甘口辛口

格付けし合う女たち(2)

2014/2/4(火) 午前 11:34
格付けし合う女たち(2)

愚老はこの14,5年間、日本製のテレビドラマや歌謡曲をほとんど見ていない。けれども、芸能界裏話というような番組なら、ちょいちょい見ている。これを視聴していると、人の世の実相のようなものが見えてくる気がするからだ。

例えば、芸能番組では、ひと頃人気があった女優が、膨大な借金を抱えて四苦八苦しているというような話題をよく取り上げる。その原因が何かといえば、決まって結婚した相手が事業に手を出して失敗し、その負債を女房が代わって支払っているからだった。女房に借金を払わせて平然としている亭主が何者かと言えば、これも元俳優であったり、音楽業界人であったりして、彼らも昔は人気者だったのである。

人気者はテレビや週刊誌という仮現の世界に生きているから、現実の世界を知らない。そこにつけ込んで怪しげな人間も集まってくるから、「役者馬鹿」の元タレントが事業に失敗するのは当たり前のことだといえる。

一方に亭主の尻ぬぐいをしている気の毒な女優がいるかと思えば、他方には同性の仲間を見下している高慢な女性タレントもいる。それがデビ夫人であり、西川史子であって、愚老の見るところでは、この二人は高慢女性の双璧なのである。

今度の殴打事件後に、デビ夫人がワイドショウで語っているのを聞いていたら、彼女は知名の女性にも人間的資質に問題のあるものがいるから、有名女性だからといって無条件に尊敬するのは間違っていると長広舌を振るっていた。その実例のひとつとして彼女が持ち出したのが、スカルノ大統領の夫人たちの話だった。夫人たちは、その教養や人柄に差があったから、自然に格付けされることになったとデビ夫人は語るのだが、そう語る彼女の意図は明らかだった。デビ夫人は、大統領夫人として相応しいのは自分だけだといいたかったのである。

自信家のデビ夫人は、日本で暮らすようになってから、大統領夫人としての高い視点に立って、日本国民に向かって助言を与えるようになった。現在の皇太子夫妻には問題があるから、別の皇太子に取り替えるべきだと提言するかと思えば、東京都知事には田母神候補が最適である、といった具合に。

西川史子の高慢振りも、デビ夫人に劣らない。彼女は年収4000万円以上(?)の男が相手でなければ結婚しないと豪語していたそうだが、数日前に愚老が見たワイドショウでも、いかにも彼女らしい発言をしていた。新幹線に赤ん坊を連れて乗るのはいいか悪いかというような議題で出席者らが話し合いを続け、やがて話題が新幹線の普通席の件に及んだとき、司会者が西川に意見を求めのだ。すると、彼女は昂然とこう答えたのである。

「私はグリーン車にしか乗りませんから」

彼女は一般席などに乗ったことはないから、下々のことは知らないと言い放ったのだ。

──デビ夫人、西川史子の議論を聞いていると、デビ夫人の見解は「右寄り保守」の平均値的意見を口移しに復唱しているだけだし、西川史子の方は両親の言葉をそのまま反復しているだけだった。二人とも、自らの意見を持っていないのだ。頭の中は、空っぽなのである。

だから、ご両人は自らの内面を磨く前に、外側の見栄えをよくするのに全力をあげる。デビ夫人は毎度厚化粧して番組に出席するし、西川史子は真冬でも肌もあらわなノースリーブ姿で登場する。愚老がこの二人を見たくないと思う理由は、オランダの「飾り窓の女」を連想してしまうからなのだ。

西川によれば、彼女の父親はこの日本では、能力のある人間は必ず成功すると語っているという。西川は、父がそういって保証してくれるので安心して自分以外の女たちを見下すことができるのである、何しろ彼女は医大を出て医者になり、美人コンテストにも入賞した金箔付きの成功者なのだから。

だが、彼女は親に指示されて、高校在学中は医大の入試科目だけを集中的に勉強していたという。家庭科で裁縫の宿題が出たりすると、仕立業者に作ってもらって学校に提出していたそうだから、西川が実力だけで成功したとはいえないではないか、些少なりとも、それなりに汚い手を使っていたのである。

愚老が教員になってから知ったことの一つに、次のような事実がある。成績の悪い生徒の家庭を調べると、父親がいなかったり、母親が長期療養中だったり、「欠損家庭」が多かったのだ。世の中は、能力があれば必ず成功するというほど単純なものではないのである。

しかし、愚老はデビ夫人や西川女医だけを責めるつもりはない。自分を上位に位置づけるために、格付けをしあうのは女性に共通した特徴だからだ。男だって格付けし合う点は変わりないけれども、相互評価の基準が部外の人間には分かりにくいために、あまり人目につかないだけなのだ。

女性は相互に格付けし合うとき、世間的評価をそのまま格付けに使うから、その愚劣さが目立つのである。夫がどんな学校を出て、どんな会社に勤め、どんな役職についているかで格付けが決まるのはいいとしても、子供が慶応大学の幼稚園に通っているかどうかで格付けが決まったりするのを見ると、アサハカとしか言いようがなくなる。

デビ夫人や西川史子の愚行も、人間一般がひとしく有する通弊のあらわれだと知れば、笑って見過ごすことができる。愚老もテレビにあらわれる二人を顔をしかめて見るのではなく、人間の演じる笑劇の一つとして見物するようになってきている。