甘口辛口

下僕根性を捨ててニヒリストへ(2)

2014/1/16(木) 午後 1:23
下僕根性を捨ててニヒリストへ(2)

反骨型ニヒリスト:坂口安吾

坂口安吾は睡眠薬と覚醒剤を交互に飲むようになってから、税務署とケンカし、競輪の不正をあばき、出版社とイザコザを起こすなど、手に負えないトラブルメーカーになっている。そのため彼は、晩年、精神病者同様に見られていたが、その時期においてさえ安吾の頭は確かであった。現在の視点から見ても、彼のエッセーを読めば啓発されるところが多いのである。

例えば、彼は占領軍司令官のマッカーサー元帥について、こう書いている。

<彼(マッカーサー)は果敢な実験者であった。(非合法だった)共産党も公認したし、農地も解放した。憲法も改めた。農地解放は実質上の無血大革命のようなものだが、日本の農民も、農民の指導者たる政党も、その受けとり方がテンヤワンヤで、稀有な大改革を全然無意味なものにしてしまった。・・・・ 妙な話だが、日本の政治家が日本のためにはかるよりも、彼が日本のためにはかる方が概ね公正無私で、日本人に利益をもたらすものであったことは一考の必要がある>

右翼が攻撃する新憲法についても、彼は全面的に肯定して、誰はばかることなくこう言い放っている。

<自分で国防のない国へ攻めこんだあげくに負けて無腰にされながら、今や国防と軍隊の必要を説き、どこかに攻めこんでくる兇悪犯人が居るような云い方はヨタモンのチンピラどもの言いぐさに似てるな。ブタ箱から出てきた足でさッそくドスをのむ奴の云いぐさだ。
                 
人に無理強いされた憲法だと云うが、拙者は戦争はいたしません、というのは全く世界一の憲法さ。戦争はキ印かバカがするものにきまっているのだ>

安吾は、こんな具合に、われわれの周囲に張り巡らされた習慣的な物の見方や偏見を取り払い、事態をありのままに、「事実唯真」の目で見て行く。天皇制についても、彼はこう説明するのである。「政府は国民を統治する方便として天皇を担ぎ出したに過ぎないのに、民間では天皇を狂信の対象にして、軍国暗黒の時代に走ってしまった」と。

当時は、まだ天皇を神聖視する見方が色濃く残っていたから、天皇を迎える各地の狂奔ぶりは常軌を逸していた。天皇が通過する道筋は、塵一つ無いまでに徹底的に掃き清められ、東北の某県では天皇が宿泊することになった旅館の従業員全員の検便まで行っている。この検便の仕方がまた物凄いものだった。排出された便ではなく、肛門内に匙を差し込んで直接に直腸内から便を採取して調べるというものだった。

軍隊に入ったら、古兵の一人がこんな話をしていた。──以前に彼のいた兵営に天皇・皇后が来臨されたことがある。彼は両陛下が使用されるかもしれない便所の掃除を命じられ、一日がかりで便槽内をタワシで磨き上げ、舐めてもいいほどピカピカにした。そしたら、やっと作業から解放された。両陛下が帰られてから、彼がそっと便槽を調べに行ったら、黄色の遺物がひとかたまり細工物のように残っていた・・・・

こんな時代相を背景に、安吾は、「人間の値打ちというものは、実質的なものだ」という主張を打ち出すのだ。天皇という虚名によって尊敬を集めようとしても、無理な相談だが、にもかかわらず、「宮内省」は架空の威厳を作り出し、天皇を一般の人間よりも格上げしようと腐心している。 安吾はズバリと言うのである。

「実質なきところに架空の威厳をつくろうとすると、それはただ、架空の威厳によって愚弄され、風刺され、復讐を受けるばかりである」

天皇も天皇なら、これに熱狂する国民も国民だと、彼は天皇を迎えて沿道にひれ伏す国民に対して苦言を呈する。

「地にぬかずくのは気違い沙汰だ。天皇は目下、気ちがいどもの人気を博し、歓呼の嵐を受けている。・・・・天皇の人気には、批判がない。一種の宗教、狂信的な人気であり、その在り方は邪教の教祖の信徒との結びつきの在り方と全く同じ性質のものなのである」

安吾は、「人間関係というものには、それぞれの個人の有する実質によって決まるノーマルなものと、権力が介入して虚構された人間的実質によらないアブノーマルなものがある」と考えていた。天皇と国民の関係は、人工的に作為された不自然なものだから、国民は狂信的に天皇を仰ぐか、逆に不当に天皇を侮蔑するか、いずれかになる。

こういう不自然な状況をあらためるには、天皇と国民の関係を普通なもの、ノーマルなものに切り替えるしかない。安吾は、次のように提言する。

「天皇が人間ならば、もっと、つつましさがなければならぬ。天皇が我々と同じ混雑の電車で出勤する、それをふと国民が気がついて、サアサア、天皇、どうぞおかけ下さい、と席をすすめる。これだけの自然の尊敬が持続すればそれでよい。天皇が国民から受ける尊敬の在り方が、そのようなものとなるとき、日本は真に民主国となり、礼節正しく、人情あつい国となっている筈だ」

坂口安吾は無頼派の作家であり、救いがたいニヒリストとされ、「堕落論」など異端の言説で名をはせたと思われている。しかし、彼は常に当たり前なこと、ノーマルなことしか言っていないのである。

最後に、安吾は次のような未来図を描いてみせる。

「陛下は当分、宮城にとじこもって、お好きな生物学にでも熱中されるがよろしい。そして、そのうち、国民から忘れられ、そして、忘れられたころに、東京もどうやら復興しているであろう、そして復興した銀座へ、研究室からフラリと散歩にでてこられるがよろしい。陛下と気のついた通行人の幾人かは、別にオジギもしないであろうが、道をゆずってあげるであろう」

(つづく)