甘口辛口

老人の俳句

2012/5/10(木) 午前 10:46

俳句を作り始めた頃に心惹かれたのは、「青春俳句」と呼ばれている作品だった。

有名俳人の句集を読むと、句集のはじめの方に若い頃に作った作品=「青春俳句」が載っている。たとえば、山口誓子の句集には、こんな句が載っている。

  「学問のさびしさに耐え炭をつぐ」

これを読むと、冬の夜、下宿で火鉢の炭をつぎ足しながら、ドイツ語の原書などを勉強している孤独な学生の姿が浮かんでくるのだ。

また、別の俳人には、こんな句もある。

  「桑の葉の照りに耐え行く帰省かな」

これは、夏休みになって都会で勉強していた学生が、田舎の実家に帰省するときの作品である。ひっそりした道の両側に桑畑が続いている。そこにぎらぎらする夏の陽光が降り注ぎ、帰省する学生は、その照り返しのまぶしさに耐えながら家路を辿らなければならない、という句である。

有名俳人が若い頃に作ったこれらの青春俳句には、単純な叙景の句にも、みずみずしい味わいがあって、それ以後に作った俳句とは明らかに違っている。こういう句が生まれるのは、若い作者が未定の将来を前にして、希望と不安を感じながら生きているからだ。若い頃は、この心情あるが故に、すべてのものが濡れたように新鮮にみずみずしく見えるのである。

作者が中年になると、作品から若い頃のみずみずしさが失われる。その代わり、作品に重みや深みが加わっ来る。だが、作者が老年になると、出がらしといった感じの句が増えて来る。時々、新聞や雑誌に有名俳人の近作が掲載されることがあるけれども、そのほとんどがパッとしないのは、このためなのだ。

だが、新聞・雑誌にも、年配の作者の手になる秀逸な句が載っていることがある。

信濃毎日新聞第一面には「けさの一句」という囲み欄があり、一昨日、そこに次の句が載っていた。

  「句に賭けし青春遠し桐の花(河野閑子)」

選者の村上護によると、この句の作者河野閑子は、日野草城に師事して新興俳句運動に加わっていたという。すると、未だ生きていれば、年齢は多分90歳を超えていると思われる。その作者が、桐の花を眺めて俳句に賭けた自身の青春を想起し、桐の花のように無垢で純一な青春だったと、静かに自負しているのだ。

これが老齢の句であり、「老人俳句」なのである。

青春俳句には、未定の将来に対する期待と不安があり、老人俳句には自身の生涯に対する回顧と諦観がある。以前に同じ信濃毎日新聞にこんな句も載っていた。

  「亀鳴くや夢に終わりし数学者」

数学という学科には魔力のようなものがあるらしく、教師として見ていると、数学の好きな生徒は、文学を好む生徒が作家志望になるように、大抵、将来数学者になりたいと夢見ている。だが、大多数の生徒にとって、その夢は果たされることなく終わるのだが、この句には、そうして年老いた作者による諦観がこめられている。

老人の句には、過去を回顧した俳句の他に、動物や昆虫を題材にした俳句が多いように思う。そのことに気づいたのは、当地で直接に、あるいは間接に知り合った俳人たちの作品を読んだからだった。

旧制中学時代の恩師でもある中村六花先生には、次の句がある。

  「ちちろ皆 巣から顔出す 黄な日ざし」
  「月明や白蛾白蛾を追いのぼる」

「ちちろ」とは、コオロギのことで、夕方、巣穴からコオロギが一斉に顔を出したところを詠じた作品である。
交通事故で亡くなった宮下光雄さんには、ユーモラスな句が多い。

  「寒鴉 足ぶらさげて飛ぶ他なし」
  「もう恋すまじと 老猫ふぐり嘗む」

人事や風景について、すべてを見尽くした俳人たちは、回顧と諦観の句を詠んだあとで、身辺の小動物に目を向けるようになるのだ。こう見てくると、俳人にとって行き止まりということはあり得ず、壁にぶつかったと思う先に、また、新たな世界が開けるのである。
(引用した俳句は、記憶に基づいています。誤りがあるかもしれず、あらかじめお詫びしておきます)