朝日新聞が「心」の連載を始める(11)
奥さんの話を聞いていて、「私」が一番驚いたのは世田谷の家を売り払い、「覚悟を決めて」この村にやってきたということだった。あの家は奥さんの祖父の手によって建てられたものだという。奥さんはそこで生まれ、これまでずっとそこで両親と暮らしてきた家なのである。その思い出深い家を手放して、この地にやってきたと聞いて、「私」は責任を感じた。「私」は、奥さんに感謝しながらも、重いものをあずけられたような気にもなった。
話が済むと、奥さんは立ち上がって、「もう寝ましょうよ」といって四畳半に入っていった。なかなか戻ってこないので、四畳半を覗くと、奥さんは二人の布団を並べて敷いていた。狭い部屋にタンスまで置いてあるため、並べて敷いた布団はほとんどくっついている。
帰宅してから、意外なことばかり続くので、夜、どのように寝るかということまで考えていなかった「私」は、茫然と布団を見下ろした。布団は、タンスと一緒に鉄道便で世田谷から運こばれてきて、押入にしまわれていたのだ。
奥さんは、弁解するように言った。
「茶の間を寝室にするわけにはいかなかったから・・・・」
小さな教員住宅だから、寝る場所は四畳半しかない。布団を収納する押入もそこだけにあって、八畳の茶の間は四角な箱のようになっている。だから、奥さんが四畳半を二人の寝室にしたのも不自然なことではなかった。だが、「私」は、自分でも説明のつかない衝動に駆られて、口を開いていた。
「僕はこっちに寝ます」
こう言い放つなり、「私」は手近な方の布団を、四畳半の部屋から一番離れている八畳間の壁際までずるずると引っ張っていった。そして、寝間着に着替えることもなく、普段着のまま布団に潜りこんでしまった、奥さんが凍り付いたようになって、こちらを見ていることを感じながら。
次の日の朝、二人は顔を合わせても、何もなかったような顔をしていた。そして夜になり、寝る時間になると「私」は朝自分で仕舞いこんだ布団を押入から持ち出して、昨夜と同じ場所に敷いた。奥さんはそれを黙ってみていて、「私」が就寝してから自分の布団を押入から出して四畳半に敷き始める。
こういう明け暮れを重ねているうちに、二人の気持ちはこだわりを隠したまま固定していくようだった。互いに距離を置いて接することが習慣化すると、最早、周辺には二人が義理の母子であることを疑うものは誰もいなくなった。
本校の音楽教師が「私」に関心を示すようになったのは、この頃からだった。本校は分校から2キロほど離れた**町の中心部にあって、生徒数も300人を超えている。その関係で、音楽は専科の女教師が教えていたのだが、「私」が本校に出かけると、彼女が決まってむこうから話しかけてくるのだ。そして分校の生徒が音楽に接することのないままで小学校を卒業するのは可哀想だから、「私」に分校で音楽の授業も行うように説得するのである。
分校には名前だけの音楽教室があったが、前任の老教師はオルガンも弾けず、歌曲に関する知識もゼロに近かったから、音楽教室は使われないままになっていた。その点は「私」も前任の教師と同じだったから、これまでは音楽専科の女教師に説得されても「第一、オルガンも弾けないし」といって断っていたのだ。すると、相手はその点につけ込んで来るようになったのである。
「オルガンだったら、教えてあげるわよ。毎週、土曜の午後に分校まで出かけて、私がみっちり個人教授をしてあげるから」
「じゃ、頼もうかな」
「私」が、迂闊にもこう返事をしてしまったのは、奥さんとの関係が硬直して、動きが取れなくなっていたためだったかも知れない。(未完)
「続編」をこの調子で続けていくと、これが梗概とはいいながら、終幕までにもう10回分くらいかかるかもしれない。で、今回はここで一旦中断して、存命ならば数年後に、この続きをアップすることにしたい。
先日、朝日新聞の「ひととき」欄に、<20日から再び朝日新聞で連載が始まった夏目漱石の「こころ」には、少し変わった思い出があります───>という書き出しの記事が載っていた。千葉県成田市の吉沢さんという51才(主婦)の方が書かれた短文で、それによると、息子さんが通っている高校の国語教師が、「心」の続編を書いてくるようにという課題を出したので、吉沢さんは息子さんを手伝って一緒に「続編」を完成させたという。
それによると、その「続編」では奥さんが実は悪女だったということになっているらしい。原作では、奥さんはコケティッシュなところのある女性として描かれているので、彼女を悪女にすることの「必然性」はある。母子共作によるこの名作を読んでみたいと思った。