたから、「風見鶏」という芳しくないあだ名をつけられた。

彼の身の処し方は、昔から巧妙だったのである。中曽根は、戦争中に海軍を志願して国のために戦ったと自称しているけれども、実際は海軍経理学校に入学して経理将校になり、戦争中は内地・台湾から離れず、戦場で米軍と戦ったことなど一度もなかったのだ。

首相になってからの彼は、強いものにつくという習性から、外交政策では対米関係を重視し、レーガン大統領を自らの山荘に招くなどして個人的な親交を深めている。

彼は日本における最初の新自由主義者だった。官営企業を民営化するに当たって、「有識者」を集めて政策審議会を作り、その答申を実行するという形を取って、矢玉が内閣に集中することを避けたが、これもなかなかうまいやり方だった。

中曽根康弘が、自分一人を輝かせるために、身内を利用したのに比べると、小沢一郎は配下の面倒をよくみている。

中曽根と小沢は、何から何まで違っているように見える。中曽根は、歴代首相のうち二番目に長身で、風貌も見栄えのする方だったが、小沢は背丈でも風貌の点でも衆にぬきんでるという訳にはいかなかった。二人の決定的な違いは、中曽根が弁舌に長じていたのに対して、小沢は政治家にしては珍しく訥弁なことだった。

訥弁で見栄えも悪いことを自覚している小沢は、見た目の格好よさではなく、泥臭く見えても実利を追求する生き方を選んでいる。実利追求の第一歩は、これはと思うボスのために、犬馬の労を尽くすことだった。彼は田中角栄のために奉仕し、田中が死去してからは、その一の子分だった金丸信に仕え、若くして権力を握る地位についた。

彼が次に努力したのは、自派の議員を増やすことだった。最後に勝敗を決めるのは数の力であることを身にしみて感じていた小沢は、少数の有能な部下よりも、多数の無能な配下を集めることに努力し、新人発掘のために精力的に動いている。そして多数の手兵を集めた小沢は、彼らを手駒に使って党内を引っかき回し、新政権を誕生させたり、と思うとそれを潰しにかかったりしてきた。そのため、小沢は存在そのものが政界にとって害悪だと評されるようになった。

小沢一郎のやりかたを見ていると、自分でも何のために抵抗しているか分からないままに行動する復讐型の政治家に見える。

小沢が復讐型の政治家だとしたら、中曽根康弘は家族や同志を利用して高みを目指す上昇型の政治家である。彼らは、戦後の政界が生み出した二人の鬼っ子であり、彼らの内面に何があるのか知りたいと思う。人間研究の対象として、彼らに興味を感じるのである。