甘口辛口

山本周五郎の「ながい坂」(3)

2013/9/5(木) 午後 0:32
山本周五郎の「ながい坂」(3)

今回、「ながい坂」のデテールを思い出すために原作を読み返してみたら、なかなか面白かった。

長編の時代小説ということになれば、定番は,「お家騒動もの」ではなかろうか。藩主を毒殺する陰謀が密かに進行したり、誰を藩主にするかを巡って藩内が二派に分かれて派閥闘争を繰り拡げたり、お家騒動をテーマにすると、作品は波瀾万丈のおもむきを呈するのである。

三浦主水正が仕える藩では過去二回にわたり、懐妊している将軍家の姫や御連枝の姫が藩主の正妻として押しっけられている。すると、そのたびに幕府の権威を利用しょうとする一派と、主家の血統を守ろうとするグループの間で流血沙汰の騒動が起こり、その抗争はずっと後まで尾をひくことになる。主水正も昇進して藩政の一端を担うようになると、一方の派閥に組み込まれ、反対派と闘わなければならなくなるのだ。

それ以外にも主水正には、対決しなければならない相手があった。一人は城代家老滝沢家の御曹司である滝沢兵部であり、もう一人は妻のつるだった。

時の藩主は、徳川家の血を引くライバルを押さえて藩主のポストについたものの、その地位は不安定だった。そこで彼は、藩内各部署の長に命じて有能な若手藩士を推薦させたところ、圧倒的な票を集めて浮かび上がったのが三浦主水正だった。藩主は、彼を引き抜いて身辺に置き、常に自身と行動を共にするように取りはからった。

こうして三浦主水正がめきめきと頭角を現してくると、穏やかでいられないのが滝沢家の御曹司の兵部だった。滝沢家は、従来、山内家と勢力を二分する立場にあったが、滝沢家が三代続いて名家老を輩出してからは、次期城代家老も滝沢兵部になることが当然視されていたのだ。これは、滝沢兵部の天才ぶりが、早くから藩の内外に喧伝されていたからでもあった。

兵部の父親滝沢主殿は、英才の誉れ高い兵部によりいっそう磨きをかけるために、邸内に息子のための学問所や武芸道場を作り、いやが上にも研鑽を重ねさせていた。そこに下級武士出身の主水正が彗星のように現れて兵部の地位を脅かすようになったのだから、兵部も平静ではいられなくなったのである。

彼は藩の武芸道場で主水正に一対一の勝負を挑んだが、主水正は相手の挑戦を軽く受け流して対決するのを避けてしまう。苛立った兵部は、主水正に真剣勝負を挑み、二人だけで白刃をまじえることになった。三浦主水正は、決闘を始める前に、兵部に言葉をかける。

「あなたは名門に生れ、天成の才能に恵まれたうえに、選り抜きの教官師範によってみがきをかけられた。私はそうではない、私は平侍の生れだし、特に生れついての才能というものもなかった。いま私が身につけた学問や武芸は、一つ一つ自分のちからで会得したものだ。その違いがどれほどのものか、この決闘であなたにもわかるだろう」

兵部は主水正の言葉を聞いて衝撃を受ける。二人は抜き合せたが、兵部は明らかに動揺し、臆しさえしたようすを見せた。兵部は、体格もよく、美貌で、気品の高い姿をしていただけによけいに、気持の動揺や臆したようすが、ひと際つよく印象に残った。結局、二人は、斬り合うことなく別れている。

翌年の二月には、主水正は藩主の供をして江戸へゆき、ほぼ四年、江戸に滞在して帰国する。そして兵部が西小路に女を囲い、酒と遊蕩に耽っているという噂を耳にするのである。主水正は、兵部が身を持ち崩したのは、あの決闘の場で彼が口にした言葉が影響したのではないかと思った。あの言葉は、想像以上に深く兵部の肺腑をさし貫いたのだ。

兵部は、子供の頃から何処に行っても未来の城代家老という目で見られ、そうした世評に背を押され、与えられた学問や武芸を次々に身につけてきた。彼を形作っているものは、本来の彼のものではなく、世俗によって作られた対世間用の誂え物に過ぎないのだと兵部自身が感じていたのだった。ところが、主水正は努力すべき対象を一つ一つ自分で選び、独力でそれらを確実に自分のものにしてきた。

兵部は、主水正にひきらべて、自分を他人の手でつくられた人形のようなものだと感じ、自分を嫌悪するようになったのだ。そして、何もかもイヤになって、自堕落な生活を始めた・・・・。

──主水正が藩主に寵愛されるようになると、彼を婿に迎えようとする名門の重臣が現れてきた。その筆頭が山根家の当主だった。彼は主水正の父親を自邸に呼びつけて息子をわが家の婿にしてくれるようにと説得し、父親も乗り気になったが、主水正にはそんな気持ちは毛頭なかった。山根家と主水正の実家の間で入り婿話が進んでいる間に、主水正は山根の娘のつると路上で巡り会っている。

主水正が小高い丘と熟れた稲田の間の狭い道を歩いていたら、うしろから来る馬蹄の音がしたので、主水正は道の脇へよけた。うしろから来た馬は、主水正の脇をすれすれに駆けぬけてゆき、ひどい土埃が彼を包んだ。乗っていたのは女であった。髪はひっつめに結って、残りを背に垂らしていた。

主水正は「山根の娘だな」と呟き、肩や袖にかかった土挨をはたいた「乱暴な乗りかたをする女だ」

娘は主水正を追い越して少し行ったところで馬を停め、振返って主水正が近づいて来るのを待った。それから娘は馬上から彼に呼びかけた。
     
「わたくし鞭を落しましたの」と娘は彼を見おろして云った、「戻って捜して来て下さい」
「ご自分でいくんですね」と主水正は静かに答えた、「馬をせめるのに鞭を落すというのは聞いたこともないし、私はあなたの召使ではありませんから」
「わたくし山根蔵人の娘ですよ」
「そうですか。所用があるので私は失礼します」

娘の白く美しい顔が怒りのために赤くなった。

「出世がしらだと思って威張っているのね」

 主水正はもうあるきだしていた。山根つるは馬腹を蹴り、手綱をゆるめて追い、主水正の体とすれすれに追いぬいて、彼の前を馬で塞いだ。主水正は穏やかに見あげた。

「まだなにか用があるのですか」
「あなたは阿部主水正でしょう」
「町奉行の与力です」
「身分は平侍ね」
「藩史によると、山根さんも昔は平侍でしたよ」
「それでわたくしをへこますつもりですか」
「どいて下さい、用事があるんです」
「あなたは山根へ婿にくることを断わった」と山根つるが云った、「それだけではなく、絶家している三浦の家名を継いで、わたくしを嫁に来いと仰った、いまはっきり云っておきますけれど、つるはあなたのところへ嫁になんかゆきません」
「そうですか」と主水正は答えた、「私もむりに来てもらいたいとは思いません」

滝沢兵部は、当初、主水正を下層から這い上がってきたこざかしい出世主義者と見ていた。そうした、見方をしていた点は、つるも同じだった。彼女は主水正を兵部以上に冷たい目で見ていたのである。

にもかかわらず、つるが主水正の妻になったのは、それが藩主のお声掛かりだったからだった。主水正を無二の股肱と感じるようになった藩主は、今は廃家になっている三浦家を主水正に嗣がせ、山根つるを三浦家の当主のもとに嫁がせるという段取りを整えていたのだ。藩主は城代家老の滝沢主殿を仲人にしてこの祝言を挙行させたから、山根つるは、イヤもおうもなかった。歯を食いしばって、成り上がり者の主水正の妻になるしかなかったのだ。

こうして嫁いできたつるは、自室に夫が立ち入ることを拒否しつづけたから、夫婦の間に夜の営みはなく、長い間、つるは生娘のままでいた。そのつるが自ら体を開いて主水正を迎え入れるようになったのも、主水正が辛抱強く妻の気持ちが溶けるのを待っていたからだった。

三浦主水正は、滝沢兵部に対しても、妻のつるに対しても、力で対抗しようとはしなかった。自分に向けられる相手の敵意が自壊するのを待つという態度を一貫してとり続けたのだった。彼は藩内の派閥抗争にも、こうした優等生式の手法で臨み、難局を一つ一つ解決して行った。家老に昇進した彼が、どんな問題にも常に正答をだし続けるのを見ると、読者は「模範回答集」を見せつけられるように感じ、そのうちに主水正の本来の志はどうなったのだという疑問を感じ始めるようになる。

彼は滝沢邸と山内邸の先にあった小さな橋が、無断で撤去されたのを見て、こんな不条理なことが二度と起こらないような合理的な世の中にしてみせると心に誓ったのだ。彼がこれまで営々と努力してきたのは、この志があったからだった。主水正は筆頭家老になって藩の雑事を処理するのにかまけて、少年時代の誓いを忘れてしまったのだろうか。

「ながい坂」を読み返してみて、こんな面白い小説があまり評価されていない理由が分かったような気がした。作者は、着筆時に頭に置いていたテーマを道半ばで放棄してしまったのである。