甘口辛口

「うらやましい死に方」

2013/11/18(月) 午後 6:12
「うらやましい死に方」

コンビニに立ち寄ったら、雑誌売り場に「文藝春秋」が並んでいた。表紙には大きな活字で「うらやましい死に方」と印刷してあって、それが今月の同誌の特集記事らしかった。こちらは既に死ぬべき年齢に到達している。そんな特集記事を載せている雑誌があるとしたら、一読しないわけにはいかなかった。

家に帰って、買ってきたばかりの文春を読む。

問題の特集は、読者からの投稿795通の中から30篇を選んだもので、選者は五木寛之だった(五木は、近頃、宗教に傾斜しているふうで、私が購読している県紙にも「親鸞」と題する小説を連載している)。

若い頃は、人間の死に方などに特段の関心を持たないでいたが、この年になるといつの間にか、いろいろな情報が頭に入ってきて、そんなことがと意外な思いをすることが多い。例えば、高橋和巳の項で記したように、教養深遠な作家と思っていた伊藤整・高橋和巳が、死を予感するようになると妻の手を取って泣いたりするのだ。今度読んだ読者投稿の手記の中にも、こんな一節があった。

  「夫は逝く三日前から毎日涙を流していました。
   拭いても拭いても流し続けていました」

人間は、死が遠くにあるときには、自分が将来、死に臨んで動揺するようなことはあるまいと思う。昭和時代の人気評論家亀井勝一郎は「人は毎日眠ることで死ぬ練習をしているではないか。何で死を恐れる必要があろうか」と豪語していたが、実際に死が迫ると見るも無惨な恐怖に襲われたと言われている。

そして人は、死期を予感すると、突然、大声で叫び出すようなこともするらしい。私が結核療養所で知り合った友人は、これまでに知ったいかなる人間よりも温厚で思慮深かかったが、奥さんの話によれば、死の何日か前に彼は急に大きな声で何か分からないことを叫びだしたという。私は後になって、別の知人についてこれに類する話を聞くことになったけれども、その叫声を発したという人物も普段、周囲から尊敬されていた「人格者」だった。

・・・・特集記事を全部読み終わって、一番気に入ったのは父の死について書いている牧野仁子(67才)という女性の手記だった。彼女の記している亡父の死に方が見事だったからではない。冒頭の書き出しに惹きつけられたのだ。

<もうすぐ23回忌の父は、「普通がいい、平等が好き、今出来ることが楽しい、すべてにありがとう」と、いつも言っていました>

私が身につけたいと思っているのも、牧野仁子さんの父親のような生き方だったのである。淡々と日々を過ごす、毎日の仕事を楽しんでやる、人間すべてを平等と観じ、天地万物に感謝しつつ生きる。これこそ、すべての人間に求められているまっとうな生き方ではなかろうか。

牧野さんの父は母がひとりで看取っているときに静かに亡くなった。父の葬儀のあとで、母は14人の孫を集めて話をした。

「おじいちゃんは亡くなったけれど・・・・仏様になると、それぞれの心の中にいることができるから、いつもおじいちゃんといっしょだと思って、自分に合った生き方を精一杯してね」

母が孫たちに、「自分に合った生き方」をすることを求めたのも、夫の「普通がいい」という口癖が身についていたからだろう。娘もまた、父の言葉に調子を合わせすぎるきらいがあるけれども、父が母一人に看取られて死んだのは、6人の娘たちに平等にと考えたからではないかと記している。、そのあとで、彼女はこの手記を次のような文章で終わりにしている。

<父は希望どおり、男性の平均寿命の78歳で逝きました。母も父の13回忌をすませると、それが合図のように病気になり、女性の平均寿命の86歳で亡くなりました>