「子供たちは森に消えた」(2)
事件の捜査が難航したのは、犯人が被害者の体につけた精液のほかに、手がかりになるようなものを何も残していなかったからだった。その点で、犯人はかなり頭のいい男ではないかと思われた。
当局は、捜査に惜しみなく人員を投入した。この事件のために捜査検事15人、ベテラン捜査員29人を振り向け、一度の捜査に250人の民警を動員したこともあったが成果は一向に上がらなかった。厳しい尋問を受けて、「私が犯人です」と偽りの自白をした容疑者が5人、自殺した容疑者が、やはり5人も出たが、成果は皆無だった。
そうした失敗を繰り返しているうちに、当局側の方針とそれに伴う捜査体制も段々整ってきた。これには当局の依頼を受けて、犯人のプロフィルを研究してきた精神医ブハノフスキーの功績によるところが大きかった。彼は、「犯人X」に関する以下のような報告書を当局に提出している。
<]は単なるサディストではなく、死体加虐性愛者と呼ぶべき人間だろう。性的満足を得るために]は被害者の死を目のあたりにする必要があり、]の殺人は性交の類似行為・代用行為なのだ。
Xは、被害者を森のなかに誘い込むと、素手かナイフの柄で頭部に打撃を加え、被害者を無力にすることから儀式を開始する。次に被害者を裸にし、その横にかがむか、あるいは被害者の上に馬乗りになる。]のナイフは正常に機能しない彼自身のペニスの代用品となる。]はまず軽いタッチでナイフを使い、のちに被害者の首や胸に浅い傷を負わせていく。この行為は前戯に相当するものである。
次に]は腹部を深く突き刺す。これは一般の男性がオルガスムスに達するための最終的な行為に相当するものだ。
しかし、]の本来のペニスはもうー方の手に握られているか、あるいは衣服のなかに隠されているはずで、]は時には被害者の血や断末魔の苦しみを目にするだけで充分な刺激を得、マスターベーションをすることなしにオルガスムスに達するに違いない。
また時には、ズボンの前をあけ、空いた手でマスターベーションをしなければならないこともあるであろう。被害者の死体に付着する精液が発見されたり、発見されなかったりするのは、このような事情によると考えられる>
捜査官たちは、被害者の自宅に飛んで、身内の者から事件直前の被害者の行動について聞き取っているうちに、彼らの行動には一つの共通点があることに気づくようになった。被害者は、大人の女から、まだ小学生の男児に至るまで雑多だったが、彼らは皆、家を出てから列車やバスを利用しているのだった。
ということになれば、犯人が知人でもない多種多様な人間を人目につかない場所に誘い込み得た理由も分かってくる。犯人は列車やバスの待合室か車内で犠牲者を物色し、言葉巧みに森や林に誘い出して殺していたのだ。捜査員たちは、捜査検事の指示を受けてロストフ市内の停車場やバス待合所に散り、見知らぬ乗客に話しかけている不審な男をマークし始めた。被害者の分布状況からして、犯人はロストフ市に住んでいると思われたからだ。
捜査員らは、疑わしい男を見つけると身分証の提示を求め、怪しげな点があると警察署に連行して、まず血液型を検査する。被害者に付着した精液から、犯人の血液型がAB型であることが明らかになっていたからだった。民警が次々に容疑者を署に連行して取り調べを続けたために、ロストフ市内だけでなくロストフ州一円の住民の間に、大量殺人を行う悪魔的な人間が近くにいるらしいという噂が浸透するようになる。
そんな中で、真犯人が署に連行され取り調べを受けることになったのである。
最初の犠牲者リユボフィ・ビリユクが殺された時から2年あまりたった1984年の8月末のことだった。この日、早朝から捜査チームのアレクサンドル・ザナソフスキー少佐は、四人の部下とともに平服でロストフのバス停の待合室に張り込んでいた。夜の八時ごろ、待合室にいたザナソフスキーは、十七、八の若い娘と話をしている男に注意を引かれた。男は娘の父親のようにも見えた。男はネクタイを締め、眼鏡をかけ、ブリーフケースを持っていた。かなりの教養の持ち主のように思われた。
