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雅子妃と紀子妃

2012/6/30(土) 午後 11:45
雅子妃と紀子妃

年を取ると、体に小さな故障、小さな不具合が出てきて、病院や医院に通うことが多くなる。そして、大きな病院などに行けば、長い時間待たされることになるのだ。それで、待つ時間を利用して、病院の売店から買ってきた週刊誌を読んでいたら、週刊文春と週刊新潮がそろって皇族記事を特集していた。

週刊文春は、「紀子さま秋篠宮家<苛酷すぎる職場>」というタイトルで、紀子妃の下で働く職員が相継いで辞めて行く話を特集していた。

週刊新潮は週刊新潮で、「雅子妃にネグレクトされた<東宮大夫>12ヶ月」というタイトルで、雅子妃に対するバッシング記事を特集している。

対立関係にあるとされる雅子妃と紀子妃には、それぞれに応援団が付ていて、敵方の妃を攻撃するのだが、週刊文春が紀子妃を攻撃し、週刊新潮が雅子妃を攻撃しているのは、両誌がそれぞれ異なる妃を応援しているからなのだ。

伝えられるように、もし雅子妃と紀子妃が対立しているとしたら、その原因はやはり両者の性格の相違にあるだろう。雅子妃が一歩退いて現実との生々しい接触を避けるタイプだとしたら、紀子妃は逆に一歩踏みだして人々の視聴を自分に集めようとするタイプなのである。

この二人は赤十字名誉総裁をしている美智子皇后の下で、それぞれ副総裁のポストに就いている。

副総裁の仕事をする上で、紀子妃は消極的な雅子妃を尻目に、「それは是非私にやらせてください」と自ら仕事を買って出ているらしい。もし、紀子妃がこんな調子で仕事を抱え込み、宮家に戻ってから女子職員にその仕事を手伝わせているとしたら、紀子妃に仕える職員が秋篠宮家から逃げ出したくなるのも無理からぬ事だ。おまけに、紀子妃は、意に添わない職員に向かって、「あなた自己中ね」と強い口調でお説教をするというのである。

雅子妃の方は内向的だから、周囲の役人たちが気に染まぬことをしても直接叱りつけるようなことはしない。相手と口をきかなくなり、その存在をネグレクトするだけである。そのネグレクトされた相手が東宮職のトップである「東宮大夫」だったとすると、問題がややこしくなる。

事の発端は、昨年、「愛子さま」が校外学習のため山中湖畔で一泊したときのことだった。雅子妃もこれに同行し、近くのホテルに宿泊して、娘を見守り続けた。いくらなんでも、これは行き過ぎだという声が高くなって、東宮大夫は記者たちから問いつめられることになった。東宮大夫は、この時、世論に調子を合わせて、「正常な状態だとは思わない」と語ったのだ。これが雅子妃の逆鱗に触れて、妃は以来、東宮大夫を無視するようになったという。

こういう話を聞かされると、改めて公私の別がハッキリしない日本の皇室制度の欠陥が気になってくる。ヨーロッパでは、王室・王族の必要経費は各王家の所有する資産からあがる収入で賄われることが多い。国家がそれらの経費を負担する場合でも、家事担当の「使用人」を雇い入れる費用は各王家・王族の私費から支出されているという。

だから、各王族は雇い入れる使用人の数を減らして、極力節約に努め、女王や王女までが自らスーパーに出かけて買い物をしている。ところが、日本では公務員試験をパスした役人が、ぞろぞろと皇室や皇族の家庭に送り込まれ、公的な仕事だけでなく家事まで引き受けて処理しているのである(私的使用人の一部を私費で雇っている宮家もあるらしいが)。

こういう公私が一緒くたになったやり方は、いい結果を生まない。皇族宅に派遣される役人の方も内心うんざりしているし、これを受け入れる皇族のほうも、出来れば自身の選んだ好ましい人物に来てほしいと願っている。例えば、東宮大夫には、以前に大使を勤めていた外務官僚が任命される慣例になったらしいけれども、こういう機械的な任命方式は、任命される側も受け入れる側も、望んでいないのである。

皇室や・宮家に勤務する一般の公務員にしても、彼らは皆、人間平等意識を持っているから、相手がいかに妃殿下だとはいえ、「あなたは、自己中ね」などと決めつけられ、お説教をされたら、腹を立てるのは当然のことだ。

再言するが、皇室・宮家側は自宅で勤務する職員や使用人を自らの手で選びたいだろうし、東宮大夫のような役人は、気心の知れた皇族出身者から選びたいだろうと思う。その方が公務員を皇族宅に送り込むより、遙かに安上がりで済むのだ。公務員一人の生涯賃金がいくらになるか知ったら、その公務員を数百人も抱え込んでいる宮内庁に対する国民の目も自然厳しくなって行くはずだ。

国家財政がこんなに苦しくなったら、皇族も宮内庁職員の人員削減を行って、行政改革に協力すべきではなかろうか。そして、自宅で勤務する職員・使用人の数も大きく圧縮し、その給与などは内帑金(手許金)で賄うべきではないか。