同級生と結婚したら
テレビを見ていると、さまざまな夫婦が出てくる。最近、注意するようになったのが、その昔、小・中・高校時代に同級生だったという夫婦の生活で、気のせいか、そういう夫婦はいづれも夫と妻が対等の関係にあり、「夫婦、相和シテ」暮らしているように見えるのである。
男と女が結婚前にどんなに長い交際期間を持ったとしても、相互理解という点では、小・中・高校時代に同級生だったという男女には及ばない。数年間、同じ教室で過ごせば、同級生の性格や人柄は表も裏も手に取るように分かってしまうのだ。
この場合、重要なのは相手が同級生らといかなる関係にあったかということだ。相手がクラスの中で人気者だったか、嫌われ者だったか、あるいは多数に迎合するタイプだったか、孤独を求めるタイプだったかを見極められることなのだ。こうしたことをあらかじめ承知していることが結婚生活を続けていく上で重要なことなのである。
先日、朝日新聞の「男のひととき」欄を読んでいたら、「同じクラスの女生徒」と題する投書が載っていた。北海道の札幌市にお住まいの萩生さんという方からの投稿で、氏は65歳になった今年の春、区の広報紙で5カ月間の高齢者向け教養講座が開かれることを知ったのだった。それでこれに参加して一勉強しようと思っていたら、奥さんが、「私も参加する」と言い出し、それで6月から週に一度、約半世紀ぶりに、再び奥さんと同じ教室で机を並べることになった。萩生さんは、奥さんとは高校時代に同じクラスで学んでいたのである。
高校3年の時、萩生さんの成績は大部分が並の評価で、特に英語は最低ランクから脱出できないでいた。だから、卒業の可否が決まる期末試験を迎えて、前の席にいる女生徒に「解答用紙を少しずらして見せろ」と懇願した。その女生徒こそ萩生さんの今の奥さんだったのだ。彼は以前から彼女に好意を抱いていたから、好きな彼女に甘えるような気持ちもあって相談を持ちかけたと思われる。ところが、相手の返事は手厳しかった。
「なぜそんなことをする必要があるの」
とピシャリと拒否したのだ。結局.萩生さんはお情けで卒業はできたものの、その胸には苦い思い出が残った。荻生さんは、こう書いている。
<縁とは不思議なもので.数年後、私たちは一緒になったわけだが、時々あの苦い思い出が頭をよぎる。夫の主導権を確立しないまま結婚生活は42年が経過した。チャレンジ精神旺盛な妻は、今も趣味や資格取得に活発だ。私も負けまいと触手を伸ばすが、いまひとつ成果に乏しい>
荻生夫妻の間にこういう過去があったとしたら、萩生さんが42年間、奥さんに頭が上がらなかったのも、やむを得ないことだろう。
注意すべきは、主導権を握りながらも奥さんが夫を小馬鹿にしている気配がないことである。萩生さんは奥さんを教養講座に誘ったわけではなかった。自分一人で講座に参加するつもりでいたのである。ところが、奥さんは夫の計画を知って、「私も参加したい」と言いだしている。夫と行動を共にすることを奥さんの方から求めたのである。
世の亭主は、外出する妻の後を追い回すので、「濡れ落ち葉」と呼ばれたりするけれども、この場合は妻と夫の関係が逆転している。こうなったのも、夫婦が同級生だったからだ。
小・中・高校の段階では、生徒たちはクラスメートに理屈抜きで仲間意識を持っている。成績の高下や容姿の美醜という個人差を持ちながら、クラスメートとしては全員が対等の関係にあり、人間としての値打ちに変わりはないという感覚を抱き合っている。この平等感覚は、同級生同士で結婚してからも続くから、一方が他方を完全に支配するということにはならないのだ。
萩生さんの投稿は、次のような文章で終わっている。
<いよいよ教室も折り返しに入った。この機会に「さすがお父さん」と妻に言わせる成績を残してやろうと、胸に秘めている>
これを読み終わって、私は「萩生さん、がんばれ」と思わずエールを送っていた。