母と娘の葛藤
佐野洋子は成人してから母と厳しく対立するようになったが、それ以前の彼女は両親と平穏な関係を保っていた。佐野が母との葛藤について記した「シズコさん」という本を読むと、彼女は子供の頃の自分が如何にいい子だったか、こう自画自賛している。
<八歳で私は神童かと思う。私は多分幼年時代に全ての良い資質を使い果したのではないか。働き者で従順だった。ぐずった事は一度しかない。勇気があって辛抱強く気がきいて、例えば父がまだ煙草をとり出さないうちに灰皿を持って走る子だった。口答えした事もない>
母親は、長女の佐野が自分を助けて大人も及ばぬような働きをしてくれているのに、その愛情は長男や次女に向けられて、佐野に優しい言葉をかけるようなことは一度もなかった。
半年ほど前に、水村美苗の「母の遺産」という私小説を読んだら、水村も佐野と同じような扱いを母から受けていた。
水村美苗の家庭環境は、ちょっと類を見ないほど輝かしいものだった。夫は東大経済学部の名誉教授であり、母は78歳になってから自伝小説を出版するほどの才媛であり、水村自身もアメリカのスタンフォード大学その他で客員教授をしていて、今では作家、評論家として活躍しながら、国内の某大学で講師をしている。
こんな知的エリートの集合体のような家族の中にあって、母親と娘の折り合いが悪く、娘の水村はひたすら母親が死んでくれることを待っていたという。まさかと思うかもしれないが、「母の遺産」を読み始めると直ぐに、次のような一節にぶつかるのである。
「十二月は老人がよく死ぬ月なのだろうか。
欠礼葉書を出せる同級生を羨ましく思いながら・・・・」
水村は、年末に舞い込んで来る「喪中につき欠礼する」というハガキを読んで、こういうハガキを出すことが出来る同級生をうらやましく思ったというのである。娘が母親を呪う文章を時折目にすることがあるけれども、ここまで露骨に母の死を願っている文章を読んだことはない。
しかし、これは手始めに過ぎなかった。この文章の少し後に、入院した母親と娘の交わす対話が出てくる。母は個室ではなく、他の患者と同じ病室にいたから、母娘の対話はすべて他人に聞かれていたのである。
<(自分の病状を嘆いているうちに)母は自分の言葉に煽られ、いよいよ我身の不幸を感じたらしい。声を突然荒げた。
「殺してちょうだい! こんなんなって生きてたってしょうがないから、殺してちょうだい!」
起き上がれないので上体をよじるようにして叫んでいる姿を目に、美津紀(水村美苗)も声を荒げた。「ママなんか殺して、殺人罪に問われて一生を台無しにしたくないわよ!」隣人はどんな顔をして、この母娘のやりとりを聞いているのだろう。
母は声にならない声を出して泣き続けた。
美津紀はその姿をじっと見ていた。可哀想なよりも、苛立ちのはうが強かった。美津紀だって母に死んで欲しかった。母自身が死にたいという欲望の、それこそ何十倍もの強さで、長いあいだ母の死を願い、それなのに、母の幸せを思って努力し続け、自分の命を削り取られてきた。そんな状態にこれからも耐えていかねばならない>
引用した文章の末尾に、水村が母の死を願いながら、わが身の命を削って母の面倒を見ている実情が語られている。水村には、途方もない資産家に嫁いだ姉がおり、その姉は母親からずっと愛されていた。にもかかわらず、弱ってきた母の面倒を主としてみているのは、母から愛されたことのなかった妹の水村だった。これは、母から愛されなかった佐野洋子が、結局、彼女一人で母を介護することになった事例と同じではなかろうか。
──水村は、自分が母から差別待遇を受けてきたことについても率直に語っている。彼女には何時も戻っていく心の原風景のようなものがあった。
ピアノのレッスンを受ける姉に付き添って、母と一緒にピアノ教師のところに出かけた日のことだった。先頭を歩いていた母が不意に振り向いて、水村に声をかけた。
「姉さんの鞄をもってあげなさい。姉さんの指がかじかんで、レッスンの時、ちゃんと弾けなくなると困るから」
渡された姉の楽譜鞄は、それほど重くはなかった。だが、母の命令の不条理に、水村は衝撃を受けた。よりによって姉妹の身体の大きさが一番目立つころだったのだ。中学生になった姉は健康ではちきれんばかりで、すでに初潮も迎え、背も高く、肉づきもよい。成長が遅い妹は棒切れのような細い身体を折れそうな子供の足に載せている。その大小二つの身体を前にしての母の無慈悲な命令であった。
水村は、坂を登る母娘を天から見下ろすような気持ちになった。先頭を行く背の高い母は、白粉を濃く塗り、八分昂揚し、二分不安に包まれている。姉娘がピアノの練習の成果を充分に見せられるかどうかが少し不安なのだ。その後ろに、母親のアヒルに続くように大小二羽のアヒルの子が続いた。
大きなアヒルの子の姉は何も考えていなかったにちがいない。小さなアヒルの子の妹は楽譜鞄を渡されるまで、何も考えずに、息を切らしながら子供の足を運んでいただけであった。突然手渡された楽譜鞄は、美津紀の未熟な心に、恨みよりも、一種の「公憤」のようなものを呼び覚ました、こんなことが許されていいのだろうか、親たる者、子供たちにはもっと公平に接するべきではないか。
姉妹の留学問題についても、不公平な扱いがついて回った。姉はピアノを勉強するために数年間ヨーロッパに留学している。だが、妹の留学について、母は水村に面と向かって宣告した。
「あんたは一年だけよ、年が年だし」
不公平な扱いに慣れていた水村は、まさか自分も留学させてもらえるとは思っていなかったから、ただぼんやりとしていると母は続けた。
「それから、歌はだめよ。言っちゃなんだけど、あんた程度の歌じゃあ先がないから。どうせ留学するんだったら、フランス語を勉強しなさい」
「本当に行けるの?」
水村自身、自分の歌に先があるとは思っていなかった。
うなずいたあと、母は言った。
「フランス語ができれば、翻訳でお小遣いを稼げるじゃない。ファッション雑誌なんか訳せるし」
美津紀が下を向いて父の靴下をそろえる仕事をしていると、母が弁解するように言った。
「あんたはいつも一人で勝手にやってるでしょう。文句も言わずに。だから、ついつい後回しになっちゃって」
(つづく)