甘口辛口

右翼のなかのハト派

2012/11/24(土) 午後 6:49
右翼のなかのハト派

右翼というと、国旗や君が代を愛し、平和憲法への敵意をむき出しにする自称「愛国者」というイメージがある。

ところが、「一水会」顧問の肩書きを持つ鈴木邦男という人物は、右翼陣営のリーダーの一人であるにもかかわらず、そうしたタカ派的なイメージを持っていない。その物柔らかな態度や主張から感じられるのは、むしろハト派の優雅な語り部といった感じなのである。

テレビの討論番組などに顔を出す鈴木邦男は、終始、穏やかな笑顔を絶やさない。そして、論争相手の言葉に静かに耳を傾け、その言い分を虚心に受け入れてから、自説を述べる。その口調はあくまで優しく、相手を攻撃するのではなく、先方の誤解を解くことを目的にしているかのような柔らかな態度で語る。

こういう鈴木邦男の言葉を聞いていると、彼の主張は正しいが、論敵の言い分にも聞くべきものがある、だから、どちらが正しいか決めることなど無用だというような気持ちになる。つまり、視聴者は鈴木の話を聞いていると、自分の視野が広くなったような気がしてくるのだ。

その鈴木邦男が、11月22日の朝日新聞「乱流」欄に登場して、右傾化する日本の政局について感想を語っている。しかも、それは、ほとんど紙面の1ページ分をつぶすほどの長い記事になっているのである。

編集者も、鈴木邦男の語りにこれほど多くの紙面を割いたら、左右の両陣営から反発があるに違いないと予想している──左翼は、「なんで右翼になんか話を聞くんだ」と憤慨するだろうし、右翼は右翼で、「左翼が、また、鈴木邦男を利用している」と憤慨するだろう、と。

だが、わが国の急速な右傾化は、国内だけでなく世界全体の注目の的になっているのである。次期首相になることが、ほぼ、決まっている安倍晋三は極めつきの右翼であるし、総選挙後の政局の主役になるかもしれない石原慎太郎もまた「暴走老人」を自称するほどの右翼であり、彼とチームを組んだ橋下徹も、まぎれもない右翼である。

これに対抗すべき左翼陣営は、今や寂として声なしという状況になっている。こうした状況を右翼のなかのハト派というべき鈴木邦男がどう見ているかは、誰もが興味を持っているところなのだ。

鈴木邦男は、現下の政局をこう批評する。

「いま右翼的な主張をしている人は、天敵がいなくなった動物みたいなものですよ。威張るし増殖するし。このままでは生態系が破壊されてしまうのではないかと心配です。やっぱり僕らの時代はいい敵がいたんですよ」

彼は大学生の頃から、行動右翼として活動していた。その頃、全学連には左翼学生が集まっていて、鈴木邦男ら右翼学生と火花を散らして戦っていたのである。そうした体験から、彼は右翼が一方的に力を持ちすぎることに対して警戒心を抱き、日本が無謀な太平洋戦争に突き進んでいったのも、左翼という天敵がいなかったからだとして、自分が右翼でありながら、次のようなことまであえて口にするようになったのだ。

「右翼というのは社会の少数派として存在するから意味があるのであって、全体がそうなってしまうのはまずい。国家が思想を持つとロクなことにならないんですよ。必ず押し付けが始まりますから」

日本の左翼が振るわなくなったのは、何故だろうか。社会党が民主党に吸収されて保守化したためだった。自民党が一党支配を続けていた時代には、社会党は総評と組んで自民に対抗し、天敵の役割を果たしていたが、ひとたび与党になって政権党のうま味を知ると党は総崩れになり、その大半が保守化してしまったのだ。

学生運動に至っては、鈴木邦男が言うように、主流を形成していたのは左派で、右翼学生の方が少数派だったが、ここでも左翼がもろくも消滅することになった。

共産党の権威主義に反撥した学生運動の闘士たちは、全共闘の旗の下に集まって「新左翼」を名乗り、一般学生もこれを支持した。だが、新左翼が極左化して浅間山荘事件や連合赤軍のリンチ事件を起こすと、学生たちは一斉にノンポリになって学生運動に背を向けてしまったのだ。

鈴木邦男は、今や、左翼のくせに、「自分も愛国者ですけど」なんて前置きして話し始めるものが増えたと嘆いている。左翼はヒューマニズムに基づいた大きな理想を語り続けるべきで、現実に迎合したらおしまいだと彼は強調するのである。

この対談記事の中で、編集者は鈴木に質問を投げかけている。

「左翼は、どうしてこんなにしぼんでしまったのでしょうか」

「ソ連の崩壊とかいろいろあるでしょうが」と鈴木は言いながら、つきつめると、人間への期待値が高すぎたからではないかと、解説している。「どうせ人間なんて大したことないんだから(連合赤軍のように)100%にしようなんて思わずに、10%でも5%でも使えるところで使えばいいんです。期待値が低いから右翼はあたたかい。それで人が集まってくる。まあ10%の人間ばかり集まっても……という問題は別にありますが」

ここまで来ると、鈴木邦男の基本的な姿勢が明らかになる。

彼は、人間は一人一人皆違っているのだから、そうした個人差を尊重して、それを生かすような組織作りをする必要があると考えている。だから「党の判断に従いました」というような政治家は最悪で、議員たるもの、バックコーラス要員で甘んじていてはならない、自分の頭で考えて、下手でも独唱すべきだと力説する。

彼はまた、日本に誇りを持てというような右翼の主張に対して、日本人は謙遜な民族で、「弊社」「愚妻」という言葉を使っている。これにならって、自国のことを「弊国」「愚国」といってもいいではないかと言ったり、「君が代」は歌い憎いから、口ぱくでごまかすことがある、大阪にいたら自分は追放されるかも知れないと言ったりしている。

集団志向の日本人は、放っておけば競って多数の側につき、天敵なき社会を作り出してしまう。その結果として生態系が崩れて、変な方向に暴走して自滅する危険があるから、天敵の役割を果たす少数を大事にしなければならないと、鈴木邦男はいう。

その言葉の通り、鈴木邦男は右翼陣営の中にあって天敵の役割を果たしているようである。