「檻のなかの子」を読む
バイクを乗り回していた頃は、よくBOOK・OFFや、大型古書店に出かけたものだ。店に入ると、まず、百円コーナーに直行するのだが、そこで注意をひかれるのは翻訳された欧米の本だった。その中には、おやっと思うような本が並んでいるからだった。たとえば、私がこれから紹介しようと思っている「檻のなかの子」や「子供たちは森に消えた」というような本が混じっているのである。
この二冊とも発行元は早川書房だが、造本も紙質も上等で、手で取り上げるとずっしりと重みがある。何しろ「檻の中の子」などは488ページになる大冊で、新本で売られている時には2000円した本なのだ。それが新本そのままの汚れのない状態で、僅か100円で売られているのである。
「檻の中の子」は義父から虐待されて無言症になった少年をクリニックの学者が治療してゆく過程を取り上げている。「子供たちは森に消えた」は連続殺人犯を逮捕するまでを描いたノンフィクションの作品。両者とも文中に続々と見慣れない人名や地名が出てくるので、地方に住む日本人に敬遠され、百円コーナーで叩き売りされることになったのだ。
私も地方住まいの日本人だから、それらを購入して自宅に持ち帰り、最初の数ページを読んだだけで投げ出してしまった。実は、私の書架には、こんなふうにして100円コーナーから買い込んできて、読まれることなく眠っている翻訳書が多数あるのである。
そうした本の中から、この二冊を読む気になったのは、年末にパソコンの調子が狂ったからだった。パソコン変調の原因は、パソコンで日記を書く事にしようかと思い立って、手始めにベクターから日記用のフリーソフトをダウンロードしたことからはじまる。そのあとで、もっと違うソフトも調べてみようとフリーソフトを削除したら、どこかで間違った操作をしたらしく、それ以来、パソコンの動きがおかしくなったのだ。
パソコンが不調ということになれば、パソコンのために使っていた時間を読書に振り向けることになる。こうしたことから、「檻の中の子」が改めて読み直されることになったのだが、腰を据えて読んでみると、これはなかなか面白い本だった。それで、次に「子供たちは森に消えた」読んでみたら、これも大変面白かった上に、読んでいると日本とは異なる外国の精神風土といったようなものも理解されてきて、「自己啓発」の契機にもなった。
「檻の中の子」の著者トリイ・ヘイデンは、異色の経歴の所有者で、普通の小学校で一年生を教えたこともあれば、大学で大学院生を教えたこともある。進歩的なオープン・スクールで働いたこともあるし、州立精神病院の小児病棟に設置された閉鎖教室で働いたこともある。女である彼女は教えることが大好きだったのだ。
多様な経歴を体験しながら、彼女はずっと「選択的無言症」というあまり知られていない精神現象について研究していた。これはおもに子どもに起こる情緒障害で、ある場所では話すことができるのに、それ以外の場所では語ることができなくなるという病気で、トリイはこの問題に関する膨大なデータを集め、治療方法も開発していたのである。
そんなトリイが、研究職の児童心理学者を求めているクリニックの広告を見て、応募することを決心する。クリニックに採用された彼女は、「選択的無言症」の研究を更に深めて、その方面の専門家として知られるようになる。すると、ある児童保護施設に勤務するソーシャルワーカーから、あなたに診てもらいたい子供がいるという依頼の電話がかかって来たのだ。
それは8年間、だれとも口をきかず、一日中ずっと児童保護施設の机の下にひそんでいる15歳の恐怖症の少年だった。この子は、ひとたび恐怖心が爆発すると、猛獣のように暴れまわり、周囲や自分を傷つけたりする。
この少年は、テーブルの下にもぐって、自分が安全だと確信できるまでテーブルの周囲にずらりと椅子を並べてしまうことから、「ズー・ボーイ(動物園の子供)」というニックネームがつけられていた。
少年の名はケヴィン・リクターといった。ケヴィンの問題は単にテーブルに執着するということだけではなかった。彼はしゃべらなかった。泣くときでさえ、声を出さなかった。ケヴィンを預かっていた施設からの報告によれば、彼は学校に通っているときにも一度もしやべったことはないとのことだった。
無言症よりも、もっとはっきりしているのは、ケヴインの恐怖心だった。彼はほとんどすべてのことに病的なまでの、胃がよじれるような恐怖心をいだいていた。彼の生活は恐怖に食いつくされているといってもいいほどだった。彼はハイウェイ、ドアの蝶番、ノートの螺旋綴じ、犬、暗闇、ペンチ、床に落ちている糸くずなどが怖くてたまらなかった。水が怖いために風呂にも入れず、服を脱いで裸になることに迷信じみた恐れをいだいていたために着替えることもできなかった。
ケヴインは、最近の三年間というもの、施設の敷地から一歩でも外に出ることを拒んでいるという。それでトリイ・ヘイデンは定期的にケヴィンが収容されている施設に通うようになった。施設に着くと、彼女は少年がとじこもっているテーブルの下に潜り込んで相手と話さなければならなかった。
最初のうち、ケヴィンは「檻」のなかに入ってきたトリイを恐怖の目で迎えた。彼の体は恐れのために小刻みに震え、歯はガチガチ鳴り、頭まで前後に振れている。その恐怖は、トリイにも乗り移って、彼女も息が苦しくなった。だが、トリイが辛抱強く施設に通い、熱心に語りかけているうちに、ケヴィンも警戒心を解いて言葉を発するようになった。そして、ついに、こんなことをいうようになった。
「時々、なんで人はほかの人を憎むのかなって思うんだ」
そして、目を上げてこんな質問をするのである。
「何をしたら人に憎まれるの? 何をしたら憎むのをやめさせることができるの?」
症状が次第に快方に向かい始めたある日、ケヴィンが描いた一枚の絵を見てトリイは仰天する。それはあまりに精密で写真のようにリアルな絵だったからだ。---男が腹をひき裂かれ、路上に腸をぷちまけられ、死顔をカラスがついばんでいる……
ケヴィンは心の奥に封じ込めていた激しい憎悪を解き放ったのだ。そして、彼自身と妹たちが義父から受けてきた、おぞましい虐待に対する怒りをあらわにしたのである。
これが切っ掛けになって、ケヴィンは少しづつ義父との関係を語るようになる。
(つづく)