女流の時代(3)
およそ「天皇=現人神」などというとんでもない主張が、まともな人間に受け入れられる筈はないのだ。人は、「天皇は宇宙人だ」という説を聞かされたら、何を馬鹿なと笑い出すにちがいない。だが、戦争中にマインドコントロールされた年配者や戦後に国家主義者になった若者らは、「天皇=宇宙人」説より更に奇怪な「天皇=現人神」説を信じているのだから、唖然とするしかない。
神というのは、生身の人間とは異なるが故に「神」なのである。だからこそ汎神論を唱えて、富士山や御嶽山さえ神と仰ぐ日本の神道でも、「人は死ななければ神になれない」としているのだ。生きている人間を神とする考え方は、何処に持って行っても通用しない背理なのである。
そんな理屈を持ち出すまでもなく、毎日食事を取り、そのあとトイレに行かなければ生きて行けない人間を、自然法則を超えた神と同一視することは感覚的にも受け入れることが出来ない。ところが、長谷川三千子をはじめとする右派の哲学者は、論理的にも感覚的にも成立しない「天皇=現人神」をはじめとする日本主義的ドグマを合理化しようとして、油汗を流すのだ。
愚老らは、戦前に、そして戦時中に、時局便乗の哲学者らが日本主義哲学を構築しようとして苦心惨憺するさまを見てきた。彼らは日本の「万世一系の皇統」やら「金甌無欠の国体」を合理化するために知恵を絞ったものの成功せず、背理を特徴とする日本主義的ドグマ通用させるためには、合理主義以外の論理を発明しなければならないと悟って、西欧思想を超えていると称する「やまとごころ」を持ち出さざるを得なくなった。
長谷川には、「からごころ−日本精神の逆説」と題する著書があるという。それがどんなものか、想像するしかないが、およその見当はつくのである。右派系思想家たちは、西洋・東洋の哲学の一切を「からごころ」によるものだとして一掃しておいて、そのあとの更地に荒唐無稽の「やまとごころ」なるものを据えるのである。そして、「われらは、近代を超克した」と豪語する。
「週刊現代」が長谷川批判の中心に置いているのは、彼女の「男女共同参画」を否定する理論に対してだった。長谷川三千子は、産経新聞にこう書いているという。
<女性の一番大切な仕事は子供を生み育てることなのだから、外に出てバリバリ働くよりもそちらを優先しよう。そして男性はちゃんと収入を得て妻子をやしなわねばならぬ>
夫婦別姓制を家族制度を揺るがすという理由で反対する長谷川は、男は外に出て働き、女は子を産んで家で育てるという男女分業論を強調しているらしい。としたら、彼女は二人の子供の母親なのだから、大学の教壇に立って怪しげな理屈をこねまわすことはやめて、家で子育てに専念すべきなのだ。
実際、彼女の行動は矛盾だらけなのだ。天皇を現人神だと強調しながら、天皇が全面的に肯定している平和憲法を否定する。そして安倍首相の応援団であることを自認しながら、安倍の推進する男女共同参画に反対する。
先月、参議院議員会館内で戦争反対を訴える女性団体のシンポジウムがひらかれた。作家の落合恵子氏らが、安倍総理の憲法改正などの政策に反対する意見を発表したあとで、客席の女性が手を挙げた。長谷川三千子だった。彼女は語り始めた。
「皆さんがけしからんと言うと、ついつい『安倍応接団』と自称したくなるものですから‥…」
文筆家の北原みのり氏はその時の様子を、こう語っている。
「長谷川さんは話し方も聞き方もすごく上手な方でした。笑みを絶やさず、ウンウンと領いて話を聞く。『彼女は男の世界で、こうして生きて来られたんだろうな』という印象を抱きました」
彼女は、不偏不党が求められるNHK経営委員という地位にありながら、政権と一体化していることを証明するかのように「総理の応接団」と明言したのである。すぐさま会場からは反論が飛んた。しかし彼女は、ヤはり静かにうなずきなから、それを聞いていたという。
愚老は、評論家としても哲学者としても、そして人間としても失格者の長谷川が、なぜ国立大学の名誉教授になり、安倍首相のブレーンになったのか不思議に思っていたが、その理由の一つは北原みのりがいうように、長谷川が男社会や学者社会での身の処し方を心得ているからだろう。これも週刊誌から仕入れた知識だが、STAP細胞で名をなした小保方晴子も、上級研究員や指導教授に取り入ることが巧みだったという。
長谷川が学者世界で順調に昇進したのは、学者一族の家庭に生を受けたからでもあるらしい。彼女の祖父は法政大学総長だった野上豊一郎であり、祖母は作家の野上弥生子なのだ。学者の世界で認められるには、こうした背景を持っていることが大きいのである。
彼女がNHK経営委員に就任したのには、安倍首相の特異な性格が関係している。性格的に弱い部分を抱えている首相は、公衆の前で自分を支持してくれる「お仲間」を厚遇する傾向があるために、彼が総裁選に立候補したときには、いろいろな議員が恥も外聞も無視して安倍応援団に加わり「安倍応援狂想曲」を競演して見せた。そのうちの極め付きは、ある若手議員が記者団を前にして安倍を賛美する替え歌を歌って見せたことだった。
これを見ていて、「安倍という男は、こんなことまでして媚びへつらう若手に担がれているのか」と、かえって安倍候補を見放した識者も多いのではなかろうか。
実際、安倍は自分に媚びへつらう者を次々に要職につけて、その結果、何度も痛い目に遭ってきている。だが、彼は政治家として例がないほど名門の家に生まれて大事にされてきたので、政界に出てからも自分を大事にしてくれるかに見えるお仲間に囲まれていないと不安なのである。彼はお仲間をつなぎ止めておくため、ホウビを与えることしか知らないから、相手に能力があろうがなかろうが、先のことは考えずに要職につける。
長谷川は、そんな安倍の性格を知ってか知らずか、公然と安倍を支持し続け、それが安倍のブレーンの目にとまったのだ。そのブレーンは、安倍からNHK経営委員には誰がいいかなと質問されたときに、彼女の名前を出したのだろう。かくて長谷川三千子も安倍首相を囲む「クズのような集団」の一員になったのである。