甘口辛口

「砂の女」の結末(2)

2013/4/8(月) 午後 9:00
「砂の女」の結末(2)

私は安部公房の作品を読んだことがなかったけれども、かなり以前に古書店から彼の本を買ってきて、いわゆる「自炊」によって活字をデジカル化したことがあった。その本というのは、日本文学全集中の一冊だったので活字が小さく、老眼では甚だ読みにくかったからだ。そんなことで、こちらがその気になりさえすれば、パソコンのディスプレイ上に何時でも彼の作品を呼び出して、すぐにでも読めるようになっていたのだった。

が、これまでは安部公房作品に抵抗感があり、「その気」になれずにいたのである。だが、今度は違った。「砂の女」の結末を知りたいという強い願望があったから、それが推進力になって、ディスプレイに呼び出した作品をすぐさま読み始め、あっという間に読み終えることが出来たのである。

そうやって原作を読んでみると、映画では明らかにされていなかった事実がいろいろとあることが分かった。

第一に主人公は、仁木順平といって、当年31歳になる男だった。原作では、この男は内向的な性格で、口をきくときに舌がもつれるようなまどろっこしい話し方になる、と説明されている。

女の方は「しの」という名前で年齢は30そこそこ、話し方は遠慮がちでおずおずしているとあり、ある年の台風の日に、亭主と子供が家畜小屋もろとも砂に埋もれて死亡したため寡婦になったとある。彼女はウサギに似ていたとあるから、作者は彼女をナイーブで愛らしい女として読者に印象づけようとしたに違いない。

作品を読んで行くと、映画では明らかにされていない重要な問題が記述されていた。映画を見ていたときには、女の家が蟻地獄の底のようなところにある理由を、そこが砂の吹きだまりになっていたからだろうと思っていた。が、原作を読むと、そうではなかった。この部落では、海に面した十数軒が押し寄せてくる砂から村を守る任務を負わされていたのである。

これらの家族は年がら年中、砂を掻き集めてはモッコに積み込む作業をしていたのだ。この十数軒のなかには何代にもわたって砂掻きを業としている家族があり、しのという女の家も、そのうちの一軒だった。だから、村のリーダーたちは彼女が寡婦になったのを見て、放っておかなかったのである。

作品の前半の部分に、仁木順平がある夜、穴の底から抜け出ることに成功する挿話が書き込まれていた。だが、彼は村民に発見されて、懐中電灯を振りかざした数十人の村民に包囲され、再び、穴の中に追い戻されている。「砂の女」を寓意小説として読むとしたら、この挿話はかなり重要な意味を持ってくるのだ。

作品の終わり近く、女が妊娠したことが語られる。やがて女が出血したことから子宮外妊娠が疑われ、彼女は町の病院に入院することになる。女は、オート三輪で駆けつけた村民たちの手で、病院に運ばれることになったが、布団にくるまれて蓑虫のような格好で穴の外に担ぎ出されて行く女は、涙ぐんだ目で訴えるように男の方を見ていた。しかし、男はその視線に気づかなかったようなふりを装い、相手から目をそむけてしまうのである。

そして、最後のページになると、何の説明もなく、家庭裁判所による二通の通告書が掲げられて作品は終わっている。小説としては、異例の終わり方をしているのである。

掲げられている最初の文書は、「失踪に関する催告」となっている。仁木しのによって夫が失踪したことを広く広告する内容の文書だ。二通目は、仁木順平の行方を捜したが見つからなかったので、裁判所は彼を生死不明の失踪者として認定するという内容の文書だった。

このお役所式の冷たい文体で記された二通の通告書は、何を意味しているのだろうか。

女が病院に運ばれてしまった後、男は縄梯子が下ろされたままになっているのを見て、穴から脱出する気持ちになったらしかった。退院して家に戻った女は、男が姿を消したことを知って、手を尽くして男を捜したと思われる。だが、男が見つからないと分かったとき、女は男を失踪者として裁判所に認定してもらったのだ。

裁判所が夫を失踪者と認定してくれなければ、女は別の男と結婚することが出来ない。女は村の砂掻き要員として家を保持してゆくためには、再々婚して別の男を家に迎え入れる必要があったから、彼女は仁木順平に未練を残しながら、早々に彼を失踪者として切り捨ててしまったのであった。

女が仁木順平に対してとった果断な態度を見れば、この作品を書いた安部公房の作意が何となく理解されてくる。

女が家を維持して行くためには、自由を求めて広い外の世界に目をやる男を家に引き留めておかねばならない。そうするためには、女の魅力や努力だけでは足りないから、社会が乗り出して女を支援することになる。作品の前半に記されていた男が穴から逃げ出す挿話――懐中電灯を振りかざした村民らが男を包囲して穴の中に追い戻す描写は、男が女を捨てて家から逃げ出すことを社会が阻止する状況を象徴する光景だったのである。

女は男を引き留めようとするが、男が家を守るのに役立たないと知れば、容赦なく男を切り捨てて、別の男に乗り替える。病院に運ばれるときに、涙ぐんで男を見つめた女も、相手が当てにならないと知れば、あっさりと見捨ててしまうのだ。

安部公房は、生きものとしての男と女の違いを描き分けながら、そういう男女を背後からあやつる社会の顔を描いている、優しくもあり、冷酷でもある社会の顔を。