朝日新聞が「心」の連載を始める(3)
(承前)
「私」の打ち明け話を聞いた奥さんは、Kが彼女を愛していたと聞かされて、ショックを受けたようだった。「私」の話が終わると、奥さんは長い間窓の外を見ていた。やがてこわばった表情のまま部屋を出て行った。それが昼食前のことだった。
昼食の膳は女中が運んできた。奥さんはどうしたのかと尋ねると、外出したという。暗くgなってから奥さんの帰ってきた気配がしたが、夕食を運んできたのはやはり女中だった。
「私」が奥さんと再び顔を合わせたのは、翌日の朝だった。朝食を運んできた奥さんは、努めて普段通りに振る舞おうとしていた。奥さんは自分の方から、前日の自身の行動について打ち明けた。
「昨日は、久しぶりに墓参りに行ってきたの。お墓の前でたっぷり泣いてきたわ。私が二人を死なせたのですものね」
「いや──」
「ええ、確かに私に直接の責任はないかもしれない。でも、私という存在は、結果として、あの二人にとって禍(わざわい)の種だったのよ」
「──」
「私は、あなたにとっても禍の種になっているかもしれない。あなたを今日まで引き留めたことは、私の間違いだった。あなたは、直ぐ、この家を出て行きなさい。もう二度とこに戻って来ては駄目よ」
「何を言うんです。僕は奥さんを一生守って行きます」といった後で、「私」は思いも寄らないことを口走っていた、「奥さんのそばにずっと居るために、僕を養子にして下さい」
・・・・瓢箪から駒が出るという言葉がある。半年後に、「私」は奥さんと養子縁組を結んで、正式に同じ屋根の下で暮らすことになったのだ。そして、愛する女性を母と呼んで生きるという苦渋の日々を自ら選んだのであった。
(註=続編のプランを考えるに当たって、愚老が「私」を奥さんの養子に設定したのは、着想として悪くなかったと思っている。こうすれば、奥さんと「私」を結びつけて、話をハッピーエンドで終わらせるのに都合がよくなるからだった。だが、こうした筋立てでストーリーを進めているうちに、「心」はやはり悲劇で終わらせるべきではないかという反省が湧いて来た。そして、愚老の頭の中で物語は思いも寄らない結末に向かって進行し始めるのだ)
「私」は奥さんに強く惹かれながら、反面では、奥さんを愛することは亡き先生を裏切ることだとも考えていた。
「私」が自分の感情を押さえ込んでいるのに、奥さんの方は「私」の気持ちを知ってか知らずか、養子縁組が正式に決まった日から、「息子」に親しさを示すようになった。母子の関係になったからには、いくら「私」に愛情を寄せようと構わないと考えているらしかった。彼女は「私」を伴って、近所への挨拶回りをするときなど、誰に憚ることなく「息子」への愛情を示した。
「この子は、私の甥なんです。あんな新聞沙汰になるようなことが起きたので、親戚が集まってこの子を私の養子にすることに決めましてね」
と玄関先で口上を述べてから、奥さんは後ろに控えている「私」を前に押し出すようにして、「さあ、あなたもご挨拶なさい」と促すのだ。その時の奥さんの表情や言葉には、偽りのない愛情が溢れていた。「私」には、それが息子への愛情なのか、「私」への個人的な愛情なのか、見当がつかないのである。
「私」が下宿に残して来た家具などを荷車に積んで、奥さんのところに引っ越してきたときに、女中の姿が見えなかった。「私」が奥さんに女中はどうしたのかと尋ねると、荷物の整理を手伝っていた奥さんは事もなげに答えた。
「ヒマを取ってもらったの。前から、辞めたいと言っていたから」
女中が辞めたいと言いだしたのは、酒に酔って押しかけてくる銀行の支店長がこわかったからだった。「私」が泊まりに来てから、女中が、「これで安心して働けます」といっているのを「私」は彼女の口から直接聞いていたのだ。
「私」の心は、怪しく騒いだ――奥さんは「二人だけの状況」を作ろうとしたのではないか。
奥さんと「私」は、たった二人で、茶の間をへだてて隣り合わせの部屋で過ごすことになった。家の中は静かだったから、耳を澄まさなくても奥さんが自室で何をしているか見当がつく。奥さんが家事を終えて自分の部屋に入ったりすると、「私」の注意は知らずにその後を追って奥さんの部屋に向かう。外出先から帰宅した奥さんが、タンスの引き出しをあけて普段着に着替えている物音を聞くと、「私」はどうしても奥さんの滑らかな裸身を思い浮かべてしまうのである。
先生の存命中、奥さんはいつでも着物の襟をきっちり合わせ、一分の隙もない格好をしていた。だが、生活を共にしてみると、奥さんの生活は隙だらけだった。朝方、洗面所などで一緒になったときなど、奥さんは寝間着の襟から艶やかな胸元を覗かせている。「私」が挨拶すると、奥さんは、「お早よう」と返しながら、ちょっと襟を合わせる仕草をする。が、それは形式的なもので後は胸が開いてもそのままにしているのである。その胸元から、そして全身から、奥さんの溶けるような柔らかな匂いがしてくる。その匂いは、奥さんが洗面所を出て行ってからも、暫く後に残るのだ。
「私」は義母と息子という関係の前で萎縮して動きがとれなくなっている。しかし、奥さんはこの関係を楽しんでいるようだった。まるで実の母か姉のように、あれこれと「私」の世話を焼く。夏になると、夕食後に奥さんは入浴し、湯上がりの体を浴衣に包んで「私」を茶の間に呼び出すのだ。そして、掛け流しの水道水に漬けて、冷やしておいた麦茶を勧める。「私」が匂い立つ奥さんの姿態を前にして目のやり場に困っているのを見て、奥さんは楽しんでいるようだった。
「私が先生の奥さんだったということを忘れなさい。私は母親なんだから、あなたは私に好きなだけわがままを言ってもいいのよ」
奥さんはそう言って、さり気なく「私」を誘っているように見える。だが、こちらが踏みこんで行けば、手ひどく拒否しそうな感じもある。
冷静になって考えれば、奥さんには「邪念」など毛頭ないのだった。奥さんはこれまで母や夫の手で手厚く守られてきた。そのために、誰に対しても警戒心を持たず、持って生まれた人なつっこさで接してしまう。
「私」はそう思いながらも、入浴中に奥さんが風呂場に入ってきて、「背中を流してあげましょうか?」などと声をかけると、相手が自分を嘲弄しているのではないかと、軽い疑念に襲われる。
「私」が、奥さんとKとの関係を疑い始めたのは、「私」に対する奥さんの気持ちが読めなくなったからだった。
(つづく)