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孤独な人間が死ぬとき

2014/3/29(土) 午後 9:34
孤独な人間が死ぬとき

朝日新聞土曜版には、「悩みのるつぼ」という人生相談欄があり、今週のこの欄への相談者は、60代前半の女性で「終活」について上野千鶴子の助言を求めている。

この相談者は10年前に靱帯を切る事故を経験してから、「人生何が起こるか分からない」と痛感して、行動的に生きるようになった。例えば、これまで動物が苦手だったのに、乗馬を始めて、もう2年半にもなる。運動しようとして乗馬を始めたりするところを見ると、彼女は経済的に安定した暮らしをしているように思われる。彼女自身も、「自分なりに満足した生活をしています」と書いている。

そんな彼女の唯一の悩みが、「終活」のことだという。

彼女は「延命処置、葬儀、お墓」のすべてを「なし」でいいと思っているのだが、これらの問題について相談相手になっている娘に「終活」に関して話すと、娘は「子供として何もしないでいるのは、どうかしらねえ」と言って、ハッキリした返事を聞かせてくれない。だから、母親の遺志が実現されるかどうかは、娘次第ということになっている。彼女は、この問題に決着をつけるべく上野千鶴子に相談を持ちかけたのであった。

相談を受けた上野千寿子は、あまり上野らしくもない常識的な助言を与えている。

「延命処置」の件について上野は、こう答えるのだ。いざその場になると人間は一日でも長く生きていたいと思うものだから、今すぐ決定する必要はない。これは「その場になって考えても、遅くない問題」なのだ。だからこの件は、そっとしておけばよい。

「葬儀とお墓」の件については、割り切って考えなければならないと、上野はいう。そして、「葬儀は残された者がけじめをつけるための別れの儀式」なのだから、「あくまで生きている者のためにある問題だ」とさとすのである。

こうした上野千鶴子の意見は、<「延命処置、葬儀、お墓」のすべては「なし」でいい>と考えているものが、周りの人間から、常々、耳にタコができるほど聞かされている意見である。世間とうまく折れ合って生きている人々が常識としている考え方なのだ。上野は東大教授であり、多くの友人や弟子たちに囲まれて活躍している「世間人」だから、どうしてもこういうありきたりの意見を持ち出してしまうのである。

だが、この世には、「世俗社会」の中では生きずらいと感じ、独りになって初めてくつろぐことができるというタイプの人間もいる。シェルドンの性格分類に従えば、「老年志向型人間」がそれで、この型の人間は何も知的職業人のなかだけにいるのではなく、どこの世界にも一定数は存在する。彼らは、ほとんど例外なく内心で、<「延命処置、葬儀、お墓」のすべてを「なし」でいい>と考えている。が、周囲と風波を起こしたくないから、黙って世の慣行に従っているだけなのだ。

愚老も老年志向型の一人だから、「延命処置、葬儀、お墓」などを欲していない。愚老が愛している思想家や作家たちも、中江兆民を筆頭にして、ことごとくと言っていいほどに、「葬儀無用」の遺言を残して死んでいる。「延命処置」についても、最近、点滴のチューブを自ら引き抜いて死んでいった作家もいるのである。

それだけではない、新聞の「おくやみ欄」を見ていると、葬式を身内だけで済ませ、葬儀日程欄を空白にしている家族が増えてきている。これまで、葬儀無用論者は自分の遺言が無視されるのではないかと心配して、「オレのいう通りにしなければ、化けて出るからな」と家族を脅していたものだった。だが、世の中に「密葬」の家が増え続けるなら、結果的に公的葬儀を省略する事例が日常化し、そうした脅しも不要になる。

老年志向型の人間が、葬儀無用にこだわるのは、他人の葬儀のために自分の時間をつぶされたことを迷惑に感じて来たからだろう。それにプラスして、自分の葬式への参列者が少なければ、残された家族が肩身の狭い思いをするかも知れないという心配も加わっているかもしれない。彼らは、孤独を好んで他者との交際を避けてきたから、自分の葬儀への参加者が少ないことを承知しているのである。かなり有名な映画監督も、その遺言に「自分は人徳のない男だったから、葬儀への参列者も少ない筈だ」という事実を葬儀無用の理由にしている。

上野千鶴子は、生涯現役を誇りにする人間がいる一方で、隠者志願の人間もいることを考えるべきだった。「オレは自分の葬式に2千人の人間を集めてみせる」と自慢する生涯現役組がいる一方で、隠者志願の人間は、誰にも知られずに静かに死んでいくことを幸福と考えている。世俗的義務に縛られない孤独な日常を愛していた彼らは、自分の葬儀によって他者の生活を乱したくないのだ。

こうした人間もいるのだから、上野千鶴子は相談者に「世間の慣例に従え」と助言する代わりに、世俗の常識を超越して自らの信念を貫けと助言すべきだったのではなかろうか。上野は社会学者なのだから、相談者の意志を実現するための方法や理論をいろいろと知っているはずである。上野はそれらを提示し、相談者がそれらの理論で娘を説得せよと激励すべきだったのである。わが日本国における冠婚葬祭事情ときたら、誰が見ても馬鹿馬鹿しいの一語に尽きるのだから。

もし、上野が葬儀無用の新理論を展開してくれたら、単に相談者だけでなく、老年志向型の人間全体が大いに助かるのである。日本人は、上野ら社会学者が虚礼廃止運動の先頭に立ってくれるのを待っているのだ。