母と娘の葛藤(2)
昨日、テレビで朝のワイドショウを見ていたら、何人かのタレントが「毒母」というテーマで意見交換をしていた。途中からテレビをつけたので、番組を全部見ていないけれども、遠野なぎさという女性タレントが子供の頃、母に鼻血が出るほど殴られたり、容貌について酷評されたりしたために、今になっても鏡に映る自分の顔を直視できなくなったと語っていた。
「毒母」の毒母たる由縁は、公平な態度で子供に接しないで、特定の子供だけを虐待することにある。佐野洋子の母、水村美苗の母は、洋子・美苗に厳しかったが、ほかの子供にはやさしく接していたから、洋子らは毒母の犠牲になっていたことになる。
私は鈍感な子供だったが、それでも世の母親の多くがわが子に対して「えこひいき」をしていることに気がついていた。昔は、母親から邪険に扱われる犠牲者になるのは、少し知能が遅れている子供に多かった。彼らは、他の兄弟に比べて、ボロに近いような垢だらけの服を着せられていたから、すぐにその子が差別されていることが分かったのである。
その後、教師になってPTAの個別懇談などで父母と接触してみたら、父親は自分の子供たちに公平であろうと努力しているが、母親は必ずしもそうとは限らないことが判明した.
問題を持った子供について語るときに、思慮に富んだ父親ほど慎重な表情になり、あたかも病人について語るような口調になる。これに反して、母親は感情をむき出しにして、「うちのお嬢様と来たら、身の程知らずのうぬぼれ屋で・・・・」と娘をこき下ろしたりする。だが、その母親たちも、昔に比べると、かなり変化してきているのである。
佐野洋子・水村美苗の書いたものを読むと、話が昔とは逆さまになっていることが分かる。母親は娘の知能が劣っているから、虐待するのではなく、娘に自己管理能力があり、母親よりもすぐれた家事処理能力を持っているが故に、つまり自分よりも主婦として更に女性として優れた才覚、能力を備えているが故に、娘を憎むらしいのだ。佐野洋子が、「母は自分に嫉妬していたのかもしれない」と気づくまでに長い時間がかかっている。昨日のワイドショウでも、母親はおのれの劣等感を刺激されるから娘を憎むのだという結論を出していた。
だが、娘が主婦として女性として自分より優位に立っているから、母親は娘を憎むのだろうか。この点について、改めて考えてみる必要があるだろう。
男親に比べて女親が子供たちを公平に扱うことが出来ないのは、女親が感情的だからではなく、男親よりも子供に接する時間が長く、子供との接触度が深いからではないか。明け暮れ子供と顔をつきあわせているうちに、子供たちに対する好き嫌いの感情が自ずと生まれてくるからではないか。
いや、しかし、このへんも軽々に結論を出すことは出来ない。子供に対する好き嫌いの感情は、自ずと生まれてくるようなものではないのだ。
そう思っているときに.過日、朝日新聞の「ひととき」欄を読んで、ああこれだなと思った。問題の投書は、「絵手紙に背中を押されて」と題する60歳の主婦の手になるものだった。
大阪府下に住むこの主婦は、幼い頃は親のいうことを聞く手のかからない子供だった。それが40歳になって母とキッパリ縁を切ったけれども、5年前に母が死ぬ直前になって和解している。投書は、こうしたいきさつを記したもので、文章の冒頭はこうなっている。
<幼いころから手がかからない子どもだった私は、40歳でグレた。進学も結婚も両親の言う通りにしてきたが、いい娘、いい妻であることに疲れ、思い余って母に電話をしたら「がんばりなさい」とだけ。プチンと何かがはじけ、両親と絶交した>
この主婦は、中年になるまで自身の欲望を抑えて、両親の指示するままに生きてきたのだった。だから両親は娘が何を欲しているか考えもしないで、娘の進学先や結婚相手を一方的に決めてきたのだ。子供の頃から、親に逆らうことのない孝行娘として生きてきた彼女が、40歳になって初めてグレたのである。
もしかしたら、彼女は夫に失望し、夫以外の男性を好きになって離婚を考えはじめたのかもしれない。それとも、家計が苦しいので水商売を始めようと思い立ったのだろうか。それで母に相談したら、母は取り合ってくれなかった。「がんばりなさい」と冷たいひと言を投げ返してきただけだった。
腹を立てた主婦は、両親と絶交した。が、両親は相変わらず毎月、手作りの野菜を宅配便で届けてくれる。主婦の方も、最初は趣味の絵手紙を両親には絶対に出すものかと思っていたが、10年前に母がガンで入院したことを知ってからは、母にも絵手紙を出すようになった。そして、迷いに迷った末に、ついに彼女は母の見舞いに出かけるのだ。その部分を投書から引用してみよう。
<・・・・そして、迷って迷って見舞いに行った。病室のドアを開けて目に飛び込んできたのは、母の笑顔と、枕元に飾られていた私の絵手紙。昔の母と娘に戻った瞬間だった。母は5年前に亡くなった。逝く前に、寝たままで私をしっかり抱きしめてくれた。痛いくらいの力で>
これに続く主婦の文章は、こうなっている。
<先日還暦を無事に迎え、人生を振り返ってやっと分かった。私は母に甘えたかったのだ。わがままをいっぱい言いたかったのだ>
日本人の親子は、甘えたり甘えられたりすることで親子だけに通じる特有の世界を生み出している。だから、甘えることを知らない自主独立型の子供と母親の間には、日本型親子の情愛が育たない。水村美苗の母は、美苗に向かって、これまで娘に冷淡だった理由を、「あんたはいつも一人で勝手にやってるでしょう、文句も言わずに」と説明している。甘えによる日本型情愛関係が成立していないと、親子関係もスムースにいかないのである。
投書の主婦は、還暦を迎えてから、やっと、手のかからないいい子として少女期を過ごすべきではなかった、思いっきり母に甘えるべきだったと気づいたのだ。母と娘の葛藤について把握するためには、土居健郎の「『甘え』の構造」や、河合隼雄の「母性社会日本の病理」を読み返す必要があるかもしれない。