なぜ長野県は長寿県になったか
まず、個人的な経験を披露することから始めたい。
私は結婚してから、暑さ寒さに対する耐性が出生の時期によって異なることを知るようになった。今年の暑さは例年になく厳しいらしいのだが、私は8月の暑い盛りに生まれているため今夏の暑さもほとんど気にならない。私は米寿の年齢になるが、これまでに扇風機というものを使用したことがないのである。
反対に家内は1月の生まれだから、冬の寒さに耐性があり、どんな寒いときにもケロリとしている。その代わり、毎年、夏になると、朝から晩まで「あつい、あつい」と言い暮らすことになる。
こんな具合に暑さ寒さへの耐性に違いがあるとしたら、家内と私のどちらが信州で暮らすことに適しているのだろうか。結論は明らかなのだ。冷涼な気候の信州で生きるには、寒さに耐性のある家内の方が断然有利なのである。
私は寒さに弱いことを自覚していたから、学生時代から卒業後は大阪あたりの私立高校に就職し、段々と南方の学校に転勤して、定年を九州の宮崎県あたりで迎えたいものだと考えていた。何しろ信州の実家ときたら外見こそ大きかったけれども、二階の自室は雨戸と障子で外と仕切られているだけだった。昼間になれば、その雨戸を開けてしまうから、どんな寒い日でも日中は薄い障子紙一枚で寒気を防がなければならなかった。
年間の気温を調べてみると、長野県の冬は東北地方や北海道と大差がないのである。東北地方や北海道では、冬の寒さに備えて一般の民家でも家の中に石炭ストーブや薪ストーブを用意しているのに、戦前の信州では囲炉裏の火に頼るか、さもなければ掘り炬燵にしがみついているしか方法がなかったのだ。
さて、長野県が長寿県だといっても、他府県との差はごく僅かだから大騒ぎするほどのことはない。それでもマスコミは信州人が長生きする理由として、県民の塩分摂取量が減少してきたことを書き立てている。長野県民はこれまで野菜の漬け物を多く取り、そのため脳溢血で死ぬ者が多かったのだが、保健所の指導で塩分の多い漬け物を控えるようになって、沖縄を抜いて日本一の長寿県になったというのである。
それも、あるかもしれない。だが、原因はもっと単純なところにあり、県民が冬の寒さを囲炉裏や掘り炬燵で凌ぐ代わりに、石油ストーブで凌ぐようになったからではないかと思うのだ。掘り炬燵は、アンカや電気炬燵とちがって、一度足を入れると、もう動くのがいやになる。その意味では、これは大変よくできた暖房装置なのだが、動くことがいやになれば、他にすることがないから頻繁にお茶を飲むことになり、そのお茶うけに漬け物を食べることになれば、どうしても塩分摂取が過剰になってしまう。
寒さに弱かった私も、戦後に掘り炬燵と縁を切って石油ストーブを使うようになってから、家にいても気軽にあちこち動くようになった。すると、信州の冬の寒さもあまり気にならなくなるのだ。掘り炬燵時代に、寒さを恐れていたのは、寒い寒いと言って炬燵にしがみついて動かなかったからだった。アルミサッシュの窓で外気を遮断し、石油ストーブで室内を幾分でも暖めておけば、家の中は無論のこと、戸外でも平気で行動するようになり、自然に寒さが気にならなくなるのである。
以前には、晩年を宮崎県で暮らすことを夢見ていたが、今ではそんなことを全く考えていない。家の中にストーブを持ち込むことによって、「その居に安んじ、その俗を楽しむ」という老子の推奨する生き方が可能になったからだ。この個人的な体験から類推するに、長生きの秘訣は、「その居に安んじる」ことにあるのだ。
長野県が日本一の長寿県になったのも、その理由は信州人の多くが、「その居に安んじ」て生きるようになったからなのである。