未知の友人たち
毎週火曜日になると、朝日新聞の地方面に短歌・俳句・川柳が掲載される。県民が投稿した作品によって構成された、ささやかな文芸欄で、作者の名前の上には出身地が印刷されている。そこに掲載されている作品のすべてに目を通す余裕はないから、出身地の欄を見て、近隣に住んでいる作者の作品だけを見ることになる。
すると、近隣に居住する作者の名前が自然に頭に入ってくるのである。一定数の常連投稿者がいて、彼らはそれぞれ記憶に残るような作品を投稿しているからだ。
今日は火曜日で、新聞の地方面に文芸欄が掲載される日だ。例によって近隣に住む投稿者の作品を拾って読んで見る。「千葉俊彦」、これは名前を知っているだけだが、隣村に住んでいる人である。
村に住み村民Αとなりてより
日照りの夏はおろおろ歩く
千葉さんは多才な人で、俳句欄にも投句している。
夏雲や清き一票憲法へ
千葉さんの短歌は、宮沢賢治の詩からヒントを得ている。宮沢賢治が好きで、そして平和憲法擁護の志を持っているということになれば、千葉さんはわが同志ではないか。こんなところに、心を許せる友人がいたのである。
俳句欄には、もう一人、近隣の作者の作品が載っていた。
二人して思い出せぬ名冷奴
この俳句を読んで、思わず、にやりと笑ってしまった。作者の「小川節子」さんは、「千葉俊彦」さんの住む隣村と境を接する町に住み、同じ町に住む「小川」姓の男性と並ぶ常連投句者なのである。私はこの「小川」姓を持った二人は夫婦ではないかと想像しているのだが、そう仮定してみると、「二人して」の二人が夫婦であることは疑いないように思われてくるのだ。
こういう視点から眺めると、人生にはいたるところに友がいるのである。人間、孤独を嘆くことはないのだ。