しばらくすると娘は笑顔を見せ、ベンチから立ち上がると、バスをつかまえるために待合室から姿を消した。男は娘のあとを追う姿勢を見せなかった。男はベンチを離れると、待合室のなかをぶらぶらと歩きはじめ、やがて別の若い娘のとなりに腰を下ろし、話しかける。
おかしな男だなと、ザナソフスキーは思った。彼は男に近づいて、民警の記章を見せて身分を明らかにしてから、男に同行を求めた。待合室の隣には民警の分室があったので、相手をそこに連れて行ったのである。男の身分証明書には、何の問題もなかった。
男の名前は、アンドレイ・チカチーロで機械製作の国営企業に勤務する資材課長だった。結婚していて、二児の父親。自分は、以前に教師をしていたので、若ものと話をするのが大好きなのだと自身の行動について弁解する。ザナソフスキーは肩をすくめ、彼を放免した。それからザナソフスキーは待合室に戻り、さきほどチカチ一ロが話しかけていた少女に事情を聞いてみた。「一緒にどこかに行こうと、誘われなかったかね?」と尋ねると、少女は、いえ、どこの学校に通っていて、どんなことを勉強しているのか、と聞かれただけですと答えた。
それから二週間がすぎた九月十三日の晩、ザナソフスキーはまたしてもチカチ一ロをロストフのバス停の待合室で見かけた。チカチ一ロはそこで十人近くの若い女たちに話しかけていた。だが、不審な動きを見せることはなかった。
やがて、チカチ一ロはバスに乗り、少し乗ってからバスを降り、レストランに入った。彼は、酔っ払っていることが一目で分かる女に話しかけた。やがて彼はその女のもとを離れると、今度は通りの反対側のカフェに向かった。そこでも彼は、何人かの女たちになれなれしく話しかけた。カフェを出たチカチーロは、依然としてひとりきりで、ロストフの繁華街にある公園のベンチに坐っていた。チカチ一ロが公園を出てエンゲルス通りを駅の方角に向かって歩きはじめたので、ザナソフスキーもそのあとを追った。
すでに深夜は過ぎて空が白み始めている。が、チカチ一ロは相変わらず街をさまよい歩いていた。彼はまたしてもバス停に立ち寄り、女たちと次々に話をはじめた。どの女もしばらく彼と話をしたあと、バスに乗り込んでその場を立ち去っていった。チカチーロは待合室のベンチに横たわる、十九歳くらいの若い娘に目をつけた。彼は娘に近づくと、そのかたわらに腰を下ろした。チカチ一ロは娘の髪を撫でまわした。と、だしぬけに娘がベンチから立ち上がった。ブラウスのボタンをはずさないでちょうだい、と彼女が抗議するものとザナソフスキーは思った。
だが、娘は甘えるような表情を見せ、もう一度ベンチに横になった。するとチカチ一ロは上着をぬぎ、それを娘の頭にかぶせた。ザナソフスキーは、上着の下で娘の頭が上下に動いていることに気づいた。ほとんど人けの失せた待合室で、彼女はフェラチオをはじめたのだ。やがて、チカチ一ロと娘は立ち上がり、別々にトイレに入った。トイレから最初に出てきたのは、チカチーロだった。彼は落ち着かない様子であたりを見まわした。そして、いきなり速足で待合室を出ると、路面電車に飛び乗った・・・・
チカチ一ロの後をつけて相手の行動様式をすっかり呑み込んだザナソフスキーは、チカチ一ロに声をかける。ザナソフスキーの顔を覚えていたチカチ一ロは、民警の分署への同行を求められると、抵抗するのをあきらめて、おとなしくついてきた。
ザナソフスキーはチカチ一ロのブリーフの中を調べ、刃渡り10インチのキッチンナイフを見つけたとき、胸の中に連続殺人の犯人をついに捕らえたという確信が拡がるのを覚えた。だが、彼の血液型を調べた結果は、A型だったのだ。
(つづく)