甘口辛口

ひとから悪口を言われたら

2014/5/6(火) 午後 3:40
ひとから悪口を言われたら

かなり以前に、新聞の「人生相談」欄に中学3年(女生徒)の投書が載っていた。そのタイトルは、こうだ。

「人から悪口を言われたくない」

相談者は、幼稚園児の頃から他人に悪口や陰口を言われてきたと訴えるのだが、その理由を彼女は、「昔は今より静かで人付き合いも悪く、印象がよくなかった」からだろうと説明している。しかし小学生の頃、転校したのを機に努めて明るく振る舞い、ユーモアをもって話をすることが出来るようになった。にもかかわらず、依然として周囲からあることないこと悪口を言われ続けている。そこで、彼女は訴えるのである。

  「私は一生懸命勉強もしている
  し、容姿も人並みですし、部活
  動やその他のことも頑張ってき
  ました。正直、悪口を言われる
  筋合いはないと思うのです」

この少女から「どうしたら悪口を言われないようになるか、悪口を言われたらどうしたらよいか」と問われた評論家の岡田斗司夫は、こう答えるのだ。

──人が誰かの悪口を言うのは、相手に対して悪意があるからというより、友達や仲間を作るためで、学校の生徒が教師の悪口を言って盛り上がり、仲間意識を育てるようなものだ。だから、人から悪口を言われたら、卑下などしないで自分が人々を繋げる役割を果たしているというプラス効果を考えることである。
もし、自分も皆の輪に加わりたかったら、その中に入って「自分の悪口」か「悪意のない悪口」つまり「冗談」を言って、皆を笑わしたらいい、すると、悪口グループが「互いに冗談ばかりを言って笑いが絶えない世界」に変わるはずだから。

岡田斗司夫の回答を読んで注目したのは、彼が人から好かれるコツを教授するのではなく、悪口には人間同士を繋げる効果があると指摘して、自分への悪口を放任しておくことを勧めている点だった。これまでの回答者だったら、悪口を言われる相談者に対し、「何の罪もないのに悪口をいうとは」と憤慨して見せたり、悪口を言われないためのノウハウを教授したりするところを、岡田は悪口の効能を指摘して、相談者が期待するのとは真逆の回答を示している。岡田斗司夫に限らず、人生指南の評論家たちは、近頃、この手の「相談者が期待するとは逆の生き方」を提示するようになってきたのである。

なかでも驚かされたのは、女性向けの人生論の書き手として知られている某女流作家が、世間から「いい人」と言われるような生き方を止めなさいと忠告していることだった。この作家は篤信のクリスチャンでもあるのだが、彼女は声を大にして、「いい人」であることのマイナス面を説くのである。

そして、今やこうした傾向の極めつけともいうべき著書が、あらわれた。「嫌われる勇気」というベストセラー本である。愚老が、この本を購入したのは、自分が「嫌われ者」の一人であることを承知しているからで、この年になると、今更、人に好かれようなどとは思わないから、嫌われ者の居直りとも取れる本を覗きたくなるのである。

著者は、人間の悩みを突き詰めて行けば、すべて人間関係にたどり着くと断言する。では、なぜ人間関係が悩みのもとになるかといえば、人が痛切に求めているのは自分の居場所を確保することだからなのだ。人間関係がおかしくなると、居場所が失われるから、人は人間関係にうじうじと悩む。

では、どうしたら人間関係を良好に保つことが出来るだろうか。

その方法は、人間相互が自他の課題を明確に分離し、何処までが自分の課題で、どこからが他者の課題であるかを線引きすることだという。そして他者の課題に介入せず、自分の課題には介入させない一例として、著者は親子関係を取り上げるのだ。

<子どもとの関係に悩んでいる親は、「子どもこそ我が人生」だと考えてしまいがちです。要するに、子どもの課題までも自分の課題だと思って抱え込んでいる。いつも子どものことばかり考えて、気がついたときには人生から「わたし」が消えている>

子供の課題は子供に任せ、自分の課題には家族といえでも介入させない。こんな具合にすれば、人間関係は単純化され、家族全員が自身の問題、自身の課題に専念できる。他者がこの私をどう思うか、私に対してどのような評価を下すか、それは他者の課題であって、こちらではどうすることもできない。自分はただ、やるべきことを誠実にやっていればいいのだ。

人間関係を単純化し、対人関係から解放されれば、人は自由になる。だから、対人関係における自由のコストとは、「他者から嫌われること」に他ならない。だが、嫌われるからといって人々を敵と見るのではなく、他者を仲間と見なし、世界全体への帰属感を持つ必要がある。人間は過去から未来、そして宇宙全体を含んだすべてを自分の居場所と考え、これに些少なりとも貢献するときに、自分は与えられた居場所で生きることが許されているという安心感を持つことが出来る。

冒頭に記した中学三年生の女生徒も、「嫌われる勇気」の著者の提言に従って、存在世界の全体を自分の居場所と考え、これへの貢献を考えるようになれば、他人から悪口を言われても平気になるだろう。そうなるまで、成長して欲しいものだ。