藤沢周平の「小川の辺(ほとり)」
藤沢周平は時代小説の名手として、その作品はいずれも高い評価を受けている。そのなかで珠玉の短篇と称されているのが「小川の辺」であって、私も藤澤の作品ではこれが一番と思っていた。だから、先日、NHKのBSが放映した映画「小川の辺」を見ているうちに、原作をもう一度読み返して見たくなったのである。
原作でも、映画でも、話は戌井朔之助が家老に呼び出されて、脱藩した佐久間森衛を斬殺してくるように命じられる場面から始まる。佐久間は藩主批判の諫言を行ったため不興を買い謹慎を命じられていたが、それだけでは藩主の怒りは収まらず、更に重い処罰が下されることが予想されていた。佐久間は、それを見越して脱藩し、いづこへともなく姿を消してしまったのである。
ところが、佐久間の妻は戌井朔之助の妹の田鶴(たず)だったから、戌井は藩命によって自分の義弟を斬らなければならないことになったのだった。彼が帰宅してそのことを両親に告げると、父親は「主命だからやむを得まい」と納得したが、母親の方は収まらなかった。
「いくらお上の仰せとは申しながら、あまりのなされ方」と息子に不満をぶつけたかと思うと、今度は夫の方に向き直って詰(なじ)り始めた。
「お前さまが、朔之助と田鶴にしたことは、間違っておりましたよ。二人や新蔵に剣術を仕こんで、それでどうなりましたか。剣術にすぐれていなければ、朔之助が討手に選ばれることもなかったでしょうし、兄妹の斬り合いなどと恐ろしい心配もすることはなかったでしょうに」
彼女は武芸に秀でた娘が、夫を守るために上意討ちの使命を帯びた兄に刃向かうことを心配しているのだった。娘の田鶴は気性の激しい女だったが、それは母親も同じだった。田鶴の気性は、彼女を溺愛していた母の性格を受け継いだものだったのである。
父親が武芸を仕込んだのは、兄妹だけではなかった。戌井家には、親子二代にわたって仕えている新蔵という若党がいて、父親は彼にも兄妹と一緒に稽古をつけていた。新蔵は彼の父が住み込みの奉公人だった関係で、戌井家の邸内で生まれて、朔之助、田鶴と兄妹のようにして育てられてきたのだ。
──あれは戌井朔之助が9才、新蔵が6才、田鶴が5才の頃だった。三人連れ立って近くの天神川に遊びに出かけ、年上の朔之助は岸辺で鮒の手掴みに熱中し、新蔵と田鶴が中州で砂遊びをしているうちに、異変が生じた。川の水が濁って増えはじめたのだ。朔之助は、これに気づいてはっとした。これは川の上流に激しい降雨があったからで、グズグズしていると濁流が中州にいる二人を押し流してしまう。
朔之助が、「早くこっちに来い」と叫ぶと、新蔵は素直に岸に上がってきたけれど、田鶴の方は知らん顔をして砂をいじっている。川の水が次第に増えてくるので、朔之助は流れを渡って、中州にしゃがんでいる妹の襟首をつかんで立たせた。
田鶴が手足を突っ張って抵抗するのには構わず、朔之助が妹を捕まえて川を渡り始めようとした。すると、田鶴は彼の腕に爪を立てる。腹立ち紛れに妹の頬を殴りつけてやったが、田鶴は泣きもしない。目を光らせて兄を睨み、テコでも中州から離れないという姿勢を示すだけだった。朔之助は、「オレは知らんぞ」と妹を突き放して岸に戻った。
これに続くのは、原作の中でも印象的な場面なので引用してみよう。
<中洲は次第に波に洗われ、川音が高くなっていた。日はついに雲に隠れ、風景が一瞬に灰色に変った。田鶴はさすがに遊ぶのをやめていたが、それでも強情にこちらを向いて立っている。もう 少し様子を見よう、と朔之助は思っていた。田鶴の強情さには、日頃手を焼いている。少しはこわい思いをするといいのだ、と思っていた。
そのとき、新蔵が黙って岸から川の中に降りて行った。さっきは膝の下までしかなかった水 が、新蔵の腰のあたりに達した。その水の中で、新蔵は頼りなくよろめきながら少しずつ中洲に近づいて行った。
すると、田鶴は不意に泣き声をたてた。泣きながら、田鶴は新蔵に手をさしのべている。
「みっともないぞ、泣くな、田鶴」
朔之助が叱ったが、田鶴は泣くのをやめなかった。新蔵は田鶴をしっかりとつかまえると、かばうように自分は上手に立って、また川の中に足を踏み入れた。二人は川音に包まれながら中洲と岸の間を渡りはじめた。水勢に押されて二人は少しずつ川下に流され、一度は田鶴が転びそうになって、胸まで水浸しになった。水は田鶴の腹まであった。岸まで一間というところで、二人は水の中に立ちすくんでしまった。その間にも田鶴は泣き続けている。
朔之助が岸を降りようとしたとき、新蔵にしがみついていた田鶴が、鋭い声で言った。
「お兄さまはいやー」
・・・・新蔵は青ざめていたがまたゆっくりと動き始めた。田鶴の肩をしっかり抱いていた。二人が岸に上がったとき、中州はほとんど水に隠れようとしていた>
(つづく)