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悲劇から喜劇へ(2)

2012/7/17(火) 午前 10:04
悲劇から喜劇へ(2)

すべての生物は、生存能力を先天的に持っている。これを本能といってもいいし、生命活動といってもいいのだが、その特徴は日用(日々の必要)を充たしてしまえば、後は妄動しないで静かに休息する点にある。

例えば、ライオンなどの肉食獣は、シマウマなどの群れを襲撃して一頭を倒し、飢えを充たしてしまえば、直ぐそばに別のシマウマがいても、もう手出しをすることはない。放っておくのである。人間は、獲物の大群にぶつかると興奮して必要以上に濫獲したり、時には獲物を根こそぎ捕らえて殺してしまったりするのだが、動物はそういうことをしない。

野獣が日用を充たした後で、残りの獲物を放置しておくのは、自然の摂理にかなっている。そうすれば、自身の体力を温存出来るだけでなく、残った獲物が繁殖活動を続けてくれるので、獲物が減少することはないのである。

自然を相手にする未開の人間も、獲物を必要以上にとることをしない。熊谷守一が樺太で見聞したところでは、アイヌ人は日用を充たした後は、静かに遊んでいるそうである。熊谷守一は、書いている。

<彼らは漁師といっても、その日一日分の自分たちと犬の食べる量がとれると、それでやめてしまいます。とった魚は砂浜に投げ出しておいて、あとはひざ小僧をかかえて一列に並んで海の方をぼんやりながめています。なにをするでもなく、みんながみんな、ただぼんやりして海の方をながめている。魚は波打ちぎわに無造作に置いたままで波にさらわれはしないかと、こちらが心配になるくらいです(「へたも絵のうち」)>

これが、すべての生物に共通する生命規範なのである。この規範を守っている限り、人が不慮の死をとげることはない。それぞれ、天寿を全うすることが出来るのだ。生命規範に従って生きることを推奨した老子は、こんなふうに忠告する。

「安らかにして久しうすれば、徐(おもむろ)に生ずべし」

「濁れるも之を静かにすれば、徐に清むべし」

「大器は晩成す」

生命が求めている活動方式とは、穏やかな気持ちで働き、ゆっくり休息を取るという生き方なのである。力の限り頑張って生きるのではない。自らの体力と相談しながら、ほどほどに生きること、つまり消極的に控え目に生きることなのだ。だが、現代人は他者との競争に打ち勝つために馬車馬のように働き、ことごとに生命規範に逆らって生きている。

たとえば、剛腕で知られる小沢一郎である。

小沢一郎は機略に富んだ政治家だが、支配欲・復讐欲が強すぎて、新しい党を作っては壊すことを繰り返して来た。そして、自分を窮地に追い込み、政界の孤児になっている。私は、小沢のことだから、一発逆転の奇策を隠しているかもしれないと興味津々見守って来たが、彼には最早打つ手がなくなったように見える。

彼は、「国民の生活が第一」といって新党を発足させたが、実のところ、これは、「小沢一郎の生活が第一」という党にほかならないのだ。老子には、「堅強は死の徒にして、柔弱は生の徒なり」という言葉があり、「人の生ずるや、動いて死地に之(ゆ)くもの、十に三あり」とあるけれども、小沢一郎の場合は、動いて自ら死地に赴くケースの典型例なのだった。

堅強はなぜ死の徒なのかといえば、「その生を養はむとすること」が厚いからなのだ。人は平服姿で、手ぶらでも生きて行ける。にもかかわらず、全身を鎧と兜で固めて生きて行こうとしたら、重装備をした方が先にダウンするに決まっているのだ。

では、要塞のような豪邸に住み、重装備に身を固めて君臨している人間を、喜劇の中の人物と見立てて笑っているだけで、いいのだろうか。

一時期の私は、森鴎外と共に「自分は、この世に生まれてくるべきではなかった」と考えていた。そして、死んだら無に帰し、再び現世にも来世にも現れることのないことを願っていた。

しかし、ある時、こう感じるようになったのだ──自分が永遠の無として眠り続けていたら、人の世についても広大な宇宙についても、知ることなく終わったろう、としたら、生きることが救いのない悲劇であり、人間世が地獄だったとしても、この世に生を享(う)けたことを喜ぶべきではないか、と。

私はここまで来て、ようやく自身の生を受け入れることが出来るようになったのである。残されたのは、あと一歩だった。