悲しい人・高橋和巳
高橋たか子の書いたものを読むと、高橋和巳は救いようもない暴君に見える。例えば、家でぶらぶらしていた高橋和巳が、帰宅した妻の手から給料袋を奪い取って、一人で温泉宿に出かけてしまうというような話を聞けば、誰でも女のヒモになっているヤクザを思い出すに違いない。だが、高橋たか子は夫を決して恨んではいない。夫を寂しい人、悲しい人だったと、むしろ同情の目で見ている。
妻のたか子が記すところによれば、高橋和巳は実家の家族を底の底まで信じ切っていたという。彼の家には祖父も父もいなかった。兄と弟がいたが、二人とも穏和だったから、家の中には男性的要素が全く欠如していた。家を支配していたのは祖母と母であり、この祖母と母は熱心な天理教の信者であった。
高橋和巳は天理教をばかばかしいと思ってはいたが、たか子の目から見れば夫は祖母と母が醸し出している土俗仏教的な雰囲気に包まれて、安らかに暮らしているように見えた。
対立のない家で育った高橋和巳は、対立のない人間関係を友人や知人との関係にも押し広げていた。その和巳が、たか子と結婚して初めて対立者というものにぶつかったのである。たか子は、「人間関係とは対立関係のことに他ならない」と思っているような女だった。
和巳と結婚したたか子は、学生たちから「絶望教の教祖」と仰がれている夫が祇園を好んでいるのが不思議で仕方がなかった。だが、彼女は後に、夫があれほど舐園で遊ぶことを好んだのも、そこが対立のない場所だったからではないかと思い至った。やって来る男を、撫でさすり、賞めそやし、生温かい湯のようなものに浸させてくれる場所、それが舐園だったのである。
そしてまた、夫はテレビが大好きという世俗性を持っていた。テレビというものが出まわりはじめた頃、かなり早く、高橋夫妻はテレビを買った。高橋和巳は原稿用紙にむかっていない時は、活字を見ているか、テレビを見ているか、一人碁を打っているかのいずれかだった。大阪漫才とか宇宙空想ものとかを、高橋和巳もたか子も二人で非常にたのしみにして見ていたが、昭和四十年代に入って、大衆社会の進行とともに、急激にテレビが俗悪になってきたので、たか子はNHKの或る種のものをのぞいて、テレビには嫌悪しか感じないようになった。それでも和巳は一人でテレビを見続けていた。依然として彼が喜んでみているのは大阪漫才や歌謡番組、通俗ホーム・ドラマや映画であった。
たか子は、この歌謡番組と通俗ホーム・ドラマには全くお手あげだった。それが家のなかで聞えてくる時間は、彼女にとって拷問に等しかった。だが、和巳にとってテレビは、一人碁の世界と同様に彼を対立のない世界に導いてくれる道具だったのである。
「人間関係とは対立関係のことだ」と考えているたか子だったが、夫の和巳とは喧嘩をしなかった。和巳がごく些細なことでも不思議なくらいに激昂するからだった。彼は妻が下駄が裏返っていると注意しただけでもかっと激昂する。激昂といっても、本来外に向かって発散されるべきものが内へ内へとこもり、それが内面で彼の持病というべき「憂鬱」に転化する。すると、そのことがたか子の病的な神経にぴりぴり伝わってくるので、彼女は夫に何も言わないようになったのだ。彼女にとって何もかも自分の落ち度にしておく方が、夫の内部で増殖していく「憂鬱」に向き合うより楽だったのである。
高橋和巳が家庭内にいるときには、その性格を飲み込んでいる妻の配慮であまり激昂せずに済んでいた。が、いったん外に出たら、そういうわけにはいかない。和巳はさまざまな人からさまざまな形で傷つけられ続けた。相手がそうしようというつもりはなくても、彼の方から勝手に傷つけられてしまうのだ。ほんの些細なことで、和巳は傷つき、その度に、「酒」と叫んで、自分でどうしても処理することのできない不快な感情を酒でごまかすのである。彼はアルコールに強く、一度に日本酒一升を飲んでしまうのが普通のことだった。
和巳はそれと反対の場合、たとえば何かに感動した場合でも、その感動をどうしても自分で処理できずに、酒でごまかすのが常だった。いい小説を読んだ場合、いい映画を見た場合、または作品を人から激賞された場合、その後は酒なしではいられなかった。
高橋たか子は、結婚生活を続けているうちに、こうした夫の性格をすべて知り尽くし、その上で和巳をまるで母親のように見守っていたのであった。病床の夫が自らの死を予感して泣きながら取りすがってきたときにも、彼女は母性的な態度で夫を励まし続けた。高橋和巳は知的な面で妻を遙かに凌駕し、文学的な才能という点でもたか子よりずっとすぐれていた。だが、たか子から見れば、夫は自身の弱点を誰よりも深く理解していながら、そういう自分をどうすることを出来ないでいるかわいそうな人だった。
高橋たか子にとって、夫は寂しい人であり、悲しい人だった。