甘口辛口

日記を止めるか

2013/1/1(火) 午後 2:12
日記を止めるか


60歳になったある日のこと、年末にふらりと書店に立ち寄ったら、店頭に日記帳が売り出されていた。

それまでは、大学ノートに断続して日記を書いていたけれども、あとで読み返したら、匠気のようなものが目について、読むにたえなかった。それで古い日記は、すべて庭の焼却炉に投げ込んで焼きはらってしまったのだった。今になってみると、戦中・戦後の日記を焼いてしまったのは、多少残念な気がしないでもない。史料的な価値のある記事が混じっていたような気がするからだ。

日記については、以前にブログに書いたことがあるので、その一部を引用してみよう、上記の文章に繋がる内容になっているので。

<・・・・・ 退職後に晴耕雨読の生活に入ることを予定して迎えた60才の正月、本屋から5年連用日記を買ってきた。百姓仕事をすることになれば、前年、前々年の作業状況を参照する必要が出てくるだろうし、それよりあと5年生きていられるかどうか、自分で試して見たかったからだ。

私は自分の寿命については悲観的な見方をしていて、長い間、60までは生きられないだろうと思っていたのである。それが60まで生きのびたから、この先5年間、生きていられるか試したくなったのである。だから、最初のページには、「この日記帳を終えるまで生きているかどうか分からないが───」という文章を書き込んだ。

そして、5年が過ぎると、また、「あと5年生きているかどうか不明であるが」という書き出しで二冊目の5年連用日記をはじめる。かくのごとくにして私は80過ぎまで生きてきたのである。その間に5年連用日記を4冊書き終え、現在は5冊目に入っている。

私が20年の余、日記を一日の欠漏もなく書き続けてきた理由は、新聞で読んだ(日記に関する記事)と同じ理由からだった。日記帳は約3000円するから、これを無駄にしたくないと思うし、農作業をやっていく上で毎年の記事を参照することは大変役に立つからだ。私が長年の喫煙を止めることが出来たのも、連用日記のおかげだった。禁煙を始めた最初の日の日記に、「禁煙第一日目」と記入し、それを「第二日目」「三日目」と記入して行って、ついにタバコと縁を切ることができたのである。

日記の続いた理由をもう一つ挙げれば、5年連用日記は各ページが5段に仕切られていてスペースが少ないため、私的な感情やら、告白やらを記入する余地がないことなのだ。記事の内容は、どうしても行動記録が主になる。これにその日の社会的なニュースを追加すれば、もう規定の欄に余白がなくなる。他人の目に触れることを恐れながら書く日記は長続きしない。公文書的な日記だと、長続きするのである。

森鴎外は学生時代から日記をつけていた。彼の言い方を借用すれば、寝る前に日記を書いてその日その日を「仕切っていた」のである。そして、その内容は行動記録が主になっていて、私的な感情を表白しているところはほとんどない。唯一の例外は、離婚した前妻登志子が死去したと知った日の記述くらいなのだ。日記というものは、感情をぶちまけたいというような欲求を抑え、禁欲的な姿勢を保持してペンを手にしたときに、日記らしい日記になるのである>

こういう文章をブログに書き込んでからも、日記を書き続けていたが、去年の12月に入った頃から(つまり一ヶ月前)、変調があらわれはじめた。約28年間にわたって,ほぼ毎日記入してきた日記を中断したまま日を過ごすようになったのだ。以前は、連用日記の所定の欄が空欄になっていると気持ちが落ち着かず、あとからその日のことを思い出して空白の欄を埋めるというようなことをしていたのだが、空欄が数日続いても平気になり、更に10日、20日と続いても意に介しないようになった。

だが、年末が近づき机上に放置された日記帳を目にすると、これはそのままにして新しい連用日記を購入し、新規蒔き直しの気持ちで再出発しようかという思いが湧いてきた。日記をつけないでいた1ヶ月近くを思い出してみると、時間がフラットなかたちで流れ去ってしまったという気がする。毎日、短い日記でも書いていると、時間の流れに刻み目が入り、しかるべき場所に収まったという気がしてくるのだ。

だが、結局新しい日記帳を買いに行くことなく、新年の今日を迎えてしまった。日記をつけないでいたために、知らない間に正月になっていたという感じがあり、今年は変な気持ちのままで元旦の酒を飲んでいる。

この年になると外出するのも面倒になり、新本も古本もインターネットで購入するようになっている。そのうちに、インターネットで使用する日記用の型枠を売っているメーカーがあったら、そのソフトを購入してパソコンで日記を書こうかと考えている。