甘口辛口

テレビを見ながら(2)

2013/5/6(月) 午後 4:00
テレビを見ながら(2)

老人は、テレビに「子守り」をされて一日を過ごすといわれる。私もその一人で、視力が弱ってくるにつれて、いよいよその傾向が強くなっている。テレビを見る時間が増えたということは、新たに視聴することになったテレビ番組があるということを意味している。では、どんな番組を新たに見るようになったのだろうか。

これまで好んで見ていたのはノンフィクション番組と洋画だったけれども、これに芸能裏番組というようなジャンルのものが加わったのだ。歌手や人気俳優が出演する番組を見ていないにもかかわらず、彼らの裏の生活を取り上げた噂話的裏情報番組だけを見るようになったのだ。目下人気を集めているらしいアイドルたちの結婚や離婚、その家族や豪邸、副業の成功・失敗等々、これを見ていると、この世にある人間悲劇と喜劇のすべてを見ることができるように思われるのだ。

なかでも、関心をそそられるのが、往年の有名タレントが今どうなっているかというレポートで、テレビ草創期を見聞きしているわれら老人にとって、以前の美女美男が皺だらけのじいさん・ばあさんになって登場するのを見るのは、感慨深いものがあるのである。小山明子や真行寺君枝の消息を知る時には特にその感が深い。

──こちらがパソコンを始めた頃は、「パソコン通信」の最盛期だったから、私もいろいろなグループに参加して、盛んに書き込みをしたものだった。ある時、あるフォーラムで、お気に入りの女優についての話題が盛り上がったことがある。その際、私は真野響子を賛美する書き込みをしたのだった。

真野響子に惚れ込んだのは、彼女が芸能レポーターに対して明確な拒否の姿勢を示していたからだった。多くの女優は自身の周辺に芸能関係の記者やライターが群がることを喜び、競って彼らに自己PRの情報を流していた。そんな中で、真野だけはレポーターを身辺に寄せ付けず、彼らのカメラが自分に向けられると、サッと姿を隠していた。私は彼女の世俗に対する毅然とした態度、マスコミにへの身の処し方にいたく感心していたのだ。

興味があったのは、フォーラムに集まる発言者のうちで、真面目な書き手ほど「清純派女優」を愛していることだった。その清純派女優の典型が真行寺君枝であり、小山明子だったのだが、高校の教員をしていた私は、それにすぐに同調できなかった。多くの生徒を見て来た立場からすると、清純な感じのする女生徒には、全部とは言わないけれども、性格に偏りがあり、嗜好に奇妙な幼さがあって、扱いに苦労することが多かったからだ。

彼女らを眺めての私の結論は、こうだった──彼女らの容貌が清純な印象を与えるのは、実は小学校5,6年頃の顔立ちをそのまま残しているからで、つまりは精神的にまだ半熟の状態にあるあるからではないか。精神的に未熟だから、成長後に成人の感覚と少女期の感覚がごちゃ混ぜになって、偏りのあるパーソナリティーになり、周囲の人間を辟易させるようになる・・・・。

芸能界裏事情番組に登場する小山明子も真行寺君枝も、幸福な生活を送っているようには見えなかった。小山の夫である大島渚は半身不随の病人であり、その長い闘病生活を妻として支えてきたため小山の容貌はすっかり変わっていた。往年の美貌はどこにもなかった。彼女自身、自殺を考えたこともあると語っている。

真行寺君枝に至っては、ドラマーか何かの問題の多い音楽家と結婚し、山のような借財を抱えているらしかった。小山の場合は、夫が重病に冒されたために苦況に立たされたのであって、その責任は彼女になかったが、真行寺君枝の場合は、結婚相手の選択を誤ったために、窮地に立たされたのであり、責任は彼女自身にあった。清純派の美女が艱難辛苦をなめる傾向があるとしたら、それは真行寺君枝型の自己責任による場合が多いのである。

裏事情番組に往年の美男美女俳優が続々と登場して、以前とはうって変わった容貌を見せるのに、真野響子が登場することはなかった。だから、今度、真野にテレビのモニター上で再会したのは20〜30年ぶりと言うことになる。にもかかわらず、彼女の容貌は以前記憶しているものと、ほとんど変わっていなかった。話し方にも昔と変わらないいきいきした精気があり、気分が高揚してくると肌にうっすらと血の気がさしてくるところなど若い娘そのままだった。

驚いたことに、インターネットで真野について調べてみたら、私はほとんど彼女の出演した番組を見ていないのである。真野はNHKの大河ドラマや、NHK制作のTVドラマにも何度も出演しているらしかったが、私はそれらを視聴したことはないし、まして彼女が民放ドラマに出演したものは何一つ見ていない。とすると、彼女は何時私のお気に入り女優になったのだろうか。

よく思い出せないけれども、私は真野響子が芸能レポーターを厳しく拒否する場面を見て好感を持ち、彼女のインタビュー番組を見ていてさらに好感を持ったと考えられる。そのインタビュー番組の中で彼女は、「私のゲジゲジ眉」といって自分の眉について語っていたのだが、インターネットに掲載されている彼女の写真を見ると、成る程、その眉には特徴があった。

60歳になっても若さを保っている真野響子を見ていたら、これは小説の続編を書かなければならないぞと思った。主役の高校生は、30代後半になる親友の母と関係を持つことになる。その親友の母親というのが、真野響子に似ているのである。実在の真野が60になっても未だこの若さだとしたら、主人公が20年後に親友の母親と再会したとしたら、再び情熱を燃やすことになるのではないか。作中人物に真野の面影を持ち込んだために、そんな馬鹿げたことをこちらに考えさせるほど、「徹子の部屋」の真野は若々しかったのである。