愛は変容する
短歌について無知に近い私でも、河野裕子の名前は頭に入っていた。彼女が与謝野晶子以来のすぐれた女流歌人であり、ガンになっても創作意欲は少しも衰えず、夫に口述して作歌を続けていることを聞き知っていたからだ。
それで、NHKテレビの「うたの家〜歌人河野裕子とその家族」という番組を視聴する時には、それが作歌にいそしむ天才女流歌人を支える家族をテーマにした感涙ドラマに違いないと予測していた。確かに、それは一家の愛情を描いた感涙ドラマに違いなかったが、こちらの予想とは全く異なる、意外な内容のドラマだったのである。
若かった頃の河野裕子は、永田和宏という青年学者と同じ短歌結社に所属し、競い合うようにして作品を作っていた。やがて、二人は惹かれ合うようになり、まず、河野裕子が、永田に宛てて、こんな和歌を贈るのだ。
たとへば君がガサッと落葉をすくふように
私をさらって行ってはくれぬか
永田和宏は、これへの返歌として次のような短歌を裕子に贈っている。
きみに逢う以前のぼくに遭いたくて
海へのバスに揺られていたり
こうして結ばれた二人の間に、息子と娘が生まれる。子育てをテーマにした裕子の作品には、母になったよろこびが溢れている。
しっかりと飯を食わせて陽にあてて
ふとんにくるみて寝かす仕合わせ
間もなく、歌人としての永田和宏と河野裕子の名声は高くなり、夫婦のそれぞれが競争するように多くの文学賞を受賞するようになった。夫婦は、揃って宮中歌会始の選者にもなっている。成長した息子も娘も、両親の影響を受けて身辺を題材にした短歌を発表するようになった。こうして、一家の暮らしぶりは、家族の作品を通して世間に筒抜けになり、一家の様子は長谷川町子の漫画のように広く知れ渡ることになったから、河野裕子家は歌壇の「サザエさん一家」だと評されるに至った。
裕子の夫、永田和宏は京都大学名誉教授、京都産業大教授になり、娘も学者になる。息子は勤めていた会社が倒産したので、独立して詩歌雑誌の出版社をはじめる。だが、順風満帆の一家に、突然暗い影がさしはじめる。54才になった河野裕子に、乳ガンが発見されたからだった。
さうなのか癌だったのかエコー見れば
全摘ならむリンパ節に転移
わたしよりわたしの乳房をかなしみて
かなしみゐる人が二階を歩く
河野裕子は乳房の摘出手術を受け、入退院を繰り返すようになった。このへんからドラマは、奈落に落ち込むように陰惨なものになっていくのだ。裕子が狂ったように家族に当たり散らし始めたからだった。ドラマによれば、裕子から最初に面罵されたのは長男だった。息子は母親を喜ばせようとして母の歌集を出版したのだが、その返礼として戻ってきたのは、本の装丁が気に入らないという母の激しい怒りの言葉だった。
長男は、母から、「こんな本を作るとは何事か」と責めたてられても、訳が分からなかった。歌集の装丁がそれほどおかしいとは思えなかったからだ。頭ごなしに叱りとばされているうちに、長男にも母が激怒しているのは、本の表紙に巻き付けてある帯広告の色が気に入らないからだと分かってきた。
万事がこういった調子だった。この時期の裕子は、些細なことで家族に当たり散らし、時には畳に包丁を突き刺したこともあったといわれている。
家族全員が裕子から罵倒されたが、なかでも彼女から一番激しく攻撃されたのは夫の永田和宏だった。裕子は夫を見ると、拳を振るって殴りかかり、狂ったように叫び始める。
「私がこんなになったのは、あんたのせいよ。どうしてくれるのよ」
こういう狂態が、家の中だけで演じられているうちはよかった。しかし、永田が歌壇で最高の賞である「迢空賞」を受賞した会場で、裕子がこうした態度を見せるとなると、問題は深刻になる。
その日、永田が少し遅れて授賞式の会場に着くと、先に来ていた裕子が隅の椅子に座っていた。永田は来場者と挨拶を交わしながら、妻のところにたどり着くと、裕子がいきなり夫を睨んで叫び始めたのだ。
「あんたのせいで、こんなにふらふらしているのに、どうしてくれるのよ」
裕子が怒っているのは、こういう理由からだった―――その前日に永田は、出張で家を留守にして外泊している。彼は、夜になって出張先から自宅の裕子に電話して、明日の授賞式に出席できるかどうか確かめた。このとき裕子は睡眠薬を飲んでやっと寝付いたばかりのところだったから、電話で起こされた彼女は、もう一度睡眠薬を飲み直さなければならなくなった。そのため、朝起きたら体がふらふらして、何をするのも、しんどくてたまらなかった。裕子は、こうなった責任は電話をしてきた夫にあるのだと、夫を見るなり声高に相手を責めはじめたのだった。
その場には、娘も来ていたから、一生懸命母をなだめたが、裕子は聞き入れない。ようやく母を別室に連れ出して、「今日はお父さんにとって大事な日だから、静かにしていて」と説得すると、母は永田を睨んで、こう言い返すのである。
「自分だけうれしければ、それでいいの? 妻がどんなにしんどくしていても、それはどうでもいいの?」
娘は我慢できなくなって、母の顔を平手打ちにしている。すると、母はようやく正気に戻ったように、おとなしくなった。
明け暮れ母が父をなじる光景を見ていた娘と息子は、父親の永田に離婚することを勧めている。子供たちの目には、母親が夫を修復できないまでに憎んでいるように見えたから、真剣になって離婚を勧めたのだが、永田は妻の狂態が夫である自分を憎んでいるからではないことを感じ取っていた。
彼は、妻の狂態を自分への憎しみから発したのではなく、むしろ自分への愛と信頼が形を変えて現れたに過ぎないと見通していたのであった。
(つづく)