「子供たちは森に消えた」(4)
収監されたチカチ一ロは、「これは不当逮捕だ」と抗議し、弁護士にもそのことを訴えたが、ソ連では弁護士は依頼人よりもまず国家に奉仕するように訓練されていたから何の効果もなかった。そこで、彼は方針を変えて「陳述書」を書きたいと言い出した。「陳述書」は、こんな風にかかれていた。
「私は11月20日に逮捕され、それ以来ずっと拘禁されています。いまの心境を正直に申し上げたいと思います。私は抑圧された耐えがたい状態におかれています。自分に罪があること、不安定な性的感情を持っていることはわかっています。頭痛、記憶力の弱さ、不眠症、性の悩みのために、以前、精神科で診てもらいました。しかし、治療の効果はありませんでした。
私には妻と二人の子供がいます。セックスの弱さと無力感で悩んでいます・・・・」
チカチ一ロは、この陳述書の中で遠回しに自分の犯行を認めている。だが、殺人に関する具体的な説明を避けているので、自白とは言い難かった。それで尋問に当たった捜査官が、「最初の殺人のことを話してみないか」と水を向けると、チカチ一ロは明日まで待ってくれと言った。
翌日になると、彼はまたもや陳述書を書かせてくれといい、その乞いを容れて一日の猶予を与え、陳述書を書かせてみると、陳述書は前回のものと同じで、彼が実行した殺人に関する具体的な説明はなかった。
チカチ一ロの逮捕から七日経った。チカチ一口は自分自身のことをしゃべりまくり、自分が真犯人であることをさかんに匂わせた。ところがそれでいて、具体性のある彼の自白といえば、はるか昔にやった二件の子供へのいたずらのことだけだった。彼が罪悪感と不安にさいなまされ、心の重荷をおろしたいと願っていることは確からしかった。しかし尋問官には、そういう相手から、どうやって自白を引き出すことが出来るか全く見当がつかなかった。
民警の尋問官の手では、もはや打つ手がなくなったので、主任捜査官は以前に犯人のプロフィールを描いて捜査に協力してくれた精神医ブハノフスキーの援助を求めることにした。
依頼に答えて尋問室に姿を現したブハノフスキーは、チカチ一口に名刺をわたし、自分が精神科医であることを告げた。そして、長年チカチ一ロのことを考えてきたと話し、自分がまとめたチカチ一ロに関する報告書を見せて、自分がいかに彼について深く理解しているかを明らかにしてみせた。
およそ二時間はどで、ブハノフスキーはチカチ一ロとのあいだに信頼関係を作り出し、捜査員たちが喉から手が出るほどほしがっている自白を引き出しはじめた。
プハノフスキーによれば、尋問官に必要なことはチカチ一ロが何を話したがっているかを理解することだという。つまり、彼の陳述書にあふれている恥辱、屈辱、怒りの感情を理解してやればいいのである。る。
チカチ一ロは、次のように語り始めたのだった。
「私が実行した最初の殺人の被害者は、リユボフィ・ビリユクという少女ではない。エレーナ・ザコトノヴァという少女が最初の被害者なのだ。
私は当時、鉱山技術者を養成する第三十三技術学校の教師をしていた。その頃、私は子供の裸が見たいという欲望に駆られていた。まったくどうしようもないはど子供に惹きっけられていたのだ。私は街の中心部の女性用トイレのまわりをうろついて、だれも見ていないすきを狙って、トイレ内の女の子をのぞいたものだった。
最初の殺人は、こんな具合に実行した。私は、ある日、帰宅する途中に自分の横を、十歳か十二歳くらいの女の子が歩いているのに気がついた(エレーナ・ザコトノヴァは実際は九歳だった)。しばらく並んで歩いてから、私はその子に話しかけたら、友だちの女の子の家に行くところだとか、行ってきたとか答えたのを憶えている。人気のないところまで来たとき、私は急に衝動に駆られた。・・・・少女が死んでいることに気づいたので、服を着せ直してから、死体を川に投げ込んだ」
尋問に当たった係員が、チカチ一ロの自供に基づいて該当する事件の記録を調べてみたところ、死体は実際に川で発見されていた。が、自供では絞殺したということになっていたのに、実際は少女をナイフで刺殺していた。死体は目隠しをされた状態で発見されたので、何故なのかと質問すると、チカチ一ロは殺された者の眼に、殺人者の姿が焼きつけられるという話を以前聞いたことがあったからだと答えた。
チカチ一ロがこの殺人事件の犯人だと判明すると、騒動になった。ロストフ州の検察庁と民警は、ザコトノヴァ殺しの犯人として別の男、アレクサンドル・クラフチエンコという男を犯人と考えて、すでに処刑してしまっていたからだった。
クラフチエンコは、仮保釈中の元殺人犯で、何か事件があるたびに真っ先に容疑者リストに挙げられるような男だった。彼はやってもいない犯行について自白し、有罪を宣告され、処刑されていたのである。
尋問の最終日には、チカチ一ロが殺害を自白した被害者の数は56人に達していた。そのうち、充分な証拠が発見でき、チカチ一ロの起訴の対象となったものは53人−−−女性31人、男性22人だった。しかし、正確な総数は決して明らかにならないだろう、と捜査官は考えている。チカチーロが忘れてしまった被害者や、何らかの理由で秘密にしておこうとしている被害者もいるはずだったからだ。証明する手立てはなかったが、被害者の本当の総数は公表された数字をはるかにしのぐかもしれなかった。
チカチ一ロが裁かれる日が来ると、裁判所の200の椅子は彼の顔を一目見ようとする人々でたちまち埋め尽くされた。法廷に彼が姿を現すと、被害者の身内らしい老婆が芝居がかった所作で檻に向かって突進して、「人殺し!」と叫んだ。チカチ一ロは檻に入れられて出廷したので、被害はなかった。
裁判の進行は、はじめから変な具合だった。犯人のチカチ一ロと弁護士は、裁判をそっちのけで怒鳴りあいの喧嘩を始めるし、と思うとチカチ一ロは裁判長に向かって、自分と同性愛の関係を持たないかと提案したりする。
被告席でのチカチ一ロの発言は、精神錯乱を来したように一本調子で区切りがなく、何の脈絡もないまま発言内容を次々と変えていった。
「これはおれの葬式なんだ。笑うな。おれは一生笑われつづけてきたんだからな」
「おれは別の人生で、別の星で殺人を犯してきた」
「こんなもの、裁判じゃない。猿芝居だ!」
三ヶ月後、チカチ一口は檻のなかでいきなり立ち上がるや、シャツのボタンを外しはじめ、「出産の時間が来た」と宣言した。そして、ふいに話題を変え、自分は生粋のウクライナ人だから、とウクライナ人の弁護士を要求すると叫んだ。
翌日、チカチーロは立ち上がってまたシャツのボタンを外し、そしてまたウクライナ人弁護士を要求した。それから、ズボンをゆるめて足元に落とし、だらりとしたペニスをむき出しにした。それから彼は、弁護士に向かって抑揚のない一本調子の大声で叫んだ。
「おまえはおれを笑ってるだろ。おれが四十年間オナニーをやりつづけてきたってな」
チカチ一ロが法廷で示した狂態は、自分を精神異常者と思わせ、だから責任能力はないと主張するためだと思われる。思い出すのは、オウム真理教の麻原 彰晃で、彼は面会に来た娘の前でオナニーを始めている。
死刑の宣告を受けたチカチ一ロは、某日の朝、死刑執行官によって処刑室に連行され、ソ連式の流儀にしたがって、ピストルを耳に押し当てられ、銃弾を脳に撃ち込まれて処刑された・・・・と推測されている。