甘口辛口

「死ぬ気まんまん」の佐野洋子(2)

2013/7/8(月) 午後 2:23

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                                  佐野洋子
「死ぬ気まんまん」の佐野洋子(2)

佐野洋子の本を読んでいると、ニヒリスティックな発言がぽんぽん出てくる。たとえば、こんな具合である。

「人間の一生なんて、息して、ごはん食べて、うんこして、死ぬっていうだけよ」

「生まれてくるのも死ぬのも、自分の意志ではない。生きることは、死ぬまでのひまつぶしにすぎない」

そんな俗耳に入りやすい発言のなかで、一番感心したのは、「佐野洋子対談集」という本の中に出てくる次の言葉だった。

<私は何のために生きてるのかというと、日常生活をするために生きてるの。
 その日常生活をするのに仕事とお金が必要で、仕事のために生きてるというふうに
 感じたことは一度もない。仕事は好きじやないの>

私たち人間が、生に執着するのは高邁な思想のためなどではなく、「日常生活への執着」の為なのである。逆にいえば、人間が自殺するのは日常生活そのものが耐え難いものになり、日常生活への執着が薄れてきたときなのだ。

こういう見事な発言をする佐野は、いかにしてこのような考え方を育むに至ったのであろうか。それを知るためには、彼女の生育歴を知る必要がある。

彼女が深く愛していた父親は、左翼思想の持ち主だったために国内では就職口がなかった。それで満州に渡り、満鉄の調査部に雇われて中国人の生活慣行調査をすることになった。それで一家は北京に移り住むことになるのである。
                     
日中戦争時代の北京のことだから、市内には乞食が溢れていた。家族連れの物乞いが毎朝家の前に来たり、冬には門を出ていくと塀のところに死体がころがっていたりする。それがきのう転がってたのとは違う死体だったりするのだ。だから、朝起きて、そこに死体がないと、かえって変な気がしたほどだった。人がコロコロ、コロコロ至る所で死んでいたのである。

事情は、佐野洋子の家の中でも同じだった。彼女は書いている。

<私の家族は私の目の前で、スコンスコンと何人も死んだ。昔は皆、病人は家で死んだ。
 三歳の時、生まれて三十三日目の弟が、鼻からコーヒー豆のかすのようなものを二本流して、死んだ。あんまり小さかったので顔も覚えていない。・・・・・私は悲しいと思わなかった。あんまり赤ん坊だったからだ。あれはいったい何の病気だったのだろう。病院に連れて行く間もなく突然に死んでしまった>。

これが、始まりだった。佐野は7人兄弟の2番目で長女だったが、弟たちが相継いでなくなっていった。なかでも4歳ちがいの弟のタダシの死は彼女にとって打撃だった。敗戦で北京から引き揚げてくるとき、8歳の佐野は4歳のタダシの子守係を言い付かっていたからだ。

<今でも私はタダシの柔々と丸っこい小さな手の感触がよみがえる。
 いつも私が手をつないでいた。引揚船の船底からほとんど縄ばしごのようなものを上り、つるつるに氷ですべる甲板のトイレに連れて行った。タダシは四歳にして貫禄があった。一度もぐずったこともなく我が儘も言わなかった。無口だった。その上、眉毛のはじにつむじがあり、小さい西郷隆盛のようだった。
 母は背中に生後三ケ月の赤ん坊を背負い、ほかに三人の子供がいたので、タダシは私の子供のようだった。たぶんタダシのことは母より私の方がよく知っていたと、いま思う>

一家が父の田舎に引き揚げてからも、タダシは佐野洋子の子供だった。そのタダシも二月に引き揚げて来て五月に死んだ。

死ぬ前の前の日、佐野はタダシとれんげ畑にいた。彼女はれんげの花を摘んではタダシに握らせた。いつもはとても喜ぶのに、その日は笑わなかった。石に座ったまま花を黙って握っていた。花をもう一度握らせようとした時、前の花の束がばかに熱くて、ぐつたりしおれていた。

家に帰ろうと思ってタダシの手を引いたが、動こうとしなかった。佐野は強く手を引いた。タダシは嫌々歩いてすぐしやがみ込んだ。佐野はじれてタダシを背負った。背中がすごく熱くなった。タダシがその時、高熱を出していたのだとわかったのは、彼女が大人になってからだった。

父の実家の蚕部屋で、タダシは二日目の夜に死んだ。小さな小さな棺桶だった。医者も来なかった。医者のいない村だった。

タダシは白い米の飯を生涯一度も食わずに死んだ。       
中国ではコーリャンと粟を、日本に帰ってからは、さつま芋入りの麦飯か、さつま芋だけを食った。佐野はタダシが栄養失調で、熱と闘うエネルギーの蓄えが一グラムもなかったのかもしれないと考えている。

死にそうなタダシの隣に同じように死にそうなもう一人の弟の布団があった。下の台所で親戚の小母さん達が、「どっちが先に死ぬずら」と言う、賭けをしていた。

佐野洋子は滅多に泣かない女だが、タダシのことを思い出すと泣いてしまう。どんな時でも泣くのである。やがてタダシのことを覚えているのは、家族の中で佐野洋子だけになった。

佐野にとってタダシの死に匹敵するほどの打撃を受けたものに、長男だった兄の死がある。これについても書きたかったが、今、それについて書いた佐野の文章が見あたらないので、後日に回すことにする。本稿を中途半端なまま終わることになったが、その代わりにといったら何だけれど、完全な人間はいないと語る佐野の言葉を記しておきたい。

「明るい人は乱暴なのよ。静かな人は陰気で料理がへた。絶対に完璧な人なんかいないのよ